日本の産業近代化に貢献した北九州の歩み
北九州がつくった日本の産業近代化の礎
北九州を舞台とした 日本の産業発展の道のり!
北九州の歴史を辿れば、日本の産業発展の道のりが見えてくる。
この資料は、産業近代化視点から、ジャパン九州ツーリスト株式会社が独自で歴史を
調査・研究して、「日本の急速な産業発展」として編集したものです。
産業近代化の歩み
製鉄・鉄鋼産業に焦点を当て、どのようにして世界一の工業立国となったか
堀川の建設から、筑豊炭鉱との関わりも含め、現在の環境未来都市・北九州までの歴史を
紹介します。
●堀川の建設 1621年(慶長5年)~1801年(寛政13年)
遠賀川周辺の洪水対策として人口の河川・堀川が1621年から180年の 歳月をかけて1801年に完成。 |
●筑豊炭鉱 1700年代(江戸中期)~1976年(昭和51年)
室町時代に香月で発見、江戸中期から塩田用燃料として炭鉱開発が 始まり、1872年(明治5年)鉱山解放令から筑豊御三家(麻生太吉、 貝島大助、安川敬一郎)を中心に急速に鉱山開発が進み、戦前は日本 最大の産炭地。1976年(昭和51年)貝島炭鉱閉山を最後に筑豊炭鉱の 幕を閉じる。 |
●門司港 特別輸出港に指定 1889年(明治22年)産業近代化の起点
石炭・米・麦・硫黄・麦粉の5特定品目の特別輸出港に指定され 築港工事が開始された。 としての歴史が始まる。 |
●九州鉄道開通
1891年:九州鉄道の起点門司駅が開設(現在の門司港駅の東側) 門司港が石炭の積出港として繁栄。 1914年:2代目の駅舎が完成し門司港駅と改称、駅舎として初の 重要文化財に指定 |
●石炭積出港・若松 1890年(明治23年)~1898年(明治31年)
1890年:若松港築港開始 普通の漁村にすぎなかったところを、石炭の積出港として築港、 最盛期には日本一の貨物取扱量を誇った。 1891年:筑豊興業鉄道が石炭専用の運搬鉄道 直方〜若松間が開業 |
●製鐵所建設計画 1891年(明治24年)に開始
中国で製鉄所建設され、日本の製鉄所建設に拍車がかかる。 日清戦争後、1896年に和田維四郎により、大幅に製鉄所建設計画を 変更し、年間9万トンとした。 |
●建設場所が八幡に決定 1897年(明治30年)
全国で17ヶ所選ばれ、門司の大里が第一候補地となる。 安川敬一郎が政治化を動かす。当時は自然豊かな寒村、芳賀種義八幡村長が、『八幡村に製鉄所を、日本の鉄づくりは八幡から』熱心に村民を説得 し広大な土地を売り出し、 1897年八幡村に決定 |
●製鉄所建設 1897(明治30年)~1901年(明治34年)
長閑な寒村だった八幡村の地に、わずか3年間で製鐵所を完成させる。 軌条ロール工場、大型ロール工場、中型ロール工場、小型ロール工場、 薄板ロール工場、高見貯水池、炉材工場他 |
●東田第一高炉火入れ 1901年(明治34年)
ドイツのGHH社の技術で設計・建設そして操業を開始するも、 故障の連続で惨憺たるすべり出し。 |
●鈴木商店 門司に進出 1904年(明治37年)~
国際貿易港として繁栄していくなか、製鉄所建設の候補地ともなった 門司・大里地区に神戸の貿易商鈴木商店が進出してきた。 1912年:帝国麦酒(現在のサッポロ) |
●八幡製鐵所/第一次拡張期 1906年(明治39年)~1910年(明治43年)
日露戦争が膨大な軍事物資供給が必要となり、鋼材生産量年間18万トン に拡張。 八幡泊地 |
●八幡製鐵所/八幡泊地 1906年(明治39年)~1925年(大正14年)
原料の荷卸し、成品の積出の為に岸壁が建設された。 1920年:中央岸壁 1922年:堂山製品岸壁及び松ヶ島岸壁 |
●安田工業 八幡で洋釘造りを開始 1908年(明治41年)
897年(明治30年)、安田財閥の創始者・安田善次郎が、東洋で初の 釘製造を決意し、東京深川で、東洋初の洋釘の製造販売を開始。 国産線材を使った洋釘づくりが始まる。 |
●明治専門学校の開校 1909年(明治42年)
日本の産業発展に、理想的な工業技術者の育成を目的として、 安川敬一郎と松本健次郎親子が設立した。 掲げ、その後の産業発展に大きく貢献、1949年(昭和24年)現在の 九州工業大学となる。 |
●八幡製鉄所/遠賀川水源地ポンプ室(世界遺産) 1910年(明治43年)
製鉄所拡張計画に伴い、大量の水が必要となり、遠賀川から製鉄所まで 水を送るため、遠賀川水源地ポンプ室が造られました。 現在も現役として稼働中。 |
●八幡製鐵所/第二次拡張期 1911年(明治44年)~1915年(大正4年)
日露戦争後、鉄道、造船更には工場・道路・港湾等の整備のための 鋼材需要が大きく伸び、鋼材の年産30万トンに能力アップ。 東田第4高炉を中心として、製鋼・圧延部門を増強。 |
●多くの企業が北九州で誕生 1910年(明治43年)~
1910年:森田範次商店(現在のシャボン玉石けん) |
●八幡製鐵所/第三次拡張期 1918年(大正7年)〜1929年(昭和4年)
第一次世界大戦下の輸入断絶、民間需要拡大に対応するために、 年産75万トンに能力アップ。 珪素鋼板工場、河内貯水池、養福寺貯水池他 |
