筑豊 & 京築 & 豊前の観光情報
「筑豊」という名称は、またがる地域の旧国名である筑前と豊前の頭文字をとったもので、
主に直方・飯塚・田川の3都市から構成されています。由来は、多くの炭鉱がこの地域にあり、
明治時代に石炭協同組合の名前として使ったのが始まりです。
日本の近代産業の始まりは石炭産業から、全国石炭の半分以上を掘り出したこともある、
戦前は国内最大の炭鉱地帯で、その歴史と文化に触れましょう。
産業が生まれ日本の産業近代化が行われたのは、この筑豊炭田によるものである。
時代と共に炭鉱(ヤマ)は閉山し、その川筋に50あまりあった芝居小屋の中でただひとつ
残ったのが、この嘉穂劇場です。大正10年、今の劇場の前身となる「中座」として開場して以来、
役者、歌手、噺家など、さまざまな演者たちがこの舞台でその芸を披露し、多くの人たちを
楽しませてきました。「ここに日本の舞台があった」と、役者を惹き付け続ける、歴史ある芝居小屋。
2006年には国の登録有形文化財に指定され、2007年には近代化産業遺産として経済産業省より
認定を受けました。
筑豊の炭鉱王と呼ばれた伊藤伝右衛門と歌人柳原白蓮が過ごした邸宅です。
最初の妻を失った伊藤伝右衛門は1911年(明治44年)に伯爵柳原前光の娘・燁子(白蓮)を
迎え入れる事となります。 50歳にして、25歳の若き花嫁を迎えることになった伝右衛門が、
日本建築の粋を集めて改築したのが、この「旧伊藤伝右衛門邸」です。
石炭記念公園内にある博物館。第一展示室では、石炭のなりたちや、石炭がどのようにして
採掘されたか、また、炭鉱で働く人々や生活の様子など、炭鉱の歴史が一目で分かるように
しています。第二展示室では、炭鉱の生活の中から生まれた絵画や文学作品などを展示しています。
第三展示室では、「田川地方の歴史と民族」をテーマに古代から近世まで郷土の歴史資料を
展示しています。
日本の近代産業の発展を支えてきた筑豊の炭鉱。旧蔵内邸は、大正8年(1919年)に全国6位の
産出高をほこった蔵内本家三代の住宅です。建物・庭園ともに当時の状況をよく残しています。
国指定名勝及び県指定建造物となっています。
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