Japan KYUSHU Tourist  ジャパン九州ツーリスト株式会社

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若築建設株式会社

若築建設株式会社 (ルート3 戸畑⇔エコタウン)

●ガイドのポイント
石炭積出港としての若松港を築港し、北九州の発展を支えた会社です。
現在は、総合建設業として全国各地で事業を展開しています。

●基本情報

 業 種

建設業

 資本金

 113億円

 本 社

 東京都目黒区下目黒22318

 所在地

北九州市若松区浜町1-4-7

 所在地電話番号

093-761-1331

 URL

 http://www.wakachiku.co.jp/

 創業年

明治23(1890)

 従業員数

 630

 上 場

 東証1


●会社プロフィール
創業は明治23年(1890年)筑豊炭の積出港として若松港を築営することを目的として
設立された若松築港会社が前身です。
当時の若松港(洞海湾)は、干潮時には港内はほとんど地肌をみせ岩盤が露出する水深の浅い港でした。
この若松港の管理者として、築港工事をし、また港銭の徴収(昭和13年3月末に港銭徴収廃止)を
業務としました。

戦後は、総合建設業として工業用地等の埋立事業や港湾整備事業をはじめ陸上土木や
建築を柱とし、東京を本社として全国11箇所の支店も設けました。
また、海外での工事や福岡市の地下鉄工事、北九州市の新空港ターミナルビル新築工事など
大型プロジェクトを受注しています。

●わかちく史料館
創業の地である若松区浜町の本店ビル内には歴史資料館「わかちく史料館」を置き、
洞海湾の変遷や沿岸住民の生活などを写真や資料で綴っています。

日本水産株式会社

日本水産株式会社 (ルート3 戸畑⇔エコタウン)

●ガイドのポイント
戸畑が発祥の総合水産会社です。
魚肉ソーセージやハムなどの魚肉ねり製品を製造しています。

●基本情報

 業 種

 水産

 資本金

 237億円

 本 社

 東京都千代田区大手町262

 所在地

北九州市戸畑区川代2-3-6

 所在地電話番号

093-884-2100

 URL

 http://www.nissui.co.jp/

 創業年

明治44年(1911年)

 従業員数

 550

 上 場

 東証1

●会社プロフィール
明治44年(1911年)に前身の田村汽船漁業部が戸畑で創業し、昭和12年(1937年)
日本水産(株)に社名を変更し、生産・流通・販売・製氷・冷蔵・加工の水産全部門を持つ
総合水産会社です。
昭和4年(1929年)に建設された戸畑漁港は、以西底ひき網漁業、トロール漁業の基地として
発展し、同区画内に建設された冷凍・製氷・冷蔵・加工工場を建設し、九州最大の
総合水産加工基地となりました。

一方、戸畑工場では昭和初期に東シナ海で獲れた魚からチクワの生産を始めましたが、
戦後になると食生活の洋風化に合わせて魚肉ソーセージ(ツナ・ソーセージ)の開発に
取り組み、昭和27年(1952年)より本格生産しました。

その後工場を現在地へ移転し、海外の合弁会社などで生産したすり身を原料にして、
現在も魚肉ソーセージ・ハムの生産、そして冷凍食品の生産も展開しています。

●ニッスイパイオニア館
創業以来、ニッスイは世界の人々と手を携え水産資源から多様な価値を創造することで、
社会に貢献してきました。
創業100年を機に、こうした企業姿勢とその基盤となる創業の理念を未来に伝えていくために、
ニッスイパイオニア館は誕生しました。当館では、水産資源から新しい価値を創造してきた
ニッスイの過去・現在・未来を展示しています。

●ニッスイ戸畑ビル
ニッスイは、創業者・田村市郎が、トロール漁船を建造するため 国司浩助(くにしこうすけ) を
イギリスへ派遣したところから始まります。明治44年(1911年)年、下関に田村汽船漁業部を
設立。昭和4年(1929年)年には戸畑に移転し、水産物供給のための機能を結集しました。
ニッスイ戸畑ビルは昭和11年(1936年)に建造され76年が経過した建物です。
平成21年(2009年)に「北九州都市景観賞」を受賞いたしました。
夜間は20時までライトアップしています。

小倉城

九州の全ての道は小倉から通ず
 
●当初の小倉城
1569年(元禄12年)中国地方の大名・毛利元就が九州に侵攻した際に築かれた。
その後1587年(天正15年)に豊臣秀吉が九州平定に折、毛利勝信に田川・企救
6万石を与え小倉城に城主にした。

