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北九州の観光情報 / 門 司

アインシュタインが絶賛した門司港

1889年に大陸貿易の拠点として開港し、ここから日本の産業近代化が始まった。
ノーベル物理学賞を受賞したアインシュタインは全てが芸術作品と絶賛した門司港。
和布刈公園からの、世界に誇れる関門海峡の眺めも見逃せないポイントです。
更に、清滝界隈、栄町い銀天街や中央市場がある下町は、懐かしい日本文化に
触れられるスポットとなっていますので足を伸ばしてみて下さい。
又、日本一遅く、日本一短いトロッコ列車“潮風号”に乗って、関門海峡の眺めを楽しむことも出来ます。                                              
                                                                     
   

門司港レトロ

 

 門司港駅
1914年建設、国の重要文化財指定、
イタリアのテルミニ駅がモデル 詳 細  
 

 
旧三井倶楽部
1921建設、三井物産のゲストハウス
アインシュタインも宿泊
詳 細
 

 
海峡プラザ
ロマンあふれるマーケット
買い物やグルメに最適
詳 細


 

 
九州鉄道博物館
旧九州鉄道本社
九州の鉄道の歴史を紹介する博物館  詳 細
 

 
旧大阪商船ビル
1917年建設、見張用の塔屋、大陸航路の待合室、現在はギャラリー    詳 細
 

 ブルーウイング門司
日本で唯一の歩行者専用の跳ね橋
恋人の聖地
詳 細
 

 
国際友好記念図書館
大連市との友好都市締結記念に
建設、現在は図書館として利用
詳 細
 

 門司港レトロ展望室
高さ103mの展望室、門司港レトロ、関門橋や下関の景色が望める
詳 細
  
 港ハウス
北九州市の特産品や青森、函館や下関の特産品を販売
詳 細
 

 
旧門司税関
1912年建設、煉瓦作り瓦葺構造、関税PRコーナー、美術ギャラリー、展望室   詳 細
 

 
出光美術館
出光興産の創設者・出光佐三氏が集めた「出光コレクション」を展示   詳 細


関門海峡ミュージアム
(海峡ドラマシップ)
関門海峡の歴史を紹介する、「海峡歴史回廊」と「海峡レトロ通り」
詳 細

●その他、門司港レトロ
 日本郵船門司支店

下 町
 三宜楼、清滝界隈、栄町路地裏、栄町銀天街、中央市場

和布刈公園
 関門海峡関門橋和布刈神社、ノーフォーク広場、めかり第二展望台門司城跡
 めかり潮風広場、関門人道トンネル甲宗八幡神社唐人墓、 

●日野江
 部埼灯台清虚の像、日野江植物公園

大 里
 門司麦酒煉瓦館豊前大里宿 、旧大里製粉所、 戸上神社  
      

北九州の観光情報 / 小 倉

ランドマーク小倉城を中心に城下町や地元の下町の雰囲気を残すエリアは、
北九州市の観光名所の一つです。

小倉城内では日本の文化の体験や大型複合施設・リバーウォーク北九州では買い物や
グルメも楽しめるます。
そして、小倉城周辺を散策すると、小倉の様々な歴史にも触れることが出来ます。
更に、“紫川エコリバー構想”実施されている場所で、北九州市のエコの取組にも
触れられる場所です。
         
               
小倉城内

 

 
小倉城 
1602年建設、1617年小倉祇園太鼓祭が始まる。福岡県で唯一の
天守閣、小倉の文化の中心。
詳 細
 

 
小倉城庭園
美しい日本庭園と書院造りの大名屋敷
日本文化体験に最適の場所。
詳 細
 

 
松本清張記念館
北九州市出身の芥川賞作家・松本清張の多岐にわたる創作活動や人物像を紹介する記念館。
詳 細
 

 
リバーウォーク北九州
2003年にオープンした大型複合施設
買物、食事、美術館や劇場もあり、様々な楽しみが出来る場所。
詳 細

 
小倉城周辺散策スポット
 参勤交代往還路碑森鴎外旧居無法松の碑菅原神社伊能忠敬顕彰碑
 常盤橋小倉県庁跡室町の黒いポスト
 
商店街
 旦過市場魚町銀天街鳥町食堂街

紫川エコリバー
 紫川あさの汐風公園リバーウォーク北九州水環境館
 
足立森林公園
 福聚寺

北九州の観光情報 / 戸 畑

戸畑の魅力 

戸畑祇園山笠西日本工業倶楽部夜宮公園北九州市立美術館

  

