南阿蘇鉄道 トロッコ列車
トロッコ列車は現在、高森駅~中松駅までの7.1キロ(熊本地震の影響により立野駅~中松駅は
長期にわたる運転見合わせ中です)を走る観光列車です。
天気の良い日では、開放感たっぷりの車内で、雄大な阿蘇の山々を眺めながら、水源などを
ゆっくり走り、沿線のガイドを行いながら走る人気の列車です。
2021年も3月20日~11月30日の土・日・休日、春・GW・夏休み期間のみ運行します。
基本情報
・住 所 | 熊本県阿蘇郡高森町大字高森1537-2 |
・運行期間 | 2021年3月20日(土)~11月30(火)まで |
・運行日 | 期間中の土・日・祝日、及び 春休み 3月20日(土)~4月4日(日)、GW 4月24日(土)~5月9日(日) 夏休み 7月17日(土)~ 8月29日(日)の期間は毎日運転致します。 9月24日、11月22日も運行します。 |
・所要時間 | 高森駅~中松駅|(所要時間片道約25分) |
・料 金 |
片道料金(高森~中松)(南鉄応援きっぷ): 大人800円 、 小人460円 往復料金(高森~中松)(南鉄応援きっぷ): 大人1,400円 、 小人810円 |
阿蘇の地図
阿蘇の観光情報
熊本県東北部、熊本市から約50kmの九州山地内に位置し、阿蘇山が形成したカルデラ盆地の
中に含まれています。阿蘇山は、世界でも有数の大型カルデラと雄大な外輪山を持ち、
「火の国」熊本県のシンボル的な存在です。阿蘇山は外輪山の内側を中心として阿蘇くじゅう
国立公園に指定されており、温泉や観光・レジャースポットが点在する有数の観光エリアと
なっています。
2016年4月の熊本地震で崩落した熊本県南阿蘇村の阿蘇大橋に代わり、建設が進められていた
新阿蘇大橋が完成し、2021年4月7日午後3時に開通しました。熊本地震で寸断した熊本県北東部の
阿蘇地域の国道は、これですべてつながりました。旧阿蘇大橋は国道325号の一部で、阿蘇カルデラ
の入り口となる立野峡谷にかかり、阿蘇地域と熊本市方面を結ぶ主要ルートでした。新阿蘇大橋は
元の阿蘇大橋から約600メートル下流に建設され、全長525メートルで、橋脚の高さは最大
97メートルです。 橋の近くには展望所も整備されました。
阿蘇五岳からくじゅう連山までが一望できる大観峰。阿蘇北外輪山の最高峰に位置する天然の
展望台で、360度の大パノラマが楽しめる阿蘇随一のビュースポットです。
お土産店や食事処もあり、天体観測のスポットとしても人気です。
大観望は、かつて遠見ヶ鼻と呼ばれていましたが、1926年(大正11年)内牧町長の要請により、
文豪徳富蘇峰が大観峰と名づけました。
阿蘇の代表的な風景、噴煙を上げる中岳を望み、絶好のロケーションを誇る草千里。
浅い四角形の大草原で烏帽子岳の北麓にひろがり、中央の大きな池や放牧された馬など、
どこか牧歌的な風景を持っています。
緑鮮やかな夏、白銀の幻想的な冬と四季の彩りもさることながら、乗馬に散策にと一年を
通じて多くの人達に親しまれています。
阿蘇のカルデラは、東西18km、南北25kmと世界有数の規模を誇ります。
そのカルデラ内の中央にそびえる阿蘇五岳(根子岳・高岳・中岳・烏帽子岳・杵島岳)の中で、
現在も活発な活動を続けているのが中岳です。
中岳の直径は600m、深さは130m。周囲4キロの巨大な噴火口では、激しく白い噴煙を上げる
様子やダイナミックな風景を間近で見ることができます。
神武天皇の孫神で阿蘇を開拓した健磐龍命をはじめ家族神12神を祀り、2000年以上の歴史を
有する古社です。古来、阿蘇山火口をご神体とする火山信仰と融合し、肥後国一の宮として
