勝山公園
小倉城を中心として広がる公園で、紫川と一体となった都心部の憩いの場として、多くの市民に
親しまれています。勝山公園は小倉陸軍造兵廠敷地の一部で、1945年(昭和20年)8月9日の
原爆投下の目標とされました。しかし、8月8日の八幡大空襲の煙と八幡製鐵所でコールタールを
燃やして黒い煙幕を上げたため造兵廠の位置が確認できず、急遽変更し長崎に原爆が投下されました。
そのような歴史的経緯から、公園内に「長崎の鐘」(1973年に長崎市より贈呈された鐘のレプリカ)
が設置され、毎年8月9日の長崎原爆の日には北九州市民による慰霊祭が行われています。
勝山公園の「嘉代子桜・親子桜」
昭和20年8月9日 原爆が長崎に投下された時、林 嘉代子さん(当時15歳)は、爆心地から
500メートルほどしかはなれていない城山小学校で学徒報国隊員の一人として働いており、
他の多くの女学生とともに亡くなりました。戦後、嘉代子さんの母親の津恵さんは、娘や一緒に
亡くなった女学生の慰霊と平和への願いを込めて同小学校に桜の苗木を植えました。その桜は
「嘉代子桜」と名付けられ、今は、大木となり、毎春桜の花を咲かせています。
北九州市は、平和への願いが込められた「嘉代子桜」に由来する桜を「嘉代子桜・親子桜」と
名付け、広く北九州市内に植樹を行い、市民の皆さんに原爆や戦争の悲惨さ、平和の尊さを
伝えていくこととしています。
小倉陸軍造兵廠
小倉は明治時代から昭和20年まで、陸軍の部隊や兵器工場があった軍都でした。特に造兵廠と
呼ばれていた兵器工場は現在の市役所から、木町まで広がるとても大きな工場でした。
そのため、小倉陸軍造兵廠は1945年(昭和20年)8月9日には原子爆弾の第一投下目標に
されました。 しかし前日の八幡大空襲の煙と八幡製鐵所でコールタールを燃やして黒い煙幕を
上げたことにより、造兵廠の位置が確認できず、急遽長崎に変更され、11時2分に長崎の松山の
上空で原子爆弾が投下されました。
基本情報
・住 所 | 北九州市小倉北区城内 |
・アクセス | JR小倉駅から徒歩15分 |
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