皿倉山の上から眺めてみると、鉄のまち、産業のまち北九州の中心と
なっているのが戸畑地区です。
   


その中心の新日鐵住金八幡製鐵所の80%以上の営みが戸畑地区で行われ、
関連企業の人達も含めて多くの人達が働いています。
製鉄関連の技術や環境技術もこの現場で培われ、環境未来都市のベースを造った
場所と言っても過言ではないと思います。
   
この戸畑は北九州の産業に触れられる産業観光の場所で、新日鐵住金の工場見学で
日本の産業近代化の歴史や未来に羽ばたく環境の取組にも触れることがでします。

北九州が世界遺産

北九州が世界遺産!

現在までの世界遺産は、建築物の遺産的価値が評価された『有形』の遺産である。

明治日本の産業革命遺産は、『日本の急速な産業発展』が評価された『無形』の世界遺産である。

  

  
明治日本の産業革命遺産は1951年~1910年の60年間に造られた。
そこで、日本の産業のドラスティックな革命が行われた。
それ以降に急速な産業発展を成し遂げ、世界一の工業立国となった。

世界の誰もが成しえなかった、日本人だけが達成できた急速な産業発展
その中心舞台が北九州市。そのまちで誕生した多くの産業とそれを牽引する全ての企業、
それを陰で支える人々そして家族を含めた
総合力で日本の近代産業の礎が築かれ、
世界をリードする
「環境都市」となった。  
このことがユネスコに評価され世界遺産登録に繋がった。

まさに「北九州が世界遺産」であり、ユネスコが求めていることは『急速な産業発展』を
伝えることである。

名古屋の大学院生の産業技術ツアー

 

名古屋工業大学の大学院生の産業技術研修ツアーを北九州市で実施しました。

 

●日程 2015年9月1日~2日 1泊2日
●参加人数 24名
●コンセプト:大学で学んでいる技術が、社会でどのように使われているかを学ぶ

 

【1日目】
FDAで名古屋空港を出発し、8:40に北九州空港へ到着。
北九州空港を見学した後、研修ツアー開始。

10:00~11:30 新日鐵住金 八幡製鉄所見学 
  原料岸壁、高炉工場、熱延工場

  

 

11:50~12:30 枝光のママの餃子で昼食

  

 

13:10~15:30 安川電機ロボット工場&安川電機みらい館

 

 

15:45~17:00 東田地区
  安田工業 → 八幡泊地 →  世界遺産 旧本事務所

  
 

 北九州イノベーションギャラリー → 東田第一高炉

   

 

18:30~20:00 皿倉山

  


 

【9月2日】

10:00~11:00 TOTOミュージアム → 11:40~12:30 割烹旅館かねやすで昼食

  

 

13:00~14:30 北九州エコタウン

  

15:00~16:00 洞海湾クルージング

    

 

16:30~18:00 門司港レトロ

  

 

18:30 北九州空港で解散

 

 


 

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環境未来都市・北九州市

 
北九州市産業観光や環境関連の学びにおいて、最適の都市です。
その環境未来都市・北九州市を紹介します。

1.環境未来都市・北九州市
日本の産業が始まったまち、公害を克服しながら、日本の産業を支え、
世界の環境づくりを牽引する環境モデル都市北九州市。
 
北九州市は九州の北端に位置し、人口96万9千人(2013年5月の推計人口)、面積約490平方キロの政令指定都市です。
港町として繁栄した門司市、軍都としての歴史を持つ小倉市、石炭の積出港として賑わった若松市、
そして鉄鋼を中心として日本の産業近代化を支えた八幡市と戸畑市が1963年、世界でもまれな
五市の対等合併により誕生しました。
 
経済の基礎には鉄鋼、化学、金属といった重化学工業があり、市内総生産に占める製造業の比率が他都市に比べて高い、
ものづくりのまちです。門司及び若松の築港から始まり、1901年に官営八幡製鐵所が誕生して以来、様々なものづくりの
産業も生まれて、日本の産業発展を支え、アジアと地方への玄関口にもなりました。

