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明治日本の産業革命遺産 / 明治専門学校

明治専門学校の開校を機に産業が急速に発展 

 
日本の産業発展に、理想的な工業技術者の育成を目的として、安川敬一郎と松本健次郎親子が
1909年(明治42年)設立した。
初代総裁に山川健次郎を迎え、「技術に堪能なる士君子」の養成を掲げた。

  


これを機に、北九州で多くの会社が誕生し、日本の産業がこの地北九州で急速に発展していった。

1949年(昭和24年)現在の九州工業大学となり現在に至る。

明治専門学校が、産業発展に大きく寄与しており、世界遺産登録の一つの功績となっていると
言っても過言ではない。

 

明治日本の産業革命遺産/集成館事業

明治日本の産業革命は鹿児島から始まった。

1840年からのアヘン戦争でイギリスが中国を占領する、それと同時期に琉球に
多くの外国船が入ってくるようになった。
そこで日本の危機を感じたのが薩摩藩に島津斉彬。

 
そして1951年に集成館事業を始める。 これが日本の産業革命の始まりである。


NPO法人 九州・山口産業遺産協議会では、明治日本の産業革命遺産を
たっぷり紹介します。
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NPO 法人九州・山口産業遺産協議会

NPO 法人九州・山口産業遺産協議会

FBページをつくりました。

世界遺産として登録された明治日本の産業革命遺産を広く紹介する
活動を行っております。

  

 
下記URLをご覧ください。
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新日鐵OBによる世界遺産ガイド

新日鐵OBによる世界遺産ガイド

1901
年に操業を開始した当初はドイツから技術導入したが、それ以降独自に技術を常に
開発していきながら、常に日本の先頭を走りながら、世界一の工業立国を作り上げた。
その産業発展の真っ只中で、操業や設備の開発に日夜携ってきた男達が世界遺産の
ガイドを行います。

  

 

●案内する場所
下記の場所を案内しながら、製鐵所設立の経緯、製鐵所発展の歴史(操業当初の苦難、
戦争時の苦難、公害克服の取組、世界一の鉄鋼会社への道のり)なども紹介していきます。
八幡泊地→世界遺産・旧本事務所→北九州イノベーションギャラリー→東田第一高炉
 
  

●構成メンバー 現在9名

全てのメンバーが産業発展を中心的に推進してきた。製銑設備の操業技術の改善開発や
製鉄設備の開発に携ってきた男たちで、その経験を基にものづくりの真髄を紹介します。

 

●料 金
日程、時間、人数によって異なりますので下記へお問合せください。

 

お問合せ   (日本語又は英語で対応します)           
ジャパン九州ツーリスト(株) 福岡県知事登録旅行業 第3-688
電話 093-521-8897   FAX 093-521-8898
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 info@japan-kyushu-tourist.com
802-0001
福岡県北九州市小倉北区浅野3-8-1 AIMビル6
 

 

沼田尚徳 / 製鉄発展の礎を築いた男

製鉄所の発展の礎を築いた男 沼田尚徳の偉業
 
当時建設中の官営八幡製鐵所に入社し、30年余にわたり土木技師として辣腕を振るい、
製鉄所のみならず北九州工業地帯の基盤となる土木工事を次々と成功に導いた。
中でも工業用水と水道用水供給の為に北九州郊外に建設した河内ダムは
当時東洋最大級の規模を誇り、日本を代表する近代化産業遺産のひとつとして世に知られている。
   
 
その沼田尚徳の功績を紹介します。
 


水戸藩の沼田家

1875年(明治8年)、水戸藩に代々仕えた武家の家系で生まれた。
沼田家は尊王攘夷派/天狗党結成の発起人の一人である伯父沼田順次郎、
藩幹部の筆頭書記官で祖父沼田久次郎を持ち、そして祖父とともに「大発勢」と呼ばれる
討伐隊に加わり、明治維新後は教育者の道を歩んだ沼田順三郎の長男として生まれた。
 


青年時代

1894年(明治24年)旧制第一高等中学に入学、そして新たに新設された京都帝国大学に
1897年(明治30年)に入学し土木技術や鉄筋コンクリート技術学び、更に水道施設や
琵琶湖疏水などの技術にも関心を持っていたと言われている。
 


