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小倉城

九州の全ての道は小倉から通ず
 
●当初の小倉城
1569年(元禄12年)中国地方の大名・毛利元就が九州に侵攻した際に築かれた。
その後1587年(天正15年)に豊臣秀吉が九州平定に折、毛利勝信に田川・企救
6万石を与え小倉城に城主にした。

●小倉城改築

細川忠興が関が原合戦の功績によって、1600年に豊前国主として最初に中津に入国、
中津城を居城とした。
しかし領国支配に中津城は不敏なため、九州の玄関口で水陸交通の要衝だった
小倉に移るために1602年約7年の歳月をかけ1602年(慶長7年)から7年の歳月をかけて
改築し、1609年(慶長14年)に完成した。
     

●改築時の小倉城

本丸は北側東西約180メートル、南側で約86メートルの規模で、本丸を取り囲むように
松の丸、二の丸が配され、二重、三重の堀が巡らされているとともに、
板櫃川と紫川を外堀とされた。


紫川を挟んで城下町が東西に分けて作られ、東はおもに町人や下級武士が住む町、
西は武家屋敷とされた。これが現在の小倉の中心市街地の基盤で、
魚売りが住んでいた「魚町」、米屋が住んでいた「米町」など町名に城下町
だったころの名残を見ることが出来る。

●徳川家康に配慮した天守閣
全国でも3城しか確認されていない珍しい「唐造」という技法の天守閣。
最上段を下段より大きくつくりその間の屋根を省略した。そのため見た目は
5層であるが、内部は6層となっている。俗にいう南蛮造り。
 
見た目は不安定な印象を与えるが訳がある。
忠興は江戸幕府では外様であり、新参の大名であるため、諸大名が力を持つことを
嫌った家康に配慮して、本来は6層なのを5層に見せる唐造技法を採用した。

●小笠原氏の入国
1632年に肥後国の加藤忠広が改易された後に細川忠興が転封した。
その後播磨国から小笠原忠真が入り、以後小倉藩主の居城となる。
1837年に本丸御殿と天守を焼失し、その後天守は再建されなかった。
1866年、第二次長州征伐で小倉藩と長州藩が戦闘した際、小倉藩は長州藩の
攻撃の前に撤退を余儀なくされた。
その際小倉城に火が放たれ、城の大部分の建物が焼失した。
 


その後市民からの熱烈な要望もあり、1959年(昭和34年)に再建され
現在の姿によみがえった。
 

アクセス
JR小倉駅から徒歩15分、西小倉駅から徒歩10分
営 業
4月~10月:9:00~18:00
11月~3月:9:00~17:00
電 話
093-561-1210
入場料
大人:300円、中学生:200円、小学生:100円
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