1960
年代には深刻な公害問題を経験しましたが、それを産学官の協力のもと見事に克服しました。その過程で蓄積した
技術をとノウハウ、人材、市民と産学官のネットワークを生かしながら環境に関する新技術の創出や開発を続け、
エコタウン事業に代表されるリサイクル・新エネルギー分野など、環境ビジネスに発展しています。

2008
年に「環境モデル都市」に認定され、2011年には「環境未来都市」や経済協力開発機構(OECD)から
「グリーン成長モデル都市」に選定されるなど世界の環境をリードする役目を担っています。
 
2.環境の歴史
国内最悪の大気汚染と死の海と化した洞海湾から
婦人会をはじめとする市民運動を発端に公害から脱し、青空を取り戻した。
 
かつて「公害の街」として知られていた北九州市は、その克服の過程で蓄積された経験やノウハウを環境国際協力に活用、
今や日本の循環型社会づくりの実践者としての牽引役を果たしています。
1901年の官営八幡製鉄所の立地から工業都市として発展し、重化学工業を中心に、日本の近代化・高度経済成長の
牽引役を果たしてきました。

当時、製鉄所から盛んに昇る煙は、「七色の煙」といわれ、繁栄のシンボルとして旧・八幡市の歌にもうたわれていたほどでした。
しかし、産業の繁栄は一方で激しい公害をもたらし、当然のことながら、「七色の煙」は大気を汚染し、
降下煤塵の害をもたらしました。1960年代、北九州地域の大気汚染は国内最悪を記録し、さらに洞海湾は工場排水により
「死の海」と化しました。

この公害問題に最初に気づいたのは、市民で、既に1950年ごろから、「家の中がザラつく」「洗濯物が汚れる」といった
声が寄せられました。戸畑地区の婦人会は自ら調査に立ち上がり、議会、行政、企業に対し、公害対策を働きかけてきました。
1965年戸畑婦人協議会が製作した記録映画「青空がほしい」は、公害対策を求める市民運動を象徴するものでした。
市民の声に押され、行政も動き出し、大気汚染等の測定により公害の実態を把握しました。行政指導、立ち入り検査等により
企業へ改善を働きかけました。そして、各工場と公害防止協定を締結し、市、県、当時の通産局等と市内の企業約30社からなる
大気汚染防止連絡協議会を設立しました。企業側も、公害防止施設を整備するとともに、生産プロセスの改善を進めてきました。

この間、1968年には大気汚染防止法、騒音規制法が施行され、翌年の1969年には日本で初めてスモッグ警報が発令されました。
1970年にはいわゆる「公害国会」で公害関係14法案が可決し、全国的に、公害問題への社会的関心が高まる中で、
北九州市では、官民あげた取り組みにより、急速に環境改善が進んでいきました。

こうして、1980年ごろには、「七色の煙」に覆われた街に青空がよみがえりました。また、大腸菌も棲めない「死の海」と
言われた洞海湾には100種類以上の魚介類が、生息するようになっています。

1985
年には経済協力開発機構(OECD)の環境白書で「灰色の街」から「緑の街」へ変貌を遂げた都市として紹介されました。
1987年には環境庁の「星空の街コンテスト」で、大気環境が良好な「星空の街」に選定されました。
 
これらの北九州市の取り組みは国際的にも高く評価されています。1990年には、国連環境計画(UNEP)の環境貢献を表彰する
「グローバル500賞」を日本の自治体としては初めて受賞しました。
1992年ブラジル・リオデジャネイロで開催された地球サミットでは、日本の自治体では唯一となる「国連地方自治体表彰」を
受けました。

更に、環境に対する取組が強化され、1993年にかん・びん分別収集を開始し、1998年には一般ごみ指定袋制度が開始されました。
北九州市ルネッサンス構想に基づく基盤整備が行われていた、新日鐵の遊休地・東田で、2001年に環境をテーマとする
「北九州博覧祭2001」が開催されました。そして、2003年に八幡東田グリーンビレッジ構想がスタートし、環境に対する取組が
更に進化していきました。

2008
年には前述のように、全国で13自治体が選ばれた「環境モデル都市」に認定され、2010年には「アジア低炭素化センター」
を開設し、2011年には「環境未来都市」や経済協力開発機構(OECD)からアジア初の「グリーン成長モデル都市」に
選定されました。
そして、日本の産業が始まった北九州市で、世界の低炭素化社会実現に向けた牽引役としての新たな挑戦が始まりました。

3
.未来に羽ばたく東田
日本の産業はここから始まり、そして未来のまちづくりもここから始まる!
 