官営八幡製鐵所に入社

1900年(明治33年)に京都帝国大学を第一回生として卒業、当時建設中だった
官営八幡製鐵所に土木技師として入社した。
    
1901
年(明治34年)に東田第一高炉に火が入り、日本で初めての銑鋼一貫製鐵所が
操業を開始する。
 
1902年(明治35年)に技師を命じられ、1911年(明治44年)に修築科長となり、
1915
年(大正4年)にはアメリカとイギリスに出張した。
  
手がけた工事は繋船壁築造工事に始まり、40万坪の洞岡埋築、くろがね線建設そして
河内貯水池や養福寺貯水池建設といずれも当時の日本で最大級の土木工事ばかりである。
 


最初の挫折

1916年(大正5年)に竣工した下大谷貯水池が、わずか1ヶ月余りの後に豪雨で脆くも決壊し、
製鉄所や付近の住宅地域に多大な被害を及ぼし住民
1名の尊い命を奪う大惨事を引き起こした。
事故の原因は堰堤の強度不足であった。事故により尊い命が犠牲になったことが大きな
心の痛手となり、その後この教訓から、建設現場を自らの足で歩き自分の目で確認する
現場第一主義の仕事スタイルを育んでゆく。
 


渾身の大事業、河内貯水池 「土木は悠久の記念碑」

製鉄所第三次拡張工事での水源地拡張対策の一環として1919年(大正8年)に竣工し、
8年の歳月をかけて1927年(昭和2年)に完成した。
当時は東洋最大級のダムで、「土木は悠久の記念碑」というヨーロッパの土木哲学を具現化すべく
英知と情熱を注いていく。
 
かつてに河内は製鐵所から南10㎞ほど谷あいの31戸が暮らす自然豊かで平穏な農村、また都市の児童の
山村留学も受入れている教育先進地域。
   
その人達に立退きを快く応じてもらい、当時西日本最大の大事業が始まる。                        
ダムには当時最新の土木技術をふんだんに用い、一方で現場の石材や自社鋼材を用いた独自の
設計で土木構造物への新しい挑戦をした。更に環境にも優しい工法を積極的に採用し、
将来市民の憩いの場所をすべく、橋から取水塔、管理事務所に至るまで欧米風の洒落たデザインを凝らした。

このことは、先祖代々の土地と故郷の美しい自然を提供し、建設に協力を惜しまぬ村人へ何としても
恩返しでもあった。
安全管理でも最新の配慮がなされ、当時の西日本最大級の難工事にも関わらず8年の建設期間中1名の
死者も出さなかった。
80年経過した今でも給水の本来の機能を果たしながら、憩いの場として多くの人達の親閉まれている。

独特の英知を凝らして作った堰堤 ヨーロッパの古城をイメージ当時コンクリートは高価の為、
粗石を混ぜて使用、銅板を内部に入れた伸縮継手で亀裂を防止した。  

工事段階での型枠代わりに石壁をつくり、ダム完成の耐久性を確保。     
使用した切石は12万個、加工時発生した小さな石も、付帯建築物に張付けて美観に
優れたダムを
作り上げた。
  

河内貯水池にかかる橋
自然との調和をコンセプトにし、当時の技術を結晶し、創意工夫して設計で、
それぞれの場所の景観に合わせて作った橋をつくっている。
  
その代表的なものが、日本で唯一残るレンティキュラー・トラス橋(レンズ型のトラス橋)の南河内橋である。 
この形と色が実に自然と調和し、鉄の街八幡のシンボルとなっている。

悲しみを乗り越えて 
建設中、沼田尚徳は現場では明るく振る舞っていたが、数々の悲しみを心に押し潜めていた。
山の神はこの大事業と引き換えにかけがえのない家族を貢ように強いていたようでもあった。
父そして5人の子供を次々と亡くした。そんな中明るく支えてくれたのが妻泰子。
しかし、最愛の妻もダムの完成を待たずして猩紅熱でこの世を去ってしまった。    
その後母も亡くなり、家族をダムが人柱として飲み込んでしまったような悲劇であった。
  
河内貯水池完成の翌年に、白山宮の参道に隣接した土地を自費で購入し、
妻泰子への感謝と哀悼の想いをこめて妻恋の碑を建てた。
 


企業利益より社会貢献 沼田尚徳の美学

実直でロマンティストの沼田尚徳は、営利栄達にはあまり縁がなかった。これほどの大事業を成功させ、
製鉄所と八幡市の発展の礎を築いき、勲三等瑞宝章まで授与され、製鉄所では土木部長でありながら
製鉄所長官に次ぐ処遇を受けていた。
にも関わらず、1930年(昭和5年)に55歳の誕生日を待たずして静かに勇退した。
その後、八幡、戸畑、若松市の委託として三市の上水道整備を指導し多大な貢献をし、
日本最大の軍事工場であった小倉陸軍造兵廠の土木関連業務も手がけたが、
1934年(昭和9年)に全ての職を辞し田舎に陰棲した。
 


