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産業近代化に貢献した先人たち

                                      

日本の産業近代化に貢献した、北九州の先人たちを紹介します。

 

1. 野呂 景義 Noro Kageyoshi 八幡製鐵所の操業基盤を創った近代鉄鋼技術の父

1854年名古屋橦木町生まれ、東京大学で採鉱冶金学科を学び1882年に卒業。1885年5月から

ヨーロッパに留学し、機械工学、電気工学更には冶金学を学んだ。

1901年にドイツ技術の粋を集めた官営八幡製鐵所が操業を開始したが、その滑り出しは

惨憺たる状況で、わずか3ヶ月で休止した。その危機を救ったのが野呂景義。原料を含め

徹底した原因調査と、日本の条件に合わせた設備改造を行った。その汗と努力が実を結び、

鋼材生産高は著しく急増し、日本の国づくりに大いに貢献することになった。

 


 

2. 鮎川 義介 Aikawa Yoshisuke 戸畑の発展に寄与し、日産コンツェルン形成
1880年、山口市で生まれ。長州藩士と、明治の元勲・井上馨の姪の長男。東京帝国大学卒業後、
芝浦製作所(後の東芝)に入社したが「日本の機械技術に独自のものはない」と渡米。鋳物会社で
当時の最新の可鍛鋳鉄製造技術を習得。帰国後1910年、29歳で北九州市戸畑区に戸畑鋳物㈱
(現・日立金属㈱)設立。資本を大衆から集めて日産自動車を始めとした日産コンツェルンを形成、
『日本資本主義の父』。戸畑漁港発展の先駆けとなる戸畑冷蔵を設立、その後の共同漁業
(後の日本水産)の下関からの移転に結びつく。

 



3. 浅野 総一郎 Asano Soichiro 一代で関連企業50社以上の浅野財閥を築く
1848年、富山県氷見市生まれ。村医者の息子。24歳で上京して一杯一銭の水売り商から始め、
多量のコークスをセメント工場へ売り込んだことが契機となり、後にセメント事業を興し、

海運業、石炭業、港湾事業など次々と新しい事業を拡大。『明治のセメント王』と言われ、

一代で関連企業50社以上の巨大な浅野財閥を築いた。1893年浅野セメント㈱門司分工場を設立、

1918年東京製鉄㈱小倉製鉄所の経営を引受け、浅野製鋼所㈱を設立(後の住友金属工業㈱

小倉製鉄所)、小倉築港事業に関わり、地域の経済発展にも大きく貢献した。

 



4. 安川 敬一郎 Yasukawa Keiichiro 世界のYASKAWAを一代で作り上げた実業家
1849年、福岡城下生まれ。黒田藩士の足軽で儒学者・徳永省易の四男。16歳で安川岡右衛門に
婿入り、18歳で四女の峰と結婚。藩校修猷館に学び、京都に留学。23歳で慶応義塾に入学。
帰郷後、炭坑経営に着手。好況・不況の波の中で、筑豊炭田御三家(安川、麻生、貝島)

として、政財界でも活躍。明治初期における日本工業近代化を支えた「地方の活力」の一つ、

「地方財閥の雄 安川・松本家」を一代で作った実業家。1908年明治専門学校を自己資金で開校、

教育にも力を注ぎ、現在の九州工業大学につながった。

 



5. 松本 健次郎 Matsumoto Kenjiro 父・敬一郎とともに北九州の発展に寄与
1870年、福岡市生まれ。安川敬一郎の次男。1890年、伯父・松本潜の養子となる。2年間の

アメリカに留学後、父・敬一郎が経営する炭坑業(のちの明治鉱業(株))に入り、父の協力者

として事業を推進。自ら貿易や電機、製鋼、窯業などの事業を興した。1918年、黒崎窯業㈱

(現在の黒崎播磨㈱)設立。明治鉱業(株)、安川電機(株)、九州製鋼(株)などに関わり、

北九州の地域発展・産業振興に尽力。1907年、父・敬一郎とともに私財を投じ、明治専門学校

(現在の国立九州工業大学)設立、次代の技術者教育・育成にも力を注いだ。

 



6. 金子 直吉 Kaneko Naokichi 鋭い先見性を持ち、あらゆる新規事業を生み出した
1866年、土佐生まれ。土佐藩領内商家の子。丁稚奉公先で法律、経済、工学、理学などを学んだ後、
鈴木商店へ。当主が若くして亡くなった後、番頭としてその再建を担う。「これからの日本は

工業である」という、時代の先見性から製鉄、人造絹糸、酒造、製紙、交通、電力などあらゆる

新規事業を生み出す。1904年鈴木商店が門司に大里製糖所を建設し食品工業の展開を進めた。

1911年大里製糖所(直営)、日本製糖㈱大里工場、帝国麦酒㈱、大日本酒類醸造㈱などの

食品工業群や鉄鋼関連企業を設立し、北九州地区産業の発展に貢献。

 



7. 沼田 尚徳 Numata Hisanori 当時、東洋最大級の河内貯水池建設最大の功労者
1875年、水戸市生まれ。水戸藩に代々仕えた武家の家系。1900年京都帝国大学を第一回生と