1896年に国会で製鐵所設置が承認され、数ある候補地の中から八幡に決定されました。
そして、1901年に八幡東田の地で官営八幡製鐵所が産声を上げ、日本の本格的な産業の歴史の幕が開けました。

1972
年に東田第一高炉が休止するまでの東田地区はものづくりの中心地として貢献してきました。高度経済成長後、生産効率向上や物流革新のため、主要製鉄設備が海沿いの戸畑地区に新設され、この広大な120ヘクタールの場所が遊休地となりました。
新日鐵は北九州市ルネッサンス構想に基づく基盤整備に1994年に着手し、道路や電気、水道、ガスなどを整備して企業誘致の
基盤を整えました。その街づくりは「パークコンプレックスシティ構想」として、職・住・学・遊が融合した進化した
コンプレックスシティを目指して、情報産業を中心にした企業を集積するエリアやマンションなどの居住エリア、
商業施設エリア等、120ヘクタールの土地をゾーンに分けて、それぞれの目的に応じた街づくりに取り組みました。
ゾーンを決める際に新たに設置されたのが、新駅(スペースワールド駅)や都市高速道路などのアクセスはもちろん、
開発エリアと周辺街区との調和を考慮しました。例えば、両エリアを分断していたJR鹿児島本線の線路を移設・直線化し
物理的にも開かれた場所を生み出しました。

次の転機が、2001年の「北九州博覧祭2001」で、近代産業の発展と環境破壊と修復を経験した北九州市は「環境」博覧祭の
主要テーマに揚げました。それを機に東田地区の開発発展に「環境共生」を主要コンセプトにして、2003年に「世界の環境都市」
を目指す街づくりの基本構想となる「八幡東田グリーンビレッジ構想」が策定されました。
「環境共生と低炭素型都市を目指す」というコンセプトの下、産学官民で協働して行われました。

この取組を支えるのがエネルギーの地産地消で、隣接する製鐵所のエネルギー基盤を活用し、LNGによる電力供給をスタート
(東田コジェネ)、電力は東田地区で利用し、蒸気熱は製鐵所で再利用することで低炭素・効率的なエネルギー利用を実現しました。
また、日本初の試みとして、店舗・住宅・集客施設などにパイプラインを設置し、製鐵所で発生する水素を供給し、エコファーム用の
燃料として供給する他、燃料電池車の水素ステーションにも設置しました。

更に太陽光発電も将来的に設置し、電力・排熱・蒸気・水素などの様々な副産物の再利用を含め、
トータルマネージメントを発揮し、一般地域に比べて約30%のCO2削減を達成しています。

上述のような取組みも評価され、2008年には「環境モデル都市」に認定されました。
 
4. 北九州エコタウン
あらゆる廃棄物を他の産業分野の原料として活用し、
最終的に廃棄物ゼロ(ゼロ・エミッション)を目指したリサイクル事業等に取組む企業団地
 
北九州エコタウンは、北九州市が国の承認を受け進めている事業です。エコタウン事業に基づき若松区
響灘地区にリサイクル業を中心とした企業団地(総合環境コンビナート・響リサイクル団地)および企業や大学による実証研究
エリアからなります。

エコタウン事業とは、「あらゆる廃棄物を他の産業分野の原料として活用し、最終的に廃棄物をゼロに
すること(ゼロ・エミッション)」を目指し、資源循環型社会の構築を図る事業です。北九州エコタウンは1997年、
通商産業省より川崎市、長野県飯田市、岐阜県とともに第1号の承認を受けました。
 