崇敬をあつめてきました。阿蘇神社の社殿群は、熊本藩の寄進によって再建されたもので、
神殿や楼門などの6棟は国重要文化財に指定されています。中でも楼門は九州最大の規模を誇り、
「日本三大楼門」の一つともいわれます。2014年(平成28年)熊本地震により楼門が倒壊し、
また拝殿が倒壊するなど、重文以外の社殿についても甚大な被害を受けました。
現在復旧工事が進められています。写真は2020年12月11日に撮影したものです。
トロッコ列車は現在、高森駅~中松駅までの7.1キロ(熊本地震の影響により立野駅~中松駅は
長期にわたる運転見合わせ中です)を走る観光列車です。
天気の良い日では、開放感たっぷりの車内で、雄大な阿蘇の山々を眺めながら、水源などを
ゆっくり走り、沿線のガイドを行いながら走る人気の列車です。
熊本県・南阿蘇村にある白川水源は、その名の通り熊本県を流れる一級河川「白川」の
総水源です。毎分60トンの湧水が、地底から勢いよく湧き上がってきています。
阿蘇では多くの湧水が溢れていますが、とりわけここ白川水源の水質はきれいと言われ、
名水百選にも選出されています。このように、水が非常に透き通っていることがきれいな
水である証拠の一つ。透明すぎて、水中にある苔があたかも浮いているように映っています。
菜の花の絨毯に囲まれた樹齢400年の一本桜です。樹高14m、枝張り東西21.3m、南北26m、
幹周り7.35m。南阿蘇村のシンボル的な大桜(ヤマザクラ)で、淡い薄紅色の花をつけます。
満開時には期間限定でライトアップが行われ、菜の花と桜の幻想的な風景も楽しめます。
見ごろは、3月下旬から4月上旬です。
築200年以上の古民家で、囲炉裏を囲んで炭火で焼くスタイルの郷土料理「田楽」が
楽しめます。高森町特産の“つるの子いも”をはじめ、ヤマメや山菜を織り混ぜながら、
山椒味噌、ゆず味噌で味付けした「田楽」は、素朴でどこか懐かしさを感じる味です。
阿蘇牛も楽しめ、阿蘇五岳のひとつ・根子岳を眺めながらの食事は格別です。
阿蘇の地図
北九州発バスツアー / 阿蘇の旅
お客様の団体のための、北九州発着・オーダーメイドバスツアーです。
自治会、婦人会、老人クラブ、趣味のクラブ、職場の仲間、同窓会や子ども会などの
各種の団体旅行にご利用ください。参加人数に応じた貸切バスの手配から、
お好みに合わせた食事場所のアレンジや観光施設の手配まで行います。
また参加者全員に時間行程や旅先の情報を記載した「旅のしおり」をお配りします。
ツアーのポイント
2016年4月の熊本地震で崩落した熊本県南阿蘇村の阿蘇大橋に代わり、建設が進められていた
新阿蘇大橋が完成し、2021年4月7日午後3時に開通しました。
熊本地震で寸断した熊本県北東部の阿蘇地域の国道は、これですべてつながりました。
このツアーでは、新阿蘇大橋を使って、阿蘇の南部の南阿蘇村と高森町、そして阿蘇五岳の
阿蘇市を含め、阿蘇のほぼ全域を巡ります。阿蘇の大自然とグルメを満喫しましょう。
行 程
8:00 北九州のご指定の場所出発
=== 北九州都市高速 → 九州自動車道 古賀SA 北熊本SA
→ 熊本IC → 国道57 → 立野 ===
=== 国道325で 南阿蘇鉄道 中松駅へ ===
・南阿蘇鉄道 トロッコ列車乗車体験 中松駅 → 高森駅 (25分)
・昼食 郷土料理 高森田楽の里
=== 阿蘇南登山道 → 阿蘇パノラマライン で 草千里ヶ浜へ ===
=== 阿蘇パノラマライン → 阿蘇東登山道 で 阿蘇市へ ===
・道の駅阿蘇で買物
=== 国道57 → 阿蘇西IC → 北側復旧ルート →大津IC → 国道57
