宮崎 & 日南の観光情報
宮崎は、宮崎県の南東部にある市で、県の県庁所在地です。フェニックス・シーガイア・リゾート
青島、プロ野球・プロサッカーキャンプといった数多くの観光資源を持つ観光都市です。
日南は宮崎県南部に位置する都市で、九州の小京都と称される飫肥や風光明媚な日南海岸国定公園
などを擁する、歴史と自然あふれる観光地です。
太平洋に突き出した鵜戸崎岬の突端にある洞窟の中に、朱塗りの色鮮やかな御本殿が
ご鎮座する珍しいものです。岬のまわりには奇岩、怪礁が連なり太平洋の荒波が打ち寄せて、
美しい景勝地となっています。第十代天皇、崇神天皇の時代の創建と伝えられ、第五十代
桓武天皇時代に、天台宗の僧「光喜坊快久」が勅命により再建した神社で、明治維新後に
鵜戸神社と改称されました。
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日南海岸を代表する景勝地です。峠は標高60mほど、道脇に設けられた展望所に立てば、
眼前には雄大な太平洋の眺めが広がります。沖には島影も無く、ただただ海原が
広がっています。
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日南海岸の最南端で太平洋に大きく突き出た岬で、高さ10mから50mの断崖に囲まれて
います。丘陵地帯では、御崎馬[みさきうま]とよばれる野生馬が生息しています。
この馬は江戸時代の高鍋藩が放牧したのが始まりで、国の天然記念物に指定されています。
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飫肥は、1588年(天正16年)から明治初期までの280年間、飫肥藩・伊東氏5万1千石の城下町
として栄えたところです。武家屋敷を象徴する門構え、風情ある石垣が残る町並みは、1977年
(昭和52年)に重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。
1978年(昭和53年)に復元された大手門を中心に、松尾の丸や藩校振徳堂、伊東家の歴史を綴る
貴重な資料が展示されている飫肥城歴史資料館があります。
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日南海岸の小高い丘の上に世界七不思議のひとつに上げられているモアイ像があります。
高さ5.5mにも及ぶ世界で唯一完全復刻されたイースター島のモアイ像7体が立つ景観は、
見事に青い海と調和しています。園内には、世界の珍しい昆虫展やユネスコ本部より
直接許可のパネル、蝶の地上絵・売店レストラン・ファーストフードなどがあります。
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初代天皇の神武天皇を御祭神として祀る神社で、創建は2000年以上前に遡ります。
境内には1907年(明治40年)に植えられた、樹齢300年以上のオオシラフジがあり、
現在は国の天然記念物に指定されています。春の神事である流鏑馬では、鎌倉時代の
武士装束に身を包んだ射手が桜の木の下で矢を放ち、見物客で大いに賑わいます。
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宮崎 & 日南の地図
人吉の観光情報
熊本県の最南部にある都市で、九州山地に囲まれた人吉盆地に位置し、球磨川沿いの温泉と
川下りで有名です。人吉・球磨地方の中心地で、人吉藩相良氏の城下町として栄えました。
市内中心部に熊本県唯一の国宝である青井阿蘇神社があります。
人吉城跡
日本百名城のひとつ人吉城跡。鎌倉時代から幕末までのおよそ700年間、相良家の中心だった
中世城趾で、球磨川と胸川を天然の外堀とした中世の山城の形態や、槹出工法
(はねだしこうほう)を応用した独特の石垣「武者返し」など、城跡全域が国の史跡に
なっています。また、春は相良護国神社境内と球磨川沿いの石垣に沿って咲く桜が見事です。
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SL人吉
JR肥薩線が開業100周年を迎えた2009年に復活した「SL人吉」。日本で最も古い現役の
蒸気機関車がけん引する列車は、クラシカルな内装の車内に展望ラウンジやSL文庫、
ミニSLミュージアムなどをしつらえた人気列車です。熊本~人吉は約2時間半、特に八代からは
球磨川沿いの美しい景色に汽笛や力強い動輪の音、風になびく煙が重なり、心に響きます。
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806年(大同元年)創建と言われる神社です。現在の社殿は相良長毎(さがらながつね)により
1610年〜1613年(慶長15年から18年)にかけ造営されたものです。
2008年(平成20年)、文部科学省が人吉市の青井阿蘇神社の社殿郡5棟(本殿、廊、幣殿、拝殿、