●全国初のエコタウンセンター2001年6月オープン!
北九州市では、これからの「資源循環型社会」を目指して、リサイクル工場や研究施設などを集め、環境と調和したまちづくりを
行う「北九州エコタウン事業」に取り組んでいます。北九州市エコタウンセンターは、エコタウンを支える情報センターとしての
役割を担い、エコタウンでの取組みの紹介等を通じて、環境学習や交流活動に積極的に利用していただくための施設です。
全国各地から視察が相次ぐ中、リサイクル工場や研究施設の視察受付・案内を行っています。センター内では環境・リサイクルに
関する技術、製品の展示やパネルによる北九州エコタウン事業の紹介を行います。
また、環境学習、交流活動、研究活動に利用していただくための施設を提供しています。
 
 
5.環境教育
公害の街から真っ青な青空を取り戻し、環境モデル都市へと変貌した北九州の誇り
 
澄み切った青空、紺碧の海、そして美しい山や川。ごみが落ちていないきれいな街・北九州市。
それらが、環境モデル都市・北九州の誇りです。
かつて公害を経験した街が、環境モデル都市になったのは大きく分けて二つの要因があります。
◆環境技術の開発や環境設備の充実
◆市民の環境意識の高さ
 
この二つを支えている充実した環境教育の取組みを紹介します。市民の環境意識高揚のため、あらゆる年齢階層の市民の
ライフステージに応じた環境教育、環境学習を展開しています。

北九州市誕生の歴史

北九州市誕生の歴史
なぜこの地域に5つの市が誕生したのか?
なぜそれらが一つになり北九州市ができたのか?
その訳は古墳時代までさかのぼる。 

 

●古墳時代
北九州市は九州の最北端に位置し、海と山に囲まれ、河川の廻りに平野が広がり人類の
生活の場として適した場所であり、旧石器時代の遺跡が市内で45ヶ所で見つかっています。
(小倉南区27ヶ所、八幡西区9ヶ所、若松区3ヶ所、小倉北区と八幡東区で各2ヶ所)

このことが遠い昔から人々が生活の場としたことが分かります。
  

            篠崎八幡神社の境内で発見された篠崎古墳
 

●江戸時代
江戸時代に入ると、豊前の国と筑前の国の二つに分かれ、各国に多くのお城が作られる。
豊前が35城、筑前が15城と合わせて50の城が存在した。
このことは、人々が生活する最適の場所であり、本州と九州を結ぶ要の場所でもあったから
だといえる。 
  
     小倉城                 門司城跡              黒崎城跡
1615年の一国一城令以降は多くの城は壊され、豊前が小倉城、筑前が福岡城となった。
細川忠興が中津城から小倉城に移った理由は、小倉が地理的にも重要な位置に
あったからだと言える。又黒崎は長崎街道の筑前六宿最大の宿駅として繁栄する。
この時代に豊前と筑前を中心とするそれぞれの文化が各地域で育まれた。 

 

●明治に入って
明治に入り、1989年(明治22年)に大日本帝国憲法が発布され、各地で合併が行われ新しい
村や町が出来る。
小倉町、門司村、田ノ浦村、小森江村、戸畑村、若松村、石峰村、江川村、洞北村、八幡村、
黒崎村、木屋瀬村
 他

 

●日本の産業近代化の始まり
1989年に、門司港が特別輸出港に指定され、日本の産業近代化の歴史が始まる。
1891年(明治24年)には九州鉄道(門司~高瀬間)が開通する。
1898年(明治31年)には石炭の積出港として若松港が開港し、1901年(明治34年)に
日本で初の銑鋼一貫製鉄所・官営八幡製鐵所が操業を開始する。
また門司では、鈴木商店が1904年(明治45年)に大里製糖所を開設し、それから様々な産業が
大里の地に生まれる。
又、黒崎や戸畑でも様々な産業が発祥する。
 

●5市の誕生
そんな産業発展に伴い、村が町に変わり、そしてそれから5つの市が生まれる。
この限られた地域で次々を市が誕生することは全国的にも非常にまれなことである。
【推 移】
・1899年(明治32年) 特別輸出港に指定された門司
・1900年(明治33年) 人口が最も多く、軍事都市としての役割を果たす小倉
・1914年(大正3年)  石炭の積出港として繁栄した若松
・1917年(大正6年)  製鉄所が誕生した八幡
・1924年(大正13年) 地場資本の安川家が若松から移った戸畑

 