熊本IC → 九州自動車道 → 北九州都市高速 ===
18:00頃 北九州のご指定の場所解散
オプション
・阿蘇神社
旅の見どころ
2016年4月の熊本地震で崩落した熊本県南阿蘇村の阿蘇大橋に代わり、建設が進められていた
新阿蘇大橋が完成し、2021年4月7日午後3時に開通しました。熊本地震で寸断した熊本県北東部の
阿蘇地域の国道は、これですべてつながりました。旧阿蘇大橋は国道325号の一部で、阿蘇カルデラ
の入り口となる立野峡谷にかかり、阿蘇地域と熊本市方面を結ぶ主要ルートでした。新阿蘇大橋は
元の阿蘇大橋から約600メートル下流に建設され、全長525メートルで、橋脚の高さは最大
97メートルです。橋の近くには展望所も整備されました。
トロッコ列車は現在、高森駅~中松駅までの7.1キロ(熊本地震の影響により立野駅~中松駅は
長期にわたる運転見合わせ中です)を走る観光列車です。
天気の良い日では、開放感たっぷりの車内で、雄大な阿蘇の山々を眺めながら、水源などを
ゆっくり走り、沿線のガイドを行いながら走る人気の列車です。
築200年以上の古民家で、囲炉裏を囲んで炭火で焼くスタイルの郷土料理「田楽」が
楽しめます。高森町特産の“つるの子いも”をはじめ、ヤマメや山菜を織り混ぜながら、
山椒味噌、ゆず味噌で味付けした「田楽」は、素朴でどこか懐かしさを感じる味です。
阿蘇牛も楽しめ、阿蘇五岳のひとつ・根子岳を眺めながらの食事は格別です。
阿蘇の代表的な風景、噴煙を上げる中岳を望み、絶好のロケーションを誇る草千里。
浅い四角形の大草原で烏帽子岳の北麓にひろがり、中央の大きな池や放牧された馬など、
どこか牧歌的な風景を持っています。緑鮮やかな夏、白銀の幻想的な冬と四季の彩りも
さることながら、乗馬に散策にと一年を通じて多くの人達に親しまれています。
オプション
神武天皇の孫神で阿蘇を開拓した健磐龍命をはじめ家族神12神を祀り、2000年以上の歴史を
有する古社です。古来、阿蘇山火口をご神体とする火山信仰と融合し、肥後国一の宮として
崇敬をあつめています。阿蘇神社の社殿群は、1835年(天保6年)から1850年(嘉永3年)
にかけて、熊本藩の寄進によって再建されたもので、神殿や楼門などの6棟は国重要文化財に
指定されています。中でも楼門は九州最大の規模を誇り、「日本三大楼門」の一つとも
いわれています。2014年(平成28年)熊本地震により楼門が倒壊し、また拝殿が倒壊するなど、
重文以外の社殿についても甚大な被害を受けました。現在復旧工事を進められています。
写真は2020年12月11日の様子です。
旅行代金
お客様の人数、発着場所、食事の内容や訪問する観光施設等の旅行条件に従い
パッケージとして見積致します。
阿蘇の地図
お問合せ
ジャパン九州ツーリスト株式会社
福岡県知事登録旅行業 第3-688号
電話 093-521-8897 FAX 093-521-8898
Email info@japan-kyushu-tourist.com
〒802-0001 北九州市小倉北区浅野3-8-1 AIMビル6階
草千里ヶ浜
阿蘇の代表的な風景、噴煙を上げる中岳を望み、絶好のロケーションを誇る草千里。
浅い四角形の大草原で烏帽子岳の北麓にひろがり、中央の大きな池や放牧された馬など、
どこか牧歌的な風景を持っています。
緑鮮やかな夏、白銀の幻想的な冬と四季の彩りもさることながら、乗馬に散策にと一年を
通じて多くの人達に親しまれています。
基本情報
・住 所 | 熊本県阿蘇市草千里ヶ浜 |
・アクセス |