楼門)が国宝に指定されました。国内で最南端の国宝建築物です。
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球泉洞
全長約4800メートル。九州最大の鍾乳洞で、西日本では2番目(全国では3番目)の長さを
誇ります。3億年という想像もつかない年月を経てできた美しい石柱や石筍は、今も成長を
続けています。コースは、500メートルの観光コースと、40メートルの縦穴などを階段で下る
探検コースの2つ。国道219号線沿いにあり、球磨川下り終点場所となっています。
令和2年7月豪雨の影響で、当面の間休館中
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人吉の地図
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玖珠 & 九重の観光情報
玖珠は、大分県の中西部に位置する、玖珠郡に属するまちです。町域は九州山地に含まれており、
多数のメサが盆地を取り囲む特徴的な景観を呈します。町域の多くは耶馬日田英彦山国定公園に
指定されています。 九重は、玖珠町に隣接する、玖珠郡に属するまちです。全域が山地である。
町域の多くは阿蘇くじゅう国立公園に指定されています。
長さ390m、高さ173m、幅1.5mのこの橋は、歩道専用として『日本一の高さ』を誇る吊橋です。
すぐ目前に、「日本の滝百選」にも選ばれた、「震動の滝・雄滝」や「雌滝」を望み、足下に
筑後川の源流域を流れる鳴子川渓谷の原生林が広がり、 四季折々に織りなす大自然の変化は
訪れる人々を魅了します。
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パワースポットとしても人気を集いる、幸運をもたらすという「白いのしし」の家族が
住んでいます。境内や参道では約1万株の紫陽花に迎えられ、6月中旬から7月下旬には
色とりどりの紫陽花が咲き誇ります。見頃を迎える7月にはあじさい祭りも催され沢山の
人で賑わいます。また、秋には紅葉も楽しめます。
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桶蓋山の山麓標高1000mの山峡に湧くに点在する魅力的で個性溢れる宿が30件近く点在し、
1000年以上の長い歴史を誇る温泉郷です。開湯は958年にまで遡り、温泉地として開かれたのは
1658年になります。「筋湯」という名の由来は、白壁造りでどっしりと建てられた共同浴場
「うたせ大浴場」の湯にあります。2mの高さから湯が落ちる「日本一のうたせ湯」の異名を
遂げ“筋肉をほぐす湯”として、肩こりなどの筋の凝りなど「筋の病に効く」ということから
「筋湯」と呼ばれるようになりました。
また、四季折々の表情を見せる飯田高原も近く、夏は避暑地として賑わう観光地としても知られ、
観光客を日頃の疲れを癒す温泉郷として、今も広く人々に愛され続けています。
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玖珠 & 九重周辺地図
唐津 & 呼子の観光情報
唐津は、佐賀県の北西に位置し玄界灘に面する地方都市です。 中心市街地は唐津藩の城下町が
前身で、唐津神社の秋季例大祭である唐津くんちや特別名勝の虹の松原などで有名で、広大な面積
に多数の観光資源を有しています。
呼子は2005年に唐津を合併、漁業が盛んで新鮮な海産物と「呼子の朝市」で知られ、多くの観光客
が訪れるところです。
豊臣秀吉の家臣、寺沢志摩守広高によって1602年(慶長7年)から7年の歳月を費やして
築城されました。東西に伸びる松原が両翼を広げた鶴のように見えることから、
別名「舞鶴城」と呼ばれています。
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東松浦半島の突端に位置する佐賀県唐津市の呼子町、目の前に横たわる加部島が
玄界灘の荒波から港を守る呼子の地は、昔から天然の良港として栄えてきました。
そんな小さな港町は、全国に知られる“イカの町”で「イカの活造り」や「呼子の朝市」
など新鮮な魚介類を求めて、年間を通じて多くの観光客が訪れています。
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鏡山は標高284mの山で、眼下に市街地はもちろん、国の特別名勝・虹の松原や唐津湾、
そのかなたに壱岐の島影をも望む、絶景を誇る名所です。山頂へ続く、曲がりくねった
5キロの道のりは絶好のドライブコースとして親しまれています。
鏡山山頂には、展望台や休憩所、芝生の広場が整備され、桜やツツジなどの花の
名所でもあります。
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豊臣秀吉による文禄・慶長の役(1592年~1598年)の出兵基地であり、日本列島と朝鮮半島