●北九州市の誕生
それから5市が連接し一大都市圏を形成し、共通した交通インフラを持ちながらも、それぞれ異なった
都市構造や行政サービスとなっていた。

そのため各市の間は一体化して都市機能を有効に発揮し、一体感のあるまちをするべく、
1963年(昭和38年)に北九州市が誕生した。
  

北九州と言う言葉は、鉄道が門司から八幡までまたがっており、更に戸畑、黒崎、
折尾まで延びるにつれ空間的な呼び名が必要となり、応募により『北九州』となった。

 


 
●北九州市の魅力
自然豊かな山々と海の恵みを受けながら、太古の昔から人々が生活を営み、更に交通の要所でも
あるこの地に多くの人々が集まり、各地でそれぞれの文化が育まれて来た。
そして、日本の産業がこの地で始まり、多くの産業が生まれた。
その後、深刻な公害問題を経験し、現在では世界に羽ばたく環境未来都市となった北九州市。
また、製鉄関連の含む施設を明治日本の産業革命遺産として世界遺産となり、
多くの近代化産業遺産も点在する場所である。
弊社では、そんな北九州の魅力を紹介するツアーを提供しています。

 

 

門司の歴史を知れば、その魅力が見えてくる

門司の歴史を知れば、その魅力が見えてくる
 
1995年にオープンした門司レトロには、多くの人が訪れているが滞在時間が短く、宿泊する人も少ない。
また当時繁栄していた商店街や下町を訪れる人は少ない。

なぜだろう? 多分それは、観光客にとっては、単なるレトロ建物や町並としてしか
見えていないのではなかろうか?

  

 
そこで、関門海峡について、門司についての改めて考えてみました。
簡単な歴史を書いてみたら、その魅力が見えてきました。
 
人々が行き来する海峡は世界史の中でも重要な場所。
関門海峡は日本史の中で重要な場所。
昔から海峡の交通拠点として船で陸と陸をつなぎ、渡航のため足をとめ、海外の玄関口として栄え、
時には格好の砦となり闘争の場所にもなってきた。
  
明治に入り、近代化が始まり、港作りが始まった。1889年に門司港が開港し、石炭・米・麦・硫黄・麦粉の
特別輸出港に指定され貿易の起点となる。
1891年に九州鉄道の門司~遠賀が開通し、石炭の積出港となる。ごんぞうが活躍する。
富国強兵で多くの鉄が必要で、製鉄所建設の候補として最後まで残ったのが、呉と北九州の大里、
板櫃そして八幡。
鉄鉱石が近くで採れと説もあり大里が最有力候補だったが、広大な土地を提供することになった八幡の地に決定した。
  
製鉄所は建設されなかったが、戦争や国際貿易の重要な起点である門司港に、多くの銀行、会社が興され、支店が置かれ、工場が設けられわずか30年の間に急速な発展を成し遂げたまちは全国的にも珍しい。
そして長年の人々の念願だった関門鉄道トンネルが1942年。
戦争の為の重要な拠点であった門司だが、1944年の度重なる空襲や関門海峡に5000発近い感応機雷が
投下され爆撃された沈没船が多く、海峡は完全に封鎖され、5年間活動休止の状態だった。
そして、関門国道トンネルが1958年、関門橋が1973年に開通し、門司港の姿が大きく変わってきた。

そして、かつて貿易港として栄華を誇ったロマンの地・門司を1995年に観光地・門司港レトロとして
グランドオープンした。

  

 
世界的に見ても、海峡のまちはどこも魅力的で、それを語る歴史がある、そして物語がある。
関門海峡がある門司にも、歴史がある、物語がある、そして先人たちの人間ドラマがある。
この地には昔から多くの人々が住みつき、産業が発達したのも魅力的なまちだからである。
私が感じている門司の魅力をもっと多くの人に紹介したいと思います。

11月27日(金) 直方市石炭記念館 & 河内貯水池 & 世界遺産

産業観光ホーム


直方市石炭記念館 & 堀川 &  河内貯水池世界遺産
 日本の近代化産業発展の足跡を辿る

直方市石炭記念館  : 日本の産業発展を支えた石炭産業の歴史を学ぶ
堀 川 : 飢饉と洪水から守る為造り、その後石炭輸送に利用された川の歴史を辿る
遠賀川水源地ポンプ室 : 1910年に完成し、今も現役で働き続けている世界遺産
世界遺産 : 官営八幡製鐡所の旧本事務所他
          (旧本事務所眺望スペースからの案内で製鐵所構内には入りません)
東田第一高炉 : 世界でここだけ、完全な形で保存された近代高炉
河内貯水池 : 沼田尚徳が造った第一級の土木遺産
昼 食 : 八幡の料亭として創業した、生誕100年の千草ホテル
 