車:九州自動車道 熊本ICから国道57号・県道298号経由40キロ、50分 公共交通機関:JR豊肥本線 阿蘇駅からバス35分 草千里阿蘇火山博物館前バス停下車、徒歩すぐ |
阿蘇の地図
郷土料理 高森田楽の里
築200年以上の古民家で、囲炉裏を囲んで炭火で焼くスタイルの郷土料理「田楽」が
楽しめます。高森町特産の“つるの子いも”をはじめ、ヤマメや山菜を織り混ぜながら、
山椒味噌、ゆず味噌で味付けした「田楽」は、素朴でどこか懐かしさを感じる味です。
阿蘇牛も楽しめ、阿蘇五岳のひとつ・根子岳を眺めながらの食事は格別です。
基本情報
・住 所 | 熊本県阿蘇郡高森町大字高森2685-2 |
・アクセス | 南阿蘇鉄道 高森駅より車で5分 |
阿蘇の地図
北九州発バスツアー / 長崎の旅
お客様の団体のための、北九州発着・オーダーメイドバスツアーです。
自治会、婦人会、老人クラブ、趣味のクラブ、職場の仲間、同窓会や子ども会などの
各種の団体旅行にご利用ください。参加人数に応じた貸切バスの手配から、
お好みに合わせた食事場所のアレンジや観光施設の手配まで行います。
また参加者全員に時間行程や旅先の情報を記載した「旅のしおり」をお配りします。
ツアーのポイント
長崎は古くから外国への玄関口として発展してきた港湾都市である。江戸時代は国内唯一の
貿易港出島を持ち、ヨーロッパから多くの文化が入ってきました。外国からの文化流入の
影響や、坂の多い街並みなどから、日本国内の他都市とは違った美しい景観をつくっています。
また、造船と石炭産業で日本の近代産業の礎を創ったまち、そして原爆を経験したまち
でもあります。色んな文化と、どこかに異国の文化を持つ長崎の旅を楽しみましょう。
行 程
7:30 北九州市のご指定の場所出発
=== 北九州都市高速 → 九州自動車道 → 鳥栖JCT → 長崎自動車道 → 長崎IC ===
・平和公園 平和祈念像、平和の泉
・新地中華街で昼食
・大浦天主堂(外側から見学)
=== 長崎IC → 長崎自動車道 → 鳥栖JCT → 九州自動車道 → 北九州都市高速 ===
19:00頃 北九州市のご指定の場所解散
オプション
・出 島
旅の見どころ
1945年(昭和20年)8月9日午前11時2分。長崎市内の浦上地域上空で原子爆弾が炸裂し多くの
人々が命を落としました。この資料館では被爆の惨状をはじめ原爆が投下されるに至った経過、
被爆から現在までの長崎の復興の様子、核兵器開発の歴史、そして核兵器のない平和希求までが
ストーリーを持たせわかりやすく展示されています。
1945年(昭和20年)8月9日11時2分。アメリカのB29爆撃機から投下され上空約500m
で炸裂しました。当時長崎市内には約24万人の人が暮らしていましたが、死者は
約7万4,000人、負傷者約7万5,000人でした。原爆の熱線と爆風に火災が重なったので、
被害は大きく広がりました。爆風で壊され、後で起きた火災で焼けてしまう家が多くありました。
原爆落下中心地公園北側、小高い丘にある平和公園は、悲惨な戦争を二度と繰り返さない
という誓いと、世界平和への願いを込めてつくられた公園です。
平和祈念像の前で、毎年8月9日の原爆の日を「ながさき平和の日」と定め、この像の前で
平和祈念式典がとり行なわれます。
唐船専用の倉庫を建てるために埋め立てられた新地にある、日本三大中華街のひとつです。
南北250メートルの十字路には長崎市の姉妹都市である福建省福州市の協力によって石畳が
敷かれ、中華料理店や中国雑貨店など約40軒が軒を連ねています。
中華街の四方、東西南北の入り口には中華門(牌楼)が立てられている。これらの門は、