して卒業、当時建設中だった官営八幡製鐵所に技手として任官。製鐵所のみならず北九州工業

地帯の基盤となる土木業を成功に導く。中でも工業用水と水道用水供給の為に北九州郊外に

建設した河内貯水池は当時東洋最大級の規模を誇り、日本を代表する近代化産業遺産の一つ。

河内は当時最新の土木技術を用い、市民公園としての機能を付与することにも腐心、デザイン

にもこだわっている。安全管理でも細心の配慮をし、当時西日本最大級の難工事にも関わらず、

8年の建設期間中1名の死亡者も出しておらず、80年経った現在でも漏水やひびなども

認められていない。

 



8. 田中 熊吉 Tanaka Kumakichi 八幡製鉄所と共に生きた“高炉の神様” 
1873年、佐賀県三養基郡生まれ。農家の三男。1901年、官営八幡製鐵所の職工となる。

1912年技術研修でドイツに派遣、ドイツ語を習得し貪欲に高炉技術を学ぶ。1920年八幡製鐵所の

大ストライキ時は、「溶鉱炉の火を消すな」と高炉操業を陣頭指揮し、同年八幡製鐵所初の

宿老に任命。もともと宿老は戦国時代の武士階級のひとつで、八幡製鐵所の宿老は職工としての

最高の地位であり名誉。若い頃、操業中の事故で左目の視力を失いながらも高炉の状態を音で

判断できたといわれる。98歳で亡くなる直前まで高炉の仕事を続けた。

 



9.岩崎 俊彌  Iwasaki Toshiya 世界最大のガラスメーカー“旭硝子”創立者

1881年、東京市神田区生まれ。父は一代で三菱財閥を築いた岩崎彌太郎の実弟、母・早苗は明治
維新の元勲、後藤象二郎の長女。ロンドン大学に留学し、3年間応用化学の研究に従事。1907年、
尼崎で旭硝子㈱を創立、ベルギーより手吹式ガラス製造技術を導入。1914年に米国より

ラバース式機械吹法を導入、北九州牧山に新鋭工場を設立。当時、誰も成しえなかった

手吹円筒法による板ガラスの国産化に成功。北九州で機械吹円筒法による板ガラスの生産を

導入して一大飛躍を遂げた。現在旭硝子㈱は、世界最大のガラスメーカー。

 



10. 大倉 孫兵衛  Okura Magobei 衛生陶器研究でTOTO設立の基礎を創り上げた
 

1843年、江戸四谷生まれ。絵草紙屋二代目・大倉四郎兵衛の次男。義兄・森村市左衛門が設立した
森村組で陶器事業の日本における調達を担当。国内の既製品だけでは売上が伸びないと、海外用に
西洋式コーヒー茶碗などを森村組で生産。さらに硬質白色磁器生産のため、7年に及ぶ苦心の末に
国内原料での生産を実現。1904年日本陶器合名会社を設立し、名古屋市則武の工場を立ち上げた。
1912年、長男・和親と工場内に「製陶研究所」を設置、衛生陶器の研究を行わせ、後のTOTO

設立の基礎を作った。今日の㈱ノリタケ、日本ガイシ㈱、日本特殊陶業㈱、などわが国有数の

陶器製造産業の基礎となる。

 



11. 大倉 和親   Okura Kazuchika 父とともに陶器産業に貢献、TOTOの初代社長
 
1875年、東京日本橋生まれ。大倉孫兵衛の長男。1894年慶応義塾本科を卒業。父が幹部である
森村組に入社。1904年名古屋市近郊則武に森村組が設立した日本陶器合名会社の初代社長に

弱冠29歳で就任。当初は米国輸出用のディナーセットに苦労するが、完成後「ノリタケチャイナ」

のブランドを確立。1912年製陶研究所を設け衛生陶器の製造研究、便器などを試販。1916年

福岡県企救郡(現在の北九州市小倉北区)に小倉工場を建設。1917年工場開始にあたり

東洋陶器㈱として独立。日本陶器合名会社(現ノリタケカンパニーリミッテッド)、東洋陶器

(現TOTO)、日本碍子(現日本ガイシ)を創立、初代社長となった。

 



12. 国司 浩助 Kunishi Kosuke トロール漁船の発展に寄与し、
                          東洋一の戸畑漁港を建設
美家の三男。水産講習所卒業後、政府から英独両国へ派遣、トロール漁業の現場を英国で学ぶ。
帰国後は田村市郎(後の日本水産㈱創立者)の支援を得て、田村汽船漁業部設立、本格的に

トロール漁業を開始。トロール漁業の発展の基礎を作上げた。東洋一の戸畑漁港の建設、

ディーゼル・トローラーならびに冷凍冷蔵装置を装備したトロール漁船による遠洋漁業の開拓、

南氷洋における日本最初の捕鯨工船事業の創始など、新技術導入と化学的・合理的な経営に

よって、今日の水産日本の礎を築く。 

 


 

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