との長い交流史のなかで、その関係を一時断絶させた不幸な歴史の
舞台です。同時に、名護屋城跡を中心に半径3キロメートルの範囲にひろがるこの遺跡群は、
全国から160を超える大名が集結し陣屋を構築して在陣するという、日本の歴史上にも類を
見ない、広域かつ特異な遺跡群です。
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東松浦半島に突き出た小さな岬です。美しい風景はもちろん、周辺はハイキング、釣り、
キャンプ、海水浴などいろんな楽しみ方ができるリゾートエリアになっています。
海中から突き出た白い海中展望塔は必見です。波戸岬の陸地から86mの桟橋でつながれた
塔は高さ20m直径9m。水深7mの海中展望室の24個の窓からは漁の群れや海草など
海中観察が楽しめます。
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人と自然と原子力を中心に、さまざまなエネルギーとふれあうことができます。
原子力発電のしくみや安全性、放射線など、科学のエネルギーについて楽しみながら学ぶ
ことができるのが「サイエンス館」があります。映像やゲームによってエネルギーのことを
体感することができるので、楽しく親しみやすい施設となっています。地下1階、地上4階の
吹き抜けにそびえる、高さ約13m、内径4.5mの全周型実物大原子炉模型を展示した施設は
全国初で、原子炉模型に組み込まれた迫力の大画面で、原子炉の働きや原子力発電のしくみを
コンピュータグラフィックスを駆使して、わかりやすく紹介しています。
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唐津 & 呼子の地図
武雄 & 嬉野の観光情報
武雄は、佐賀県の西部に位置する地方都市で、中心には開湯以来1300年経つ武雄温泉があり、
この温泉には東京駅の設計を行った辰野金吾設計の楼門があります。
嬉野は、佐賀県の西部に位置する地方都市で、日本三大美肌の湯で知られる嬉野温泉があります。
また室町時代から始まったとされる日本茶の産地です。
日本三大美肌の湯”にも数えられる「嬉野温泉」は九州でも有数の大温泉街で嬉野川を挟んで
大小50軒近くの旅館が軒を並びます。
美肌の湯とも呼称される嬉野温泉は、飲用にも適しており、中でも温泉を使って炊いて
いるという温泉湯豆腐は嬉野を代表する名物です。
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温泉の入口に立つ朱塗りの楼門は、竜宮城を連想させる鮮やかな色彩と形で、天平式楼門と
呼ばれ、釘を一本も使っていない独創的な建築物です。
東京駅を設計した『辰野金吾』の設計で、1915年(大正4年)に完成しました。
2005年(平成17年)に国の重要文化財に指定されています。(2013年)平成25年には
保存修理が行われ、建造当時の朱色が復元されました。
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全国巨木第7位にランクし、樹齢3000年以上で、市の天然記念物に指定されています。
樹高30m、幹回り20m、枝張りは東西30m・南北33m。武雄市内最古の神社、武雄神社の
神木となっています。象の足を思わせる根元がごつごつした樹皮に覆われ、その中央が
地表近くで口を開けています。広さおよそ12畳の内部には、天神が祀られています。
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御船山の西麓に広がる御船山楽園。武雄領第二十八代領主・鍋島茂義公が別荘を設けるため、
約3年の歳月を費やしてこの地に造園したといわれています。春は、2千本の桜、そして
5万本のツツジが中国の山水画を彷彿させる御船山の断崖を背景に見事な景観を作ります。
秋は、御船山の懐を錦に染める樹齢170年の大モミジの古木に、ツツジ谷、振り向き坂などの
名物スポット、池越しに眺める紅葉の広がりなど昼と夜で雰囲気が変わる絶景です。
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武雄 & 嬉野の地図
鹿島 & 太良の観光情報
鹿島は佐賀県の西南部に位置し、東には有明海が広がり、西は多良岳山系に囲まれ自然環境に
恵まれたところです。年間280万人の参拝客が訪れる日本三大稲荷の一つの祐徳稲荷神社や
酒蔵巡りも楽しめます。
太良は、鹿島の南側に隣接し、有明海に面した町です。
「日本三大稲荷」に数えられている神社です。境内は、楼門や神楽殿、本殿などで構成され、
豪華で鮮やかな外観から「鎮西日光:九州の日光東照宮)」と呼ばれています。
本殿の先には奥の院へ向かって朱色の鳥居が続き、奥の院からは有明海まで一望できる絶景が
広がります。四季が非常に豊かな神社で、春は境内を桜が彩り、秋にはモミジやイチョウが