1986年(昭和61年)に商店街の振興組合が発展の願いを込めて建てたものです。
ユネスコの世界文化遺産に登録された「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産
のひとつで、現存するものでは国内最古の教会建築物です。1864年末に竣工し、翌年2月に祝別され、
この直後の3月に、浦上の潜伏キリシタンが訪れ、信仰を告白したことにより、世界の宗教史上にも
類を見ない「信徒発見」の舞台となりました。
また、建立直前に殉教した日本二十六聖人に捧げられた教会であり、天主堂の正面は殉教の地である
西坂に向けて建てられています。
長崎港の大パノラマを見下ろす絶景、南山手の丘に位置する長崎ロマンの地
「グラバー園」は、国指定重要文化財の旧グラバー住宅・旧リンガー住宅・旧オルト住宅を核に、
市内に点在していた6つの明治期の洋館を移築復元したものです。
長崎港、稲佐山をはじめとする緑したたる山々、人々の息づかいが感じられる街並み。
偉人たちも魅せられた絶景が広がるとびきりのビュースポットでもあります。
オプション
鎖国時代の約200年間、日本で唯一西洋に開かれていた貿易の窓口でした。
19世紀、島内には住居や料理部屋、蔵、番所など49棟もの建物があり、現在そのうちの
25棟を復元させるための事業が進んでいます。現在の出島は、大きく4つの時代の遺構や
建物等をご覧頂けます。かつて海に面していた水門、西側ゲートから入場すると19世紀初頭の
江戸時代から幕末開国後、明治へと時代をたどることができ、東側ゲートから入場すると、
明治から幕末、江戸へと時代を遡ることができます。
旅行代金
お客様の人数、発着場所、食事の内容や訪問する観光施設等の旅行条件に従い
パッケージとして見積致します。
長崎市の地図
お問合せ
ジャパン九州ツーリスト株式会社
福岡県知事登録旅行業 第3-688号
電話 093-521-8897 FAX 093-521-8898
Email info@japan-kyushu–tourist.com
〒802-0001 北九州市小倉北区浅野3-8-1 AIMビル6階
新阿蘇大橋
2016年4月の熊本地震で崩落した熊本県南阿蘇村の阿蘇大橋に代わり、建設が進められていた
新阿蘇大橋が完成し、2021年4月7日午後3時に開通しました。
熊本地震で寸断した熊本県北東部の阿蘇地域の国道は、これですべてつながりました。
旧阿蘇大橋は国道325号の一部で、阿蘇カルデラの入り口となる立野峡谷にかかり、阿蘇地域と
熊本市方面を結ぶ主要ルートでした。新阿蘇大橋は元の阿蘇大橋から約600メートル下流に建設され、
全長525メートルで、橋脚の高さは最大97メートルです。橋の近くには展望所も整備されました。
基本情報
・住 所 | 熊本県阿蘇郡南阿蘇村立野 |
・アクセス |
車:九州自動車道 熊本ICから約30分 |
阿蘇の地図
阿蘇神社
神武天皇の孫神で阿蘇を開拓した健磐龍命をはじめ家族神12神を祀り、2000年以上の歴史を
有する古社です。古来、阿蘇山火口をご神体とする火山信仰と融合し、肥後国一の宮として
崇敬をあつめています。
阿蘇神社の社殿群は、1835年(天保6年)から1850年(嘉永3年)にかけて、熊本藩の寄進に
よって再建されたもので、神殿や楼門などの6棟は国重要文化財に指定されています。
中でも楼門は九州最大の規模を誇り、「日本三大楼門」の一つともいわれています。
2014年(平成28年)熊本地震により楼門が倒壊し、また拝殿が倒壊するなど、重文以外の
社殿についても甚大な被害を受けました。現在復旧工事を進められています。
