河内貯水池 / 世界遺産登録の引き金となった土木遺産
英 語
明治日本の産業革命遺産の世界遺産登録のきっかけとなったくった
自然と調和した、第一級の近代化産業遺産 河内貯水池
土木技師・沼田尚徳の大偉業
河内貯水池は、八幡製鐵所の第三次拡張工事での水源地拡張対策の一環として
1919年(大正8年)に竣工し、8年の歳月をかけて、延90万人の人々の手で
1927年(昭和2年)に完成した。
その総指揮者が、土木技師の沼田尚徳、当時は東洋最大級のダムで、
「土木は悠久の記念碑」というヨーロッパの土木哲学を具現化すべく英知と情熱を
注いだ大事業。
河内貯水池は近代化産業遺産としての価値だけでなく、
北九州国定公園の自然と調和した、心和む河内貯水池へ是非お越しください。
この美しい景観の裏側に秘められた、「愛と情熱」の物語がここにあります。
かつての河内地域は、八幡製鐵所から南10㎞ほど谷あいの31戸が暮らす
自然豊かで平穏な農村、また都市の児童の山村留学も受入れている教育先進地域。
その人達に立退きを快く応じてもらい、当時西日本最大の大事業が始まる。
用いた独自の設計で土木構造物への新しい挑戦をした。
更に環境にも優しい工法を積極的に採用し、将来市民の憩いの場所をすべく、
橋から取水塔、管理事務所に至るまで欧米風の洒落たデザインを凝らした。
村人へ何としても恩返しでもあった。
建設期間中1名の死者も出さなかった。
80年経過した今でも給水の本来の機能を果たしながら、憩いの場として多くの人達の
親しまれている。
美観に優れたダムを作り上げた。
●悲しみを乗り越えて
父そして5人の子供を次々と亡くした。そんな中明るく支えてくれたのが妻泰子。
河内貯水池完成の翌年に、白山宮の参道に隣接した土地を自費で購入し、
妻泰子への感謝と哀悼の想いをこめて妻恋の碑を建てた。
【漢文】
愛する妻の魂はどこにあるのか。麗しきあの人と今は世を隔て、
素晴らしき日々は夢に帰してしまった。散り行く桜の前にたたずむと断腸の思い。
【英 文】
THROUGH WHOSE SELF-SACRIFICE AND UNDER GOD’S BLESSING
I HAVE ENABLED TO CONSTRACT KAWACHI WATER WORKS.
この神社は今でも地元の人達によって清掃され、更に泰子さんの為にと
花も植えられている。
●河内貯水池にかかる橋
それぞれの場所の景観に合わせて作った橋。
①太鼓橋
スパン28m、最少厚さ20cmの薄っぺらい板の橋、スパン/最少厚の比が140という
世界的にも類の無い橋。80年経った今でもヒビ一つも入っていない沼田尚徳の傑作品。
コンクリートで覆った橋。
鉄で強度を持たせ、コンクリートで座屈や錆を防止した。
●河内桜公園
春になると、桜の咲き誇る花見の名所です。堰堤の下流側に位置しています。
桜公園の地図 桜吊橋
弁 室 亜字池(浄水場)