●小倉城改築

細川忠興が関が原合戦の功績によって、1600年に豊前国主として最初に中津に入国、
中津城を居城とした。
しかし領国支配に中津城は不敏なため、九州の玄関口で水陸交通の要衝だった
小倉に移るために1602年約7年の歳月をかけ1602年(慶長7年)から7年の歳月をかけて
改築し、1609年(慶長14年)に完成した。
     

●改築時の小倉城

本丸は北側東西約180メートル、南側で約86メートルの規模で、本丸を取り囲むように
松の丸、二の丸が配され、二重、三重の堀が巡らされているとともに、
板櫃川と紫川を外堀とされた。


紫川を挟んで城下町が東西に分けて作られ、東はおもに町人や下級武士が住む町、
西は武家屋敷とされた。これが現在の小倉の中心市街地の基盤で、
魚売りが住んでいた「魚町」、米屋が住んでいた「米町」など町名に城下町
だったころの名残を見ることが出来る。

●徳川家康に配慮した天守閣
全国でも3城しか確認されていない珍しい「唐造」という技法の天守閣。
最上段を下段より大きくつくりその間の屋根を省略した。そのため見た目は
5層であるが、内部は6層となっている。俗にいう南蛮造り。
 
見た目は不安定な印象を与えるが訳がある。
忠興は江戸幕府では外様であり、新参の大名であるため、諸大名が力を持つことを
嫌った家康に配慮して、本来は6層なのを5層に見せる唐造技法を採用した。

●小笠原氏の入国
1632年に肥後国の加藤忠広が改易された後に細川忠興が転封した。
その後播磨国から小笠原忠真が入り、以後小倉藩主の居城となる。
1837年に本丸御殿と天守を焼失し、その後天守は再建されなかった。
1866年、第二次長州征伐で小倉藩と長州藩が戦闘した際、小倉藩は長州藩の
攻撃の前に撤退を余儀なくされた。
その際小倉城に火が放たれ、城の大部分の建物が焼失した。
 


その後市民からの熱烈な要望もあり、1959年(昭和34年)に再建され
現在の姿によみがえった。
 

アクセス
JR小倉駅から徒歩15分、西小倉駅から徒歩10分
営 業
4月~10月:9:00~18:00
11月~3月:9:00~17:00
電 話
093-561-1210
入場料
大人:300円、中学生:200円、小学生:100円
関連サイト

 


 

 

お城の数が多いまち北九州市

お城の数が多いまち北九州市
 
かつての北九州市は豊前の国と筑前の国から成っていました。
1615年の一国一城令以前はなんと50ものお城が北九州に存在していました。
多分お城の数では日本一ではないかと思います。
  
     小倉城                  門司城跡                黒崎城跡

豊前の国が35城、筑前の国が15城。
一国一城令以降は多くの城が破壊され小倉城だけになりました。
若松城や黒埼城もその中の一つです。

 
以下に北九州市の城を紹介します。
皆さんが住んでいるところの近くにはどのお城がありますか?
 
【豊前の国】 35城
    天賀城             戸畑区菅原
    塔ヶ峰城            小倉南区井手浦
    虹山城               小倉南区蒲生
    貫城                   小倉南区貫 別府
    朽網城               小倉南区朽網
    稗畑山城            小倉南区高津尾
    山本城               小倉南区山本
    椎山城               小倉南区志井
    長尾城               小倉南区長行
    長野城               小倉南区長野
    海老野城            小倉南区頂吉
    水上城               小倉南区頂吉
    大山ヶ岳城        小倉南区辻三
    小山ヶ岳城        小倉南区辻三
    赤松城               小倉南区道原
    高畑山城            小倉南区道原
    堀越城               小倉南区堀越
    福相寺城            小倉南区堀越
    木下城               小倉南区木下
    小倉城               小倉北区城内
21   足立城               小倉北区足原
22   若王子城            小倉北区富野
23   引地山城            小倉北区都
24   吉川城               八幡東区大蔵
25   三角城               八幡東区田代
26   猿喰城               門司区猿喰
27   伊川城               門司区伊川
28   寒竹城               門司区吉志
29   金山城               門司区黒川
30   丸山城               門司区大積
31   柳城                   門司区大里
32   陣山城               門司区畑
33   三角山城            門司区門司
34   門司城               門司区門司字子城山
35   東明寺城            門司区東門司
 