火ぶり神事
国指定重要無形民俗文化財「阿蘇の農耕祭事」のひとつ田作祭です。参道で火をつけた
茅束を振り回し神さまの結婚を祝います。幾重にもできる火の輪が幻想的です。
2014年4月14日の熊本地震後の復旧状況
2016年9月22日
2018年11月3日
2020年12月11日
基本情報
・住 所 | 熊本県阿蘇市一の宮町宮地3083-1 |
・アクセス |
車:九州自動車道 熊本インターより国道57号を経由して阿蘇方面へ約60分 公共交通機関:JR豊肥線 宮地駅下車 徒歩15分、 バス「阿蘇神社前」下車 |
・拝観時間 | 6:00~18:00、御札所 9:00~17:00 |
・定休日 | 無 休 |
阿蘇の地図
熊本城
1607年(慶長12年)、茶臼山と呼ばれた台地に加藤清正が当時の最先端技術と労力を投じた、
名城熊本城が完成します。以後、熊本城は400年に亘る日本の様々な歴史の重要な舞台となって
いきます。 2016年(平成28年)熊本地震では、最上階の瓦や鯱瓦の落下、地下室石垣の崩落などの
甚大な被害がありました。現在は地震に備えた最新技術と伝統技法を融合させ、震災復興のシンボル
としての復旧作業を進めています。
2016年4月14日からの熊本大震災が間もなく5年になります。現在急ピッチで復旧作業が進められて
います。2021年1月13日現在の様子を写真にまとめましたのでご覧下さい。
基本情報
・住 所 | 熊本市中央区本丸1-1 |
・アクセス |
<二の丸広場まで> 駐車場行き無料シャトルバスあり) 熊本城市役所前下車 桜の馬場城彩苑内を経由して徒歩約15分 |
・料 金 | ※特別公開(第一弾)入園料 高校生以上 500円、小・中学生 200円、未就学児 無料 |
・開園時間 | ※特別公開(第一弾)営業時間 9:00~17:00(最終入園16:30) |
熊本市の地図
長崎市の観光情報
色んな文化と、どこかに異国の文化を持つ長崎。
古くから外国への玄関口として発展してきた港湾都市である。江戸時代は国内唯一の
貿易港出島を持ち、ヨーロッパから多くの文化が入ってきました。外国からの文化流入
の影響や、坂の多い街並みなどから、日本国内の他都市とは違った美しい景観を
つくっています。
また、造船と石炭産業で日本の近代産業の礎を創ったまち、そして原爆を経験した
まちでもあります。
長崎港の大パノラマを見下ろす絶景、南山手の丘に位置する長崎ロマンの地
「グラバー園」は、国指定重要文化財の旧グラバー住宅・旧リンガー住宅・旧オルト住宅を核に、
市内に点在していた6つの明治期の洋館を移築復元したものです。
長崎港、稲佐山をはじめとする緑したたる山々、人々の息づかいが感じられる街並み。
偉人たちも魅せられた絶景が広がるとびきりのビュースポットでもあります。
ユネスコの世界文化遺産に登録された「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産
のひとつで、現存するものでは国内最古の教会建築物です。1864年末に竣工し、翌年2月に祝別され、
この直後の3月に、浦上の潜伏キリシタンが訪れ、信仰を告白したことにより、世界の宗教史上にも
類を見ない「信徒発見」の舞台となりました。また、建立直前に殉教した日本二十六聖人に
捧げられた教会であり、天主堂の正面は殉教の地である西坂に向けて建てられています。
1893年清国政府と在日華僑が協力して伝統美あふれた孔子廟がつくられ、その後改築を重ね
本格派の中国式孔子廟として現在に至っています。 併設の博物館は、中国国内すべての
