門司港の魅力
紺碧の関門海峡と調和した門司港レトロ地区に建ち並ぶ建物たち。
門司港の歩み
①門司港開港
門司港が1889年(明治22年)に石炭・米・麦・硫黄・麦粉の5特定品目の特別輸出港に指定され
築港工事が開始された。
金融機関や商社・海運会社の支店が相次いで進出し、外国航路の港としての歴史が始まる。
②九州鉄道
・1889年(明治24年) 九州鉄道の起点門司駅が開設(現在の門司港駅の東側)
本社を博多から門司に移転し、門司~博多~高瀬間が開通
九州鉄道本社(現九州鉄道記念館) 九州鉄道の起点 0哩標
・1897年(明治30年) 筑豊鉄道を吸収合併し、筑豊炭坑からの石炭輸送を可能とし、
門司港が石炭の積出港として繁栄する。
・1901年(明治34年) 関門連絡船が運行し、本州と鉄道で結ばれ、人の行き来が増える
・1907年(明治40年) 国有化される
・1914年(大正3年) 新駅舎が完成(現在の門司港駅)
・1942年(昭和17年) 関門鉄道トンネルが完成し、門司駅を門司港駅と改名
・2003年(平成15年) 九州鉄道記念館開設(旧九州鉄道本社を利用)
●日本郵船ビル
門司支店となり、門司港駅正面に建つビルは1925年(昭和2年)に建設された4階建ての
アメリカ式オフィスビル。
装飾様式とは対照的で、基本形の反復、同心円、ジグザグの幾何学的なデザインを基調とした様式。
1909年(明治42年)に門司税関となった。
落ちたこともあり、文化財としての評価も地に落ちていて解体寸前のところを、
門司港レトロ事業でリニューアルされた。
白色帯が入ったデザインの外観と、八角形の塔屋が印象的。
支店長室、電信室などがあった。
役割をしていた。
きっとこの待合室も期待と不安に駆られながら旅立つ人々の話声で賑わっていたのではなかろうか。
で1994年(平成6年)に現在の場所に移築された。
外観には高原のロッジを思わせる雰囲気である。
日本では大正期に流行した様式。
宿泊した話は有名であるが、その部屋も当時のままに保存されている。
当時この建物は錦町の坂道を田ノ浦方面に向かう谷町にあったから、博士夫妻も桟橋通りを
人力車に駆け抜けたのではなかろうか。
④大連への旅立ち
二階は待合室になっており、当時船が上屋の脇に接岸出来たため、乗客は二階から直接乗船できた。
連なって停泊し、石炭ボイラーの黒い煙をモクモクと吐きながら出航を待つ雄姿を見ることが出来た。
別れの悲しみに変わり、船が港を遠ざかる光景が目に浮かぶ。
⑤門司の歴史を見続ける清滝
●門司区役所
1930
外観は門司の繁栄を物語るようなセピア色のレトロな役所である。
1894年(明治27年)、文字ヶ関村が門司町となり、その役場は桟橋通り交差点の南東角に造られた。
そして1899年(明治32年)北九州5市で最初に市制が施行され門司市となり、1898年(明治41年)に
現在の位置に移設開設された。移設当時は木造二階建ての質素な建物であった。
●三宜楼
1955年(昭和30年)ごろまで営業していた。
優雅で豪華な建物。
建物の2階には百畳の間と呼ばれる64畳の大広間と舞台があり、石炭業、海運業関係者らの
宴が多数開かれていた。
出光佐三や陸軍上層部、中野真悟など北九州の名士も足を運び、歌手・東海林太郎、
喜劇俳優・古川ロッパ、俳人・高浜虚子の足跡も残っている。
北九州市に寄贈され、2014年(平成26年)に改修工事が完了し、50年ぶりに営業を開始した。