                                                                                                  
     
        直方市石炭記念館           遠賀川水源地ポンプ室                        河内貯水池                


日 程 2015年11月27日(金)

●集合場所 JR小倉駅新幹線口 団体バス駐車場
●受付・集合時間 8:00~8:20
●時間 8:30~16:30 
  
【スケジュール】
 
・JR小倉駅新幹線口 出発 (8:30)
 直方市石炭記念館
 ・堀川 寿命の唐戸
 ・遠賀川水源地ポンプ室
 ・昼食 千草ホテル
 ・旧本事務所(世界遺産)
 ・東田第一高炉
 ・河内貯水池
 ・JR小倉駅新幹線口 解散 (16:30頃)


●料金 6,500円
●募集人員 40名(最少催行人員25名) 受付は先着順とします。
【申込締切】 11月20日(金)
【お申込方法】 ①~⑥を明記の上、下記までFAXまたはEmailでお申込みください。
 ①氏名、②年齢(学生は学年も)、③性別、④連絡先(自宅と携帯[当日連絡用])、
 ⑤FAXまたはEmail、⑥会社名または学校名[製鉄所見学に必要なため]
 


◆年齢制あり:学校5年生以上
◆催行の1週間ほど前に当日のご案内をFAXまたはEmailでお送りいたします。
◆参加費は当日受付にてお支払いください。
◆キャンセル料
 8日前まで:無料、7~2日前まで:30%、前日:50%
 当日の取消および無連絡不参加:100% 


▼企画・協力 北九州商工会議所産業観光推進室 


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   (日本語又は英語で対応します)           
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11月20日(金) 八幡製鐵所 & 枝光 & 世界遺産 & 東田第一高炉

産業観光ホーム


八幡製鐵所 & 枝 光世界遺産 & 東田第一高炉

   世界一の鉄鋼会社となる道程をどっぷり体験

八幡製鐵所  : 鉄鉱石からマグマのように溶けた銑鉄を作る高炉工場と
            真っ赤に熱した厚い鉄板が目の前で薄く圧廷される熱延工場を見学
枝 光 :      鉄の城下町を散策
世界遺産 :   官営八幡製鐵所の旧本事務所他
            (旧本事務所眺望スペースからの案内)

東田第一高炉 : 世界でここだけ、完全な形で保存された近代高炉
昼 食 :     製鉄マンのスタミナ源として生まれた八幡餃子を味わうママの餃子
 

                                                                                                  
     
          八幡製鐵所               旧本事務所                           東田第一高炉                


日 程 2015年11月20日(金)

●集合場所 JR小倉駅新幹線口 団体バス駐車場
●受付・集合時間 9:00~9:20
●時間 9:30~16:30 
  
【スケジュール】
 
・JR小倉駅新幹線口 出発 (9:30)
 八幡製鐡所(戸畑地区)
 ・枝 光
 ・昼食 ママの餃子
 ・旧本事務所(世界遺産)
  ・東田第一高炉
 ・JR小倉駅新幹線口 解散 (16:30頃)


●料金 6,500円
●募集人員 40名(最少催行人員25名) 受付は先着順とします。
【申込締切】 10月28日(水)
【お申込方法】 ①~⑥を明記の上、下記までFAXまたはEmailでお申込みください。
 ①氏名、②年齢(学生は学年も)、③性別、④連絡先(自宅と携帯[当日連絡用])、
 ⑤FAXまたはEmail、⑥会社名または学校名[製鉄所見学に必要なため]
 


◆年齢制あり:学校5年生~75歳まで
◆催行の1週間ほど前に当日のご案内をFAXまたはEmailでお送りいたします。
◆参加費は当日受付にてお支払いください。
◆キャンセル料
 8日前まで:無料、7~2日前まで:30%、前日:50%
 当日の取消および無連絡不参加:100% 


▼企画・協力 北九州商工会議所産業観光推進室 


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