【筑前の国】 15城
    高塔山城             若松区修多羅
    若松城                若松区中島
    花房城                若松区畠田(岩尾山)
    黒埼城                八幡西区屋敷
    花尾城                八幡西区熊手花ノ尾(花尾城公園)
    市ノ瀬城             八幡西区市瀬
    帆柱山城             八幡西区市瀬(帆柱山)
    竹ノ尾城             八幡西区上上津役
    浅川城                八幡西区浅川
    畑城                    八幡西区畑
    本城城                八幡西区本城(本城霊園)
    岡田浦城             八幡西区里
    茶臼山城             八幡東区大蔵
    多良倉城             八幡東区大蔵(皿倉山)
    篠谷城                八幡東区大蔵(大蔵中学校)


 

お城の数が多いまち北九州市

お城の数が多いまち北九州市
 
かつての北九州市は豊前の国と筑前の国から成っていました。
1615年の一国一城令以前はなんと50ものお城が北九州に存在していました。
多分お城の数では日本一ではないかと思います。
  
     小倉城                  門司城跡                黒崎城跡

豊前の国が35城、筑前の国が15城。
一国一城令以降は多くの城が破壊され小倉城だけになりました。
若松城や黒埼城もその中の一つです。

 
以下に北九州市の城を紹介します。
皆さんが住んでいるところの近くにはどのお城がありますか?
 
【豊前の国】 35城
    天賀城             戸畑区菅原
    塔ヶ峰城            小倉南区井手浦
    虹山城               小倉南区蒲生
    貫城                   小倉南区貫 別府
    朽網城               小倉南区朽網
    稗畑山城            小倉南区高津尾
    山本城               小倉南区山本
    椎山城               小倉南区志井
    長尾城               小倉南区長行
    長野城               小倉南区長野
    海老野城            小倉南区頂吉
    水上城               小倉南区頂吉
    大山ヶ岳城        小倉南区辻三
    小山ヶ岳城        小倉南区辻三
    赤松城               小倉南区道原
    高畑山城            小倉南区道原
    堀越城               小倉南区堀越
    福相寺城            小倉南区堀越
    木下城               小倉南区木下
    小倉城               小倉北区城内
21   足立城               小倉北区足原
22   若王子城            小倉北区富野
23   引地山城            小倉北区都
24   吉川城               八幡東区大蔵
25   三角城               八幡東区田代
26   猿喰城               門司区猿喰
27   伊川城               門司区伊川
28   寒竹城               門司区吉志
29   金山城               門司区黒川
30   丸山城               門司区大積
31   柳城                   門司区大里
32   陣山城               門司区畑
33   三角山城            門司区門司
34   門司城               門司区門司字子城山
35   東明寺城            門司区東門司
 
【筑前の国】 15城
    高塔山城             若松区修多羅
    若松城                若松区中島
    花房城                若松区畠田(岩尾山)
    黒埼城                八幡西区屋敷
    花尾城                八幡西区熊手花ノ尾(花尾城公園)
    市ノ瀬城             八幡西区市瀬
    帆柱山城             八幡西区市瀬(帆柱山)
    竹ノ尾城             八幡西区上上津役
    浅川城                八幡西区浅川
    畑城                    八幡西区畑
    本城城                八幡西区本城(本城霊園)
    岡田浦城             八幡西区里
    茶臼山城             八幡東区大蔵
    多良倉城             八幡東区大蔵(皿倉山)
    篠谷城                八幡東区大蔵(大蔵中学校)


 

北九州から世界遺産を!

技術立国・日本の礎を築いた未来への遺産

明治日本の産業革命遺産、九州・山口と関連地域

 

その中に、製鉄部門として、下記の八幡製鉄所の施設が候補に上っています。

旧本事務所、旧鍛冶工場、修繕工場、遠賀川水源地ポンプ室。

 

2015年に最終審査が行われ、世界遺産登録の可否が決定されます。

 

このことを多くの皆さんに知ってもらい、一緒に盛り上げていきたいと考えています。

 

そこで、西南女学院大学の女子大生がつくった"WILL″とコラボしてプロモーション活動を展開します。

先ずはその第一弾として、WILL のメンバーの勉強会を行い、今回の世界遺産とそれに関連する

北九州の歴史や魅力について紹介しました。

 

WILLのFBページもご覧ください。

いいね を押して頂ければ大変力になります。

若松南海岸散策

若松南海岸の様子。

1898年の開港した若松港。
筑豊から、遠賀川と堀川を経て川ひらたで運ばれて来た石炭。
ごんぞうによって荷役作業が行われた場所。
近くに石炭の積出港があることで、官営製鐵所が対岸にできた。