博物館と提携している、世界で唯一の常設博物館です。中国外ではここでしかみることが
できない国指定一級文物(国宝)クラスの文物や美術品が展示され、毎年入れ替えられます。
唐船専用の倉庫を建てるために埋め立てられた新地にある、日本三大中華街のひとつです。
南北250メートルの十字路には長崎市の姉妹都市である福建省福州市の協力によって石畳が
敷かれ、中華料理店や中国雑貨店など約40軒が軒を連ねています。
中華街の四方、東西南北の入り口には中華門(牌楼)が立てられている。これらの門は、
1986年(昭和61年)に商店街の振興組合が発展の願いを込めて建てたものです。
鎖国時代の約200年間、日本で唯一西洋に開かれていた貿易の窓口でした。
19世紀、島内には住居や料理部屋、蔵、番所など49棟もの建物があり、現在そのうちの
25棟を復元させるための事業が進んでいます。現在の出島は、大きく4つの時代の遺構や
建物等をご覧頂けます。かつて海に面していた水門、西側ゲートから入場すると19世紀初頭の
江戸時代から幕末開国後、明治へと時代をたどることができ、東側ゲートから入場すると、
明治から幕末、江戸へと時代を遡ることができます。
長崎港周辺のベイエリアを占める複合商業施設「出島ワーフ」。
和食、洋食、中華料理やイタリアンの飲食店をはじめ、アウトドアショップなど
個性豊かなショップが並んでいます。地元長崎の新鮮な海鮮物を食べることができる
お店があるのも魅力のひとつです。また水際を楽しむ憩いの空間となっており、美しい
景色を眺めながらテラスで美味しい食事を楽しむこともできます。
原爆落下中心地公園北側、小高い丘にある平和公園は、悲惨な戦争を二度と繰り返さない
という誓いと、世界平和への願いを込めてつくられた公園です。
平和祈念像の前で、毎年8月9日の原爆の日を「ながさき平和の日」と定め、この像の前で
平和祈念式典がとり行なわれます。
昭和20年(1945)8月9日 午前11時2分。長崎市内の浦上地域上空で原子爆弾が炸裂し約15万人の
人々が命を落としました。この資料館では被爆の惨状をはじめ原爆が投下されるに至った経過、
被爆から現在までの長崎の復興の様子、核兵器開発の歴史、そして核兵器のない平和希求までが
ストーリーを持たせわかりやすく展示されています。
1945年(昭和20年)年8月9日11時2分。アメリカのB29爆撃機から投下され上空約500m
で炸裂しました。当時長崎市内には約24万人の人が暮らしていましたが、死者は
約7万4,000人、負傷者約7万5,000人でした。原爆の熱線と爆風に火災が重なったので、
被害は大きく広がりました。爆風で壊され、後で起きた火災で焼けてしまう家が多くありました。
長崎市のランドマーク的存在で、夜景鑑賞に大変人気のスポットです。長崎の夜景は2012年に
開催された「夜景サミット2012 in 長崎」において、香港、モナコと共に「世界新三大夜景」に
選ばれました。稲佐山から眺める夜景は、「1,000万ドルの夜景」と称されるほど美しく、
一見の価値があります。また夜景だけでなく、晴れた日の昼間には、長崎市街地はもちろんのこと、
雲仙、天草、五島列島まで眺めることができます。
2015年(平成27年)7月5日に世界文化遺産に登録された「明治日本の産業革命遺産~製鉄・製鋼、
造船、石炭産業」の構成資産の「軍艦島」です。
閉山以来37年目の2008年(平成21年)から上陸がはじまり見学が可能になりました。
かつて石炭採掘で栄え、今は廃墟と化した軍艦島の歴史を、ガイドが解説。繁栄の痕跡を自分の
足で踏みしめてみましょう。
長崎市の地図