紅葉します。
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佐賀県有明海に浮かぶ大魚神社・海中鳥居が作り出す神秘的な景色。
海中鳥居は、海の守り神として30年ごとに建て替えられ、長い間大切にされてきました。
この鳥居のある太良町は「月の引力が見える町」といわれ、満干時の潮位の差が他の地域に
比べても大きくなる場所です。引き潮時には鳥居の下を歩けるほどになります。
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南北朝時代に島原の有馬隆泰によって築城されました。その後戦国時代の末、龍造寺家晴
により修築され島原の乱の後取り壊されたと伝えられています。竹崎島の地形を利用し
水陸両面に備えた山城と水城との性格を併せ持つ構築様式であること等から、町内の中心的城
だったと考えられます。現在では石垣の一部と空壕が一条残ってるにすぎませんが石垣の規模
から見て県内では名護屋城、唐津城、佐嘉城に比すべきものだったと考えられます。
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竹崎カニは、太良町を代表する特産物です。カニの種類は全国的には「ワタリガニ」として
知られているものですが、太良町の竹崎地区近海で獲れるものは特に「竹崎カニ」とよばれて
珍重されています。有明海の干満の差でできる広大な干潟、その干潟に棲むプランクトンや小動物は、
1日1回は潮の引いた干潟の上で日光を浴びます。食べ物をおいしくする遠赤外線を多く吸収した
それら小動物は竹崎カニの格好のえさであり、それを食べる竹崎カニはそれゆえに、格段に美味
であるといわれています。
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鹿島 & 太良の地図
有田 & 伊万里の観光情報
有田は、佐賀県の西部に位置し、西松浦郡に属する町です。日本の伝統工芸品の1つ、
有田焼の産地として知られています。豊臣秀吉の朝鮮出兵の際、肥前の領主であった鍋島直茂
に同行してきた陶工たちの一人の李参平が、1616年に有田東部の泉山で白磁鉱を発見し、
天狗谷窯を開き日本初の白磁を焼いたとされ、有田焼の祖となった。
伊万里は、佐賀県の西部にある市で、かつて伊万里港から積み出しを行っていた磁器・伊万里焼で
有名です。伊万里焼きは、鍋島焼きとも言われ、大川内山で製造された高級磁器の総称です。
伊万里市の大川内山は煉瓦造りの煙突や窯元が立ち並び、300年余りの歴史と伝統を感じさせる
焼物の町です。かつて鍋島藩の徹底した管理のもと「色鍋島」「鍋島染付」「鍋島青磁」などの傑作を
生み出した藩窯があった山です。
三方を山に囲まれ、山水画を思わせる独特の風景はまさに「秘窯の里」です。
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他の神社では見ることができない、すべて磁器製の大鳥居や狛犬、大水瓶、玉垣など、
やきものの町ならではの風情に触れることができます。応仁天皇を主神とし、敷地の中には、
陶祖 李参平碑もあるやきものの神様です。建立は1658年頃といわれています。
陶山神社では、有田ならではのやきもののお守りがあります。
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ドイツ・ドレスデンのツヴィンガー宮殿を再現した有田焼のギャラリーです。
宮殿内部には幕末から明治期にかけての第二次輸出期の作品を展示されています。
400年におよぶ有田焼の歴史の中でも重要な作品の数々、その存在感を充分に体感できます。
また、1870年代のウィーン万博に実際に展示された大花瓶(182㎝)は必見です。
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有田焼の原料となる陶石の採掘場です。江戸時代初期の1616年(元和2年)、朝鮮人陶工・李参平
により発見され、日本で初めて磁器が誕生しました。400年もの時をかけて、ひと山のほとんどを
掘り尽くしたとされる山は扇形に削り取られ、鋭利な岩肌が剥き出しとなっています。日本の
磁器生産に関わる遺跡として国の史跡に指定されました。現在は休鉱中で採掘されておらず、
磁石場が見学できる公園となっています。
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有田 & 伊万里の地図
別府の観光情報
大分県の東部のほぼ中央に位置し、西側には2つの火山・由布岳と鶴見岳を中心にした連山と、
東には瀬戸内海(別府湾)に面しています。2つの火山の東側に多数の温泉が湧き出ていて、
源泉数、湧出量ともに日本一です。また、奇観を呈する自然湧出の源泉を観光名所化した
別府地獄めぐりなど観光スポットも充実しております。