そんな昔の状況を思い浮かべながら散策しました。

  
 上野ビル(旧三菱合資若松支店) ドイツから輸入した煉瓦を使った建物

  
 旧古河鉱業ビル                 石炭会館

  
  ごんぞう小屋                  荷役の様子

 
  船着場

産業観光 / 八幡製鉄所 戸畑4高炉

新日鐵住金㈱ 八幡製鉄所
産業観光でご案内するところは、高炉工場と熱延工場。
 
ここでは、高炉工場の主要設備である戸畑4高炉を紹介します。

1972年に操業を開始し、2014年1月~4月に3回目に改修工事が行われました。
そして、大型化し、最新鋭の技術を導入して新しく生まれ変わり、4月20日に再稼働しました。
高炉は鉄鉱石をコークスで還元・溶融して銑鉄を作る設備で、製鉄所のシンボル的存在です。
 
今回は新しく生まれ変わった工場を見学することができます。
そして、目の前で真っ赤に溶けた銑鉄が流れてくる様子を是非ご覧ください。

高炉は製鉄所のシンボルです

産業観光 / 八幡製鉄所では何をつくっている?

新日鐵住金㈱ 八幡製鐵所では何をつくっているでしょうか。

鉄づくりの最初の原料はこんなものです。
鉄源となる鉄鉱石、熱源及び還元材のコークス、副原料の石灰等

    


様々な行程を経て、こんな製品をつくっています。
  
 自動車用鋼板           ブリキ          スパイラル鋼管      鉄道のレール


   
              電磁鋼板         ステンレス鋼板

北九州の産業観光 / 新日鐵住金 八幡製鉄所

1901年に操業を開始した銑鋼一貫製鉄所で、日本の産業近代化に貢献した企業で、
粗鋼生産高は現在世界第2位。 

最終製品は自動車鋼板、ジュース缶、食缶用ブリキ、建設用スパイラル鋼管
新幹線や列車にレール、変圧器などに使われる電磁鋼板、ステンレス厚板

  
 

粗鋼生産高世界第6位の新日本製鐵と第26位の住友金属工業が平成24年(2012年)
10月に合併し、世界第4位の粗鋼生産高を誇る、新日鐵住金㈱が誕生しました。

その旧新日本製鐡は明治34年(1901年)創業した官営八幡製鐵所が母体となっています。
日清戦争を契機に製鉄所の建設を目指した明治政府は建設候補地を最終的に広島と
八幡をあげ、鉄づくりに必要な石炭の産地・筑豊炭田、豊富は水資源、気象条件や労働力等の理由で八幡が選ばれました。
官営八幡製鐵所の東田第一高炉の火入れは明治34年(1901年)2月5日で、昭和に入ると世界恐慌による鉄鋼不況で製鋼会社の合同が進められ、官営八幡製鐵所は1934年釜石鉱山(株)、三菱製鐵(株)、輪西製鐵(株)、富士製鋼(株)、九州製鋼(株)と合体し日本製鐵(株)八幡製鐵所となりました。

戦後、昭和25年(1950年)過度経済力集中排除法により日本製鐵(株)は4社に分割され、八幡製鐵所は八幡製鐵(株)となりました。

八幡製鐵(株)は鉄鉱石専用船の港と高炉、製鋼工場を一カ所に集めた戸畑製造所を建設しまし、昭和33年(1958年)に戸畑製造所を発足し、昭和34年(1959年)に戸畑第一高炉に火入れしました。
この、原料専用船が着岸する岸壁、高炉、製鋼・分塊・圧延工場そして製品出荷岸壁を一直線上にレイアウトし、工程管理・生産効率の向上を図った仕様は、日本・海外鉄鋼各社の臨海製鐵所建設の
モデルになりました。
 
昭和42年(1967年)には日本初の連続鋳造設備を導入し、八幡製鐵(株)の鉄づくりは高度経済成長期に黄金時代を迎えました。

国際競争力を高めるため八幡製鐵(株)と富士製鐵(株)の大型合併、新日本製鐵(株)が
昭和45年(1970年)に誕生しました。
以後新日本製鐵(株)は、世界市場で評価を受ける高品質の製鉄事業を行う一方、オイルショックや鉄冷えと呼ばれた鉄鋼合理化、円高不況のなかで昭和60年代からエレクトロニクス・情報通信事業やバイオテクノロジー事業などへ参入し複合経営路線へ転換しました。その代表が平成2年(1990年)に八幡の東田地区にオープンしたアミューズメントパーク・スペースワールドです。