北九州発バスツアー / 中津 & 耶馬渓の旅
お客様の団体のための、北九州発着・オーダーメイドバスツアーです。
自治会、婦人会、老人クラブ、趣味のクラブ、職場の仲間、同窓会や子ども会などの
各種の団体旅行にご利用ください。参加人数に応じた貸切バスの手配から、
お好みにあわせた食事場所のアレンジや観光施設の手配まで行います。
また参加者全員に時間行程や旅先の情報を記載した「旅のしおり」をお配りします。
ツアーのポイント
中津は、大分県の北西端に位置する市で、大分県内では大分市、別府市に次いで人口が3番目に
多い都市です。 城下町で福澤諭吉旧居、中津城などの文化財や歴史的建造物、
市域南部には景勝地の耶馬渓、青の洞門や羅漢寺がある観光都市です。
行 程
8:30 北九州のご指定の場所出発
=== 北九州都市高速 → 東九州自動車道 → 中津IC → 中津日田道路 → 犬丸IC ===
・中津城
・昼食 割烹嘉乃
・羅漢寺
=== 中津IC → 東九州自動車道 → 北九州都市高速 ===
17:00頃 北九州のご指定の場所解散
旅の見どころ
黒田官兵衛によって築かれた城で、完成させたのは細川忠興といわれます。本丸上段にある
石垣には黒田氏時代のものを細川氏が拡張した継ぎ目が見られます。黒田氏時代に築かれた
石垣は、現存する石垣としては九州最古のものです。江戸時代中期に奥平昌成が中津藩主となり、
明治維新まで奥平家の居城となりました。
福澤諭吉は大阪で誕生(1835年)し、1歳で母の実家中津に帰郷しました。蘭学を学ぶために
長崎へ行く19歳までを過ごした家です。母屋や勉強部屋の土蔵などが残り、隣接する記念館
には『学問のすゝめ』の版本や遺品、新旧2枚の一万円札の1号券を展示してあります。
1587年(天正15)、黒田官兵衛によって建立されました。深紅に塗られた壁は城下町
中津の中でもひときわ強烈な印象を与え、別名・赤壁寺とよばれています。豊臣秀吉の時代、
豊前の実力者だった宇都宮鎮房が騙し討ちに遇い、この寺を宿舎にしていた家臣たちも全員討ち死。
その時の血潮を浴びた門前の白壁は何度塗り替えても血痕が浮き出るため、ついに赤壁に塗り替えた
といわれています。当時の激戦の様子は現在も境内の大黒柱に刀の痕が点々と残されています。
耶馬渓を代表する名勝で、山国川下流側から一の峰・二の峰・三の峰・恵比須岩・大黒岩(帯岩)
・妙見岩・殿岩・釣鐘岩・陣の岩・八王子岩などの巨峰や奇岩群が約1キロに渡り連なっていて、
その裾野には青の門が穿たれています。競秀峰の名は1763年(宝暦13年)に訪れた江戸にある
浅草寺の金龍和尚に命名されましたが、1818年(文政元年)に訪れた頼山陽が描いた水墨画の
代表作「耶馬渓図巻」によって天下に紹介されました。
かつては難所で遭難者が絶えなかったこの地を、江戸時代の僧・禅海はノミと槌だけを使って
岩壁を掘り、30年もの歳月を経て、元和元年(1764)に貫通させました。トンネル内は歩道が
整備されているため、歩いて内部を見学することができます。トンネル内部の壁面をよく見ると、
ノミの跡がはっきりと分かります。
耶馬渓の荒々しい岩山・羅漢山の中腹に位置する羅漢寺。今から1300年以上前、645年にインドの
僧侶・法道仙人がこの地で修行したことが羅漢寺の始まりとされています。リフトもしくは少し
急勾配な参道を10分ほど歩くと、羅漢山の岩腹に張り付いたように建てられた厳かな本堂にたどり
着きます。羅漢(らかん)とは、釈迦の悟りを得た弟子達のことです。その姿を彫った日本最古で
ある五百羅漢は、笑っていたり泣いていたりとさまざまな表情を見せています。
旅行代金
お客様の人数、発着場所、食事の内容や訪問する観光施設等の旅行条件に従い
パッケージとして見積致します。
中津 & 耶馬渓の地図
お問合せ
ジャパン九州ツーリスト株式会社
福岡県知事登録旅行業 第3-688号