遠 想

河内貯水池の堰堤を見下ろす小高い場所にヨーロッパの古城を模したと言われる管理事務所が建っている。
その出入り口に沼田尚徳の「遠想」の言葉を刻み込んだ石の掲額が残されている。
ここから河内貯水池を静かに見下ろしながら、遠く未来の想いを馳せているに違いない。
その未来の姿はどのようなものであったのであろうか。それは百年経った今でも人々の
潤し続ける河内貯水池の姿、そして彼が残した礎の上にいつまでも成長を続ける
日本の未来だったのではなかろうか。
 


本投稿は、西日本ペットボトルリサイクルの千々木亨氏の論文 鉄都に生きる男たちから
引用させてもらいました。

皿倉山からの日本一の夜景

                                                                                                                                

                                           皿倉山から見た北九州

日本一壮大でダイナミックな北九州の夜景
まるで地上に満天の星を散りばめたような皿倉山の夜景。
高さ622mの山頂から望む夜景は最高に幸せです。

西は遠賀川、八幡西区、八幡東区、若松、小倉北区、門司、小倉南区そして山口県まで一望できる。
とても一枚の写真には納まりません。

海岸線に拡がる工場群、そして内側に入って商業地域、住宅群から発する無数の光。
まるで、天の川が地上にあるみたい。
 
日本の近代製鉄が1901年に操業を開始した八幡の東田地区
   

遠賀川、八幡西区、八幡東区、若松、小倉北区、門司、小倉南区そして山口県まで一望できます。
西から東へ、山頂から220度の大パノラマの夜景をご覧ください。

     遠賀川        堀川            折尾             黒崎  

      洞海湾                               八幡 東田                                        

       戸畑         門司      小倉北区                      小倉南区                     苅田

また眼下に拡がる昼間の景色も圧巻です。 

 

世界遺産ツアーを実施しました 10月29日

 

製鉄所のおひざ元・八幡東区の皆さんの世界遺産ツアー
実施日 2015年10月29日(木)
参加者 44名

 

 

常に日本の先頭を走り続けている北九州。
北九州でどのようにして日本の産業が発達していき、世界遺産登録に繋がったか。
製鉄所設立の経緯、戦争の苦難をどのように乗り越え、環境問題をどのように解決し、
世界一の工業立国になったのかをたっぷり紹介しました。

 

行 程
平野出発

安田工業→八幡泊地→世界遺産・旧本事務所→北九州イノベーションギャラリー

東田第一高炉→洞海湾クルージング→かねやすで昼食→軍艦防波堤→わかちく史料館

旧古河鉱業ビル

平野解散

 

 

 

 

  

 

 

 


 

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NHKで北九州の魅力が紹介されます

常に日本の先頭を走り続ける北九州

その北九州の魅力がNHKの総合テレビで紹介されます。
・番組名 サキどり
・放送日 11月1日(日) 朝8:25 〜8:55

 
左から、片山アナウンサー、ジャパン九州ツーリスト㈱ 近藤、片岡解説委員

一般に、工業の街とか九州の玄関口としてしか知られていない北九州市。
しかし、そこには他の地域にない、沢山の魅力を秘めた街です。
   

日本で初めて、銑鋼一貫の近代的な製鐵業が始まり、そして様々な産業がこの地で生まれた。
それから、日本の産業発展がこの地で行われた。
常に先頭を走っているゆえに、誰よりも先に公害を経験し、それをこの地で環境問題を解決した。
そこで生れた環境技術を基に、リサイクル事業や環境対策事業を展開している。

また、この町は単なる工業や環境の街だけではない。
自然環境に恵まれ、太古の昔から多くの人々が生活を営んでいる街、漁場や農業も盛んである。
古くから受け継いできた伝統文化もある街。