大分県別府市にあり、別府の中で最も温泉源がある温泉地です。
湯治場としての面影を強く残し、レトロな街並みを楽しめます。また別府地獄めぐりが有名で
海地獄や鬼石坊主地獄などをはじめとする地獄が、噴気、熱泥、熱湯を噴出する姿はまさに
「地獄」です。高温の蒸気は「湯けむり」となり空中に高く排出され、温泉場らしい雰囲気を
醸成しています。2012年にはこの湯けむりが上がる別府の町並の景観が「別府の湯けむり・
温泉地景観」として重要文化的景観に選定されました。
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1,000年以上も昔より噴気・熱泥・熱湯などが噴出していたことから「地獄」と称される
不思議な景観です。
別府にはさまざまな地獄があり、特に「海地獄」「鬼石坊主地獄」「かまど地獄」「鬼山地獄」
「白池地獄」「血の池地獄」「龍巻地獄」の7つを巡る観光コースがお勧めです。
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湯けむり漂う、かやぶき小屋が並ぶ温泉街。明礬温泉は別府八湯の中でも最も高いところにる、
落ち着きのある温泉地です。江戸時代に明礬(湯の花)が採取されてきた山の温泉街です。
大昔の住居のようなかやぶき小屋が並んでいるのが湯の花小屋で、明礬温泉の風物詩です。
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標高1375mの鶴見岳へは別府ロープウェイで登ることができます。所用時間は、山上駅まで
約10分です。春、山上では、約5,000本のミヤマキリシマなど珍しい植物が咲き誇ります。
夏は、平地より10度ほど涼しく、ナイター営業の夜は別府湾方面の広大な「夜景」を楽しむ
ことができます。秋はカエデ・ヤマザクラなどの樹々の紅葉が山を彩ります。冬の鶴見岳は
九州では数少ない霧氷の銀世界が楽しめます。
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佐賀市 & 吉野ヶ里の観光情報
佐賀市は、佐賀県の南東部に位置する県庁所在地です。市域は南北に長く、南側は有明海に面し、
南東部は筑後川を挟んで福岡県大川市・柳川市に接しています。佐賀は、明治維新、そして
日本の科学技術近代化に大きく貢献したところです。
吉野ヶ里は脊振山地南麓の丘陵地帯で、50ヘクタールにわたって残る弥生時代の大規模な
環濠集落跡で知られています。
本丸御殿とは、「城」の中枢部の建物で、藩主が政治を行い、生活をしていた場所です。
現在は、佐賀城本丸御殿の一部を復元した「佐賀城本丸歴史館」が佐賀城跡に建てられて
います。当館は、日本で初めて本丸御殿を復元しており、2,500平方メートルの規模を誇ります。
館内では、時代を先導した「幕末維新期の佐賀」をテーマに佐賀城の復元や幕末維新期を先導
した佐賀藩の科学技術、佐賀が輩出した偉人について分かりやすく紹介しています。
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文化、交通、学問の神様、幕末の名君、佐賀鍋島藩10代直正、11代直大藩主を祀る神社です。
藩主直正は、国内初の反射炉、大砲カノン砲、アームストロング砲などを作り、近代日本の
幕開けに貢献しました。その功績を称え別格官幣社として祀られています。初詣の時期には、
多くの参拝客でにぎわいます。
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弥生時代は、日本で稲作の文化が始まり、定住文化が根付いた日本の文化の原点ともいえる
時代です。弥生時代の遺跡の中でも吉野ヶ里遺跡は、佐賀県神埼郡の我が国最大の遺跡で、
弥生時代における「クニ」の中心的な集落の全貌や、弥生時代700年間の移り変わりを知る
ことができ、日本の古代の歴史を解き明かす上で極めて貴重な資料や情報が集まっています。
佐賀牛は、佐賀県農業協同組合(JAさが)管内の肥育農家で飼育される黒毛和種の和牛のうち、
一定の基準を満たした場合に呼称が許される牛肉の名称です。
柔らかい赤身の中にきめ細やかに風味ただよう脂肪が入った見事な霜降り牛肉です。
ステーキによし、しゃぶしゃぶによし。この甘くてこくのある美味い肉は、佐賀県特有の
穏やかな気候と美味しい水、澄み切った空気のたまものです。
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築地反射炉は佐賀藩10代藩主、鍋島直正がつくらせた日本初の実用反射炉です。
反射炉とは、燃料の熱を壁や天井の面で反射させて炉内の温度を上げ、鉄や銅などの
金属を溶かす溶解炉であり、その完成により、日本でも鉄製大砲の鋳造が可能となりました。
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佐賀市の地図