電話 093-521-8897 FAX 093-521-8898
Email info@japan-kyushu–tourist.com
〒802-0001 北九州市小倉北区浅野3-8-1 AIMビル6階
福澤諭吉旧居
福澤諭吉は大阪で誕生(1835)し、1歳で母の実家中津に帰郷しました。
蘭学を学ぶために長崎へ行く19歳までを過ごした家です。母屋や勉強部屋の土蔵などが残り、
隣接する記念館には『学問のすゝめ』の版本や遺品、新旧2枚の一万円札の1号券を展示
してあります。
福澤諭吉は慶應義塾大学の創設者であり伝染病研究所(現:東京大学医科学研究所)や
土筆ヶ岡養生園(現:東京大学医科学研究所附属病院)の創設にも尽力しています。
また長崎でオランダ語を学び、後に英語学習へ。咸臨丸での渡米では通訳 ジョン万次郎と
共に現地で『ウェブスター大辞書』を購入して英語教育へ活用しました。
基本情報
・住 所 | 大分県中津市留守居町586 |
・アクセス |
車:東九州自動車道 中津ICより約20分 公共交通機関:JR中津駅より徒歩15分 |
・入場料 | 高校生以上:400円、中学生以下:200円、未就学児:無料 |
・営業時間 | 9:00~17:00 入館受付16:30まで |
・定休日 | 12月31日 |
中津の地図
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中津城
黒田官兵衛(孝高)によって築かれた城で、完成させたのは細川忠興といわれます。
今治城や高松城と並ぶ日本三大水城のひとつに数えられています。本丸上段にある石垣には
黒田氏時代のものを細川氏が拡張した継ぎ目が見られます。黒田氏時代に築かれた石垣は、
現存する石垣としては九州最古のものです。江戸時代中期に奥平昌成が中津藩主となり、
明治維新まで奥平家の居城となりました。1964年(昭和39年)には旧藩主奥平家が中心となり、
市民らの寄付を合わせて模擬天守(奥平家歴史資料館)が建てられ、奥平忠昌が徳川家康から
拝領した「白鳥鞘の鑓(しらとりざやのやり)」や「長篠の戦い」で使用された法螺貝などが
展示されています。
基本情報
・住 所 | 大分県中津市二ノ丁1273-2 |
・アクセス |
車:東九州自動車道 中津ICより約15分、JR日豊本線 中津駅より徒歩15分 |
・料 金 | 大人(高校生以上):400円 (団体20名以上:300円) 子供(未就学の乳幼児は無料):200円 (団体20名以上:150円) |
・営業時間 | 9:00~17:00(入館は16:40まで) |
中津の地図
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熊野磨崖仏
鬼が一晩で積んだという、険しい石段を登った先にあるのが熊野磨崖仏です。
日本最大級の磨崖仏は、国指定の重要文化財で、平安時代の末期の作といわれています。
絶壁の右手に引き締まった表情の「大日如来(約6.7m)」、左手に微笑んでいるかのような
「不動明王(約8m)」がそれぞれ刻まれているのですが、その姿は余りに自然で、まるで
以前からそこにあったかのように周囲の風景に溶け込んでいます。
熊野磨崖仏入口 |
大日如来 |
不動明王 |
熊野権現の道
緩やかな坂道から始まってスタート地点から磨崖仏まではおよそ20分です。拝観料を支払う際に
案内所で「杖を持って行ってください」といわれます。この言葉、素直に聞き入れて杖を拝借し
出発することを強くおススメします。
基本情報
・住 所 | 大分県豊後高田市田染平野 |
・アクセス | 車:JR宇佐駅から約25分 |
・拝観料 | 一般・高校生300円、小・中学生150円 |
・拝観時間 | 5月~10月 8:30~17:30、11月~4月 8:30~17:00 |
国東半島の地図
出 島
鎖国時代の約200年間、日本で唯一西洋に開かれていた貿易の窓口でした。