そんな北九州アナウンサーと解説委員が旅をして、その魅力がたっぷり紹介されます。
旅の始まりは皿倉山、そして私は洞海湾をクルーズ船で巡りながら案内します。

どんな旅になるか? ご期待ください。

世界遺産ツアー ~世界遺産巡り&洞海湾クルージング〜

世界遺産ツアー
 世界遺産巡り & 洞海湾クルージング
 
地上から日本のさんぎゅ発展の足取りを辿り、そして洞海湾クルージングで石炭産業との
関わりに触れましょう。

   
    旧本事務所           東田第一高炉         洞海湾クルージング


●行 程   

  9:00 JR小倉駅新幹線口出発 ===  都市高速(小倉駅北IC→大谷IC → 枝光IC) === 
  → 3つの世界遺産 旧本事務所旧鍛冶工場修繕工場 (車窓から案内) → 
  安田工業(洋釘づくりのパイオニア)車窓から案内  →  八幡泊地(堂山製品岸壁)
 →  旧本事務所・世界遺産眺望スペース → 東田第一高炉  → 昼食 → 
 洞海湾クルージング (若松→奥洞海→葛島→八幡泊地→若松) → 15:30頃 JR小倉駅解散


●基本条件 
・25名以上の団体のお客様のオーダーメイドツアー。
・日程:要望に応じて設定します(土・日・祝日でも可)

 ・最少催行人員:25名 最大45名
 ・交通手段: 貸切バス利用
 ・ツアーの案内:新日鐵OBのガイド付
 ・出発場所:北九州市内のご要望の場所 
 ・昼 食 : 大谷会館、千草ホテル、ママの餃子、アルモニーサンクからお選び下さい。


●料 金  日程と人数によって異なります
 目安 5,500円〜7,000円/人 
 料金に含まれる項目:貸切バス代、有料道路代、駐車場代、洞海湾クルージング代
               昼食代、ガイド代、旅行保険代     
 *条件に合わせてお見積りを提示します。


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世界遺産の謎に迫る/製鐵所操業開始までの紆余曲折

日清戦争前の「野呂景義」が作成した製鐵所建設構想はどうなったか。
紆余曲折の中で邁進した、初代製鐵所長官の和田維四郎」の功績
  
軍備増強と産業資材用鉄鋼生産の増大を図るため、1896年(明治29年)に第9回帝国議会で
製鐵所建設の「創立案」の予算が承認された。
その内容は日清戦争前に野呂景義が提案した製鐵所建設構想と異なり、
和田維四郎(わだ つなしろう)による、銑鋼一貫の巨大製鉄所構想であった。
   
   和田維四郎          野呂景義
そして、本格的に製鉄所建設の取組が行われる。
和田維四郎は初代長官の山内提雲の後任で、2代目の長官となり、製鉄所創立に対して
中心的な役割を果たす。
技監は本来なら、日本で初めてコークス炉を使った製鉄法を成功させ、日清戦争前まで
製鉄所建設構想を作り上げた「野呂景義」が考えられるが、初代長官の山内が、
「大島道太郎」を任命した。
大島道太郎は、近代製鉄の父・大島高任の長男。
 
その年の1996年(明治29年)に製鉄所立地場所の検討が始まり、和田道太郎を中心に
調査が行われ、最終的に
189726日に「官営製鉄所は福岡県下筑前国遠賀郡八幡村
と決定された。 決定の経緯
 
その決定と同時に、和田が初代製鉄所長官に就任し、ドイツのGHH社設計の製鉄所建設が始まる。
そしてドイツ人技師を雇い入れて指導を仰ぐ。
1899年(明治32年)には、中国の大治鉄鉱石の輸入契約を締結し、また安川敬一郎が経営する
二瀬炭鉱を買収し、原料供給上の基礎を開いた。
 
そして、1901年(明治34年)に我が国最大となる、八幡製鐵所の東田第一高炉に火が入り
製鐵所の操業が開始させた。

和田維四郎は日本鉄鋼協会から「故製鉄功労者」9名の中の1人として表彰された。
その功績
①製鐵所構想案を拡充する「設立案」の策定
②外国人技師・職工長の雇入れ
③原料の確保
④建設工事の推進と作業開始式挙行
⑤販売などの運営方針策定
    
しかしながら、決してここまで順調に進んだものではなく、生産量や設備仕様決定が紆余曲折し、
試行錯誤で日々が苦労の連続。
そして建設工事の遅れと作業開始式を並行して進行しなければならず、建設費の増額による
財政難に陥った。
作業開始式の不手際が議員に不評を買って、和田維四郎は長官を辞職した。
 


【遺産の裏側に隠された物語】
 
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