●他の製鉄会社の創業 1917年(大正6年)、1918年(大正7年)
日本の鉄鋼需要増大に伴い下記の製鉄所が北九州で生まれた。 現在の日本製鉄 |
●八幡製鐵所/本事務所移動 1922年(大正11年)
・初代本事務所:1899年に建設された赤煉瓦2階建て、製鉄機械同様に ドイツの建築様式を取り入れた。当時としては、最もバタ臭い (西洋風)なものであった。 全てを八幡製鐵所のものを使ったルネッサンス様式の3階建ての モダンな事務所。1922年から使用された。 |
●八幡製鐵所/河内貯水池 1919年(大正8年)~1927年(昭和2年)
土木技師・沼田尚徳の指揮のもと、8年の歳月をかけて完成させた、 自然と調和した、第一級の近代化産業遺産。 完成当時は東洋一のダム。 |
●八幡製鐵所/くろがね線 1927年(昭和2年)~1930年(昭和5年)
3年の歳月をかけてつくった、八幡と戸畑地区を結ぶ製鉄所専用の鉄道。
その工事は製鉄所の社員で行い、中間地点に当たる総延長1180mの 宮田山トンネルは出水等に見舞われて難工事だった。 |
●初回の八幡空襲 1944年 (昭和19年)
B29による日本本土の最初の空襲が八幡製鐵所を標的としたもので、 6月16日、そして8月20日に人命と設備に甚大な被害をこうむった。 東田・洞岡コークス炉、鋼板工場、西田発電そして動力・ガス・水道 電話などが寸断。 また同時に北九州5市全土に多大な被害があった。 |
●終戦前の八幡大空襲 1945(昭和20年)年8月8日
一瞬にして目の前が煙で覆われた。2500人もの尊い命が一瞬で奪われ、 町や工場も壊滅状態。 しながら危機を乗り越えた。 |
●長崎に原爆投下 1945年 (昭和20年)8月9日
小倉が第一目標地であったが、前日の八幡大空襲の煙及び製鉄所からの 煙幕により、小倉が視界不良で造兵廠の場所が特定できなかった。 そのため急遽、第二目標地の長崎に変更し、11時2分、長崎に投下、 街は壊滅的な被害を受け、多くの尊い人命が奪われた。 そして、8月15日に終戦を迎える。
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●環境問題 1950~60年代
当時公害を防止する環境対策技術がなく、国内最悪の大気汚染と死の海と化した洞海湾。
市民運動を発端に、世界でも類の無い方法で、官・学・企業をあげた取組で公害対策を行った。
1987年(昭和62年)に、環境庁の「星空の街コンテスト」で大気環境が良好な「星空の街」に
選定され公害克服が証明された。
1950年代の東田 1960年代の洞海湾 洞海湾浚渫
●若戸大橋開通 1962年 (昭和37年)
洞海湾に架設された、若松と戸畑を繋ぐ我が国最初の吊り橋。 リベット継手を使用した構造。 |
●北九州市発足 1963年 (昭和38年)
各地で産業が発達し、5市が誕生。 1899年:門司市、 1900年:小倉市、1914年:若松市、1917年:八幡市、1924年:戸畑市 発揮し、一体感のあるまちづりをすべく、1963年に北九州市が誕生。 |
●1970年代の様子
2代目本事務所 皿倉山から望む八幡製鉄所
●八幡製鐵所/東田第一高炉(第10次) 1972年(昭和47年)吹止め
1962年に第10次の改修工事を行い、24時間365日休みなく10年間操業を 続け、高炉の神様田中熊吉が生涯を全うするのと同じ年の1972年に吹止 され、日本近代製鉄の聖地・東田の高炉の幕を閉じた。 現在高炉設備一式が、そのまま完全な状態で保全されている、 世界で唯一の遺産。 |
●関門橋開通 1973年 (昭和48年)
関門海峡の下関市壇之浦と北九州市門司区を結ぶ、開通時点では 日本最大規模の橋。 |
●八幡製鉄所/戸畑へ鉄源集約 1976年(昭和51年)
八幡の洞岡高炉群、焼結工場、コークス工場及び東田の製鋼工場の全ての 工場を休止。八幡地区は、圧延工場だけを残す。 若松に焼結工場を新設。 |
●北九州市ルネッサンス構想 1994年 (平成6年)~
1901年に製鐵所が操業を開始し、日本の産業発展を礎を築いた場所、 1972年に東田第一高炉が休止後東田地区及び洞岡地区の製銑・製鋼関連の 工場休止に伴い、広大な120ヘクタールが遊休地となった。新日鐵は道路、電気、ガス、等のインフラを整備し、北九州市ルネッサンス構想を基に 新しいまちづくりが始まる |
●北九州エコタウン 1997年 (平成9年)
あらゆる廃棄物を他の産業分野の原料として活用しする、リサイクル事業に
1997年に川取り組む企業団地で1997年に日本で初めて承認を受けた。
北九州エコタウンセンター 風力発電 九州製紙
●現在の北九州市 世界を牽引する環境都市
2008年(平成20年):環境モデル都市に認定、
2010(平成22年):アジア低炭素化センターを開設、
2011(平成23年):「環境未来都市」やOECDからアジア初の「グリーン成長モデル都市」
に選定。日本の近代産業の礎をつくった北九州市、世界の低炭素化社会実現に向けた牽引役
としての新たな挑戦が行っています。
平尾台 八幡、若松地区 洞海湾
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