19世紀、島内には住居や料理部屋、蔵、番所など49棟もの建物があり、現在そのうちの
25棟を復元させるための事業が進んでいます。明治期にその役割を終え、陸地の中に埋もれ、
人々の記憶からも消えかけていましたが、今から約60年前に長崎市が出島の復元に
着手しました。
現在の出島は、大きく4つの時代の遺構や建物等をご覧頂けます。
かつて海に面していた水門、西側ゲートから入場すると19世紀初頭の江戸時代から幕末開国後、
明治へと時代をたどることができ、東側ゲートから入場すると、明治から幕末、江戸へと
時代を遡ることができます。
|
基本情報
・住 所 | 長崎県長崎市出島町6-1 |
・アクセス | JR長崎駅から路面電車(崇福寺行乗車)利用5分、「出島」電停下車、徒歩すぐ |
・料 金 | 一般/520円、高校生/200円、小中学生/100円 ※団体割引あり |
・営業時間 | 8:00~21:00 ※最終入場20分前まで |
・定休日 | 年中無休 |
出島周辺地図
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大浦天主堂
ユネスコの世界文化遺産に登録された「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産
のひとつ、中世ヨーロッパ建築を代表するゴシック調の教会で、現存するものでは国内最古の
教会建築物です。聖堂内を飾るステンドグラスの中には、約100年前のものもあります。
1864年末に竣工し、翌年2月に祝別され、この直後の3月に、浦上の潜伏キリシタンが訪れ、
信仰を告白したことにより、世界の宗教史上にも類を見ない「信徒発見」の舞台となりました。
また、建立直前に殉教した日本二十六聖人に捧げられた教会であり、天主堂の正面は殉教の地である
西坂に向けて建てられています。
基本情報
・住 所 | 長崎市南山手町5-3 |
・アクセス |
JR長崎駅前から路面電車(崇福寺行乗車、「新地中華街」電停乗換え、石橋行乗車) 利用20分、「大浦天主堂」電停下車、徒歩5分。 |
・拝観料 | 大人 1,000円 中高生 400円 小学生 300円 ※団体割引有(20名様以上) |
・内覧時間 | 8:00~18:00(拝観受付は閉館15分前に終了) |
大浦天主堂周辺地図
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新地中華街
唐船専用の倉庫を建てるために埋め立てられた新地にある、日本三大中華街のひとつです。
南北250メートルの十字路には長崎市の姉妹都市である福建省福州市の協力によって石畳が
敷かれ、中華料理店や中国雑貨店など約40軒が軒を連ねています。
中華街の四方、東西南北の入り口には中華門(牌楼)が立てられている。これらの門は、
1986年(昭和61年)に商店街の振興組合が発展の願いを込めて建てたものです。
基本情報
・住 所 | 長崎県長崎市新地町 |
・アクセス | JR長崎駅から路面電車崇福寺行きに乗車約6分、「新地中華街」電停下車 徒歩2分 |
長崎中華街周辺地図
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グラバー園
長崎港の大パノラマを見下ろす絶景、南山手の丘に位置する長崎ロマンの地
「グラバー園」は、 国指定重要文化財の旧グラバー住宅・旧リンガー住宅・旧オルト住宅を核に、
市内に点在していた6つの明治期の洋館を移築復元したものです。
長崎港、稲佐山をはじめとする緑したたる山々、人々の息づかいが感じられる街並み。
偉人たちも魅せられた絶景が広がるとびきりのビュースポットでもあります。
特に、旧三菱重工造船所第2ドックハウスのベランダからの景観は圧巻で港内を行き交う船の音が
間近に聞こえてくる旧リンガー住宅前庭や、旧グラバー住宅前からの景色もオススメです。
また園内には至る場所に花々が配され、いつ訪れても四季折々の花々を愛でる喜びを味わう
ことができます。
グラバー邸の内部
グラバー園からの長崎港の眺め
基本情報
・住 所 | 長崎市南山手町8-1 |
・アクセス |
JR長崎駅前から路面電車(崇福寺行乗車、「新地中華街」電停乗換え、石橋行乗車) 利用20分、「大浦天主堂」電停下車、徒歩7分。 |
・料 金 | 一般620円、高校生310円、小中学生180円 ※団体割引あり |
・営業時間 |
8:00~18:00(通常期間) |
・定休日 | 年中無休 |
グラバー園周辺地図
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平和公園
原爆落下中心地公園北側、小高い丘にある平和公園は、悲惨な戦争を二度と繰り返さない
という誓いと、世界平和への願いを込めてつくられた公園です。
平和祈念像
長崎市民の平和への願いを象徴する高さ9.7メートル、重さ30トン、青銅製の平和祈念像。
製作は長崎出身の彫刻家北村西望氏によるもので、この像を神の愛と仏の慈悲を象徴として
下記の想いが込められています。
・天を指した右手は“原爆の脅威”
・水平に伸ばした左手は“平和”
・軽く閉じた瞼は“原爆犠牲者の冥福を祈る”という想いを込めました。
毎年8月9日の原爆の日を「ながさき平和の日」と定め、この像の前で平和祈念式典がとり行なわれ、
全世界に向けた平和宣言がなされます。
世界平和のため、日本中、 世界各国から訪問 |
平和祈念像 |
北村西望氏 71才の時完成 |
平和の泉
原爆のため体内まで焼けただれた被爆者たちは「水を、水を」とうめき叫びながら死んでいきました。
その痛ましい霊に水を捧げて、冥福を祈り、世界恒久平和と核兵器廃絶の願いを込めて浄財を募り
建設された円形の泉で、平和公園の一角、平和祈念像の前方にあります。
直径18メートルで昭和44年に完成しました。
平和の鳩と鶴の羽根を象徴した噴水が舞い、正面には、被爆し、水を求めてさまよった少女の手記
「のどが乾いてたまりませんでした 水にはあぶらのようなものが一面に浮いていました
どうしても水が欲しくて とうとうあぶらの浮いたまま飲みました」が刻まれています。
基本情報
・住 所 | 長崎市松山町 平和公園内 |
・アクセス |
JR長崎駅前から路面電車(赤迫行)で平和公園下車、徒歩3分 |
平和公園周辺地図
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原爆落下中心地
昭和20年(1945年)8月9日11時2分。アメリカのB29爆撃機から投下され上空
約500mで炸裂しました。
当時長崎市内には約24万人の人が暮らしていましたが、死者は約7万4,000人、負傷者
約7万5,000人でした。原爆の熱線と爆風に火災が重なったので、被害は大きく広がりました。
爆風で壊され、後で起きた火災で焼けてしまう家が多くありました。爆風で倒れた家の下敷きに
なったままで、たくさんの人が火災によって命を失いました。
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現在、原爆死没者名簿は、平成15年7月に開館した国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館に
保存されています。原爆殉難者名奉安箱には、原爆死没者名簿のマイクロフィルム化したものが
永久保存されています。
基本情報
・住 所 | 長崎県長崎市松山町 |
・アクセス | JR長崎駅前から路面電車(赤迫行)利用15分、「平和公園」電停から徒歩1分 |
原爆落下中心地周辺の地図
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