中津 & 耶馬渓の観光情報
中津は、大分県の北西端に位置する市で、大分県内では大分市、別府市に次いで人口が3番目に
多い都市です。 城下町で、青の洞門、羅漢寺、福澤諭吉旧居、中津城などの文化財や歴史的建造物、
市域南部には景勝地の耶馬渓がある観光都市です。
黒田官兵衛(孝高)によって築かれた城で、完成させたのは細川忠興といわれます。
今治城や高松城と並ぶ日本三大水城のひとつに数えられています。本丸上段にある石垣には
黒田氏時代のものを細川氏が拡張した継ぎ目が見られます。黒田氏時代に築かれた石垣は、
現存する石垣としては九州最古のものです。江戸時代中期に奥平昌成が中津藩主となり、
明治維新まで奥平家の居城となりました。
福澤諭吉は大阪で誕生(1835)し、1歳で母の実家中津に帰郷しました。
蘭学を学ぶために長崎へ行く19歳までを過ごした家です。母屋や勉強部屋の土蔵などが残り、
隣接する記念館には『学問のすゝめ』の版本や遺品、新旧2枚の一万円札の1号券を展示
してあります。
1587年(天正15)、黒田官兵衛孝高によって建立されました。深紅に塗られた壁は城下町
中津の中でもひときわ強烈な印象を与え、別名・赤壁寺とよばれています。豊臣秀吉の時代、
豊前の実力者だった宇都宮鎮房(しげふさ)が騙し討ちに遇い、この寺を宿舎にしていた
家臣たちも全員討ち死。その時の血潮を浴びた門前の白壁は何度塗り替えても血痕が浮き
出るため、ついに赤壁に塗り替えたといわれています。当時の激戦の様子は現在も境内の
大黒柱に刀の痕が点々と残されています。
耶馬渓を代表する名勝で、山国川下流側から一の峰・二の峰・三の峰・恵比須岩・大黒岩(帯岩)
・妙見岩・殿岩・釣鐘岩・陣の岩・八王子岩などの巨峰や奇岩群が約1キロに渡り連なっていて、
その裾野には青の門が穿たれています。競秀峰の名は1763年(宝暦13年)に訪れた江戸にある
浅草寺の金龍和尚に命名されましたが、1818年(文政元年)に訪れた頼山陽が描いた水墨画の
代表作「耶馬渓図巻」によって天下に紹介されました。
耶馬渓の荒々しい岩山・羅漢山の中腹に位置する羅漢寺。今から1300年以上前、645年
(大化元年)にインドの僧侶・法道仙人がこの地で修行したことが羅漢寺の始まりと
されています。リフトもしくは少し急勾配な参道を10分ほど歩くと、羅漢山の岩腹に張り付いた
ように建てられた厳かな本堂にたどり着きます。羅漢(らかん)とは、釈迦の悟りを得た弟子達
のことです。その姿を彫った日本最古である五百羅漢は、笑っていたり泣いていたりとさまざまな
表情を見せています。
中津&耶馬渓の地図
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鹿児島の観光情報
鹿児島県の中部に位置する市。鹿児島県の県庁所在地です。古くから薩摩藩、90万石の城下町
として栄えてきました。19世紀の中頃にはヨーロッパの機械文明を取り入れた研究が進み、
第28代当主島津斉彬のもと尚古集成館事業として反射炉が造られ、日本における近代工業化の
発祥の地となり、近代日本の黎明期、明治維新において政治家、官僚、軍人等数多くの人物を
輩出し、近代日本建設の礎となりました。
1658年(万治元年)に島津家19代光久によって築かれた島津家の別邸です。
雄大な桜島を築山、錦江湾を池に見立てたスケールの大きな庭園で、28代斉彬もこよなく愛し、
篤姫など多くの人を魅了しました。およそ1万5千坪の広大な庭園には、四季折々の花々が咲き誇り、
大名家ならではの催しも魅力です。ガス灯の実験に使用された鶴灯籠や、全国でも珍しい猫を
祭った猫神、江戸時代の正門である錫門(すずもん)など、見どころが満載です。
仙巌園が位置する磯エリア一帯は、2015年(平成27年)に「明治日本の産業革命遺産」として
世界文化遺産に登録されました。
1865年(慶応元年)に建てられ、金属加工や蒸気機関の修理などを行っていた、現存する
最古の洋式工場建築物です。 2015年(平成27年)には「明治日本の産業革命遺産」の
構成資産として、世界文化遺産に登録されました。現在は、島津家の歴史や集成館事業を
紹介する博物館として、江戸時代につくられた 薩摩切子や、工場として稼働していた当時の
機械 など、島津家伝来の資料を中心に収蔵・展示しています。
鹿児島市の地図
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高千穂の観光情報
高千穂は宮崎県の北端部、九州山地の中に位置している町です。観光名所の高千穂峡は、
高千穂町三田井にある五ヶ瀬川にかかる峡谷で、国の名勝、天然記念物に指定されています。
岩戸神社は、天照大神がお隠れになられた天岩戸を御神体としてお祀りしている、
古事記・日本書紀に記される天岩戸神話を伝える神社です。
高千穂峡は、その昔阿蘇火山活動の噴出した火砕流が、五ヶ瀬川に沿って帯状に流れ出し、
急激に冷却されたために柱状節理のすばらしい懸崖となった峡谷です。
この高千穂峡は、1934年(昭和9年)、国の名勝・天然記念物に指定されました。
付近には日本の滝百選にも選ばれた真名井の滝、槍飛橋などがあります。
乗船した人でないと見ることが出来ない絶景。
高千穂峡は大昔に阿蘇の火山活動で噴出した火砕流が、五ヶ瀬川に沿って帯状に流れ出し、
急激に冷やされたために出来上がった峡谷です。火砕流が侵食されて柱状節理の素晴らしい
断崖をつくりだしています。その絶景をボート上から楽しみませんか。
約1900年前の垂仁天皇時代に創建された、高千穂郷八十八社の総社です。
神社本殿と所蔵品の鉄造狛犬一対は国の重要文化財に指定されています。
主祭神は高千穂皇神と十社大明神で、特に農産業・厄祓・縁結びの神をして広く
信仰を集めています。
宮崎県高千穂町に鎮座し、日本神話 (古事記・日本書紀) の中に書かれている天照大神の
お隠れになられた天岩戸と呼ばれる洞窟を御神体として祀られており、天岩戸神話の舞台
となった場所です。 岩戸川をはさんで西本宮と東本宮が鎮座し、両社とも、天照大神を
御祭神として祀られています。 川上には八百萬の神々が集まりになり、相談をされた
天安河原があります。
高千穂の地図
霧島の観光情報
霧島市は、鹿児島県本土の中央部に位置する市。2005年、国分市と溝辺町・横川町・牧園町
霧島町・隼人町・福山町の1市6町が合併して誕生した市で、鹿児島県では、鹿児島市に次いで
2番目の人口規模を有する市です。日本百名山の霧島山や、鹿児島神宮、霧島温泉郷や日当山温泉、
妙見温泉などの温泉で知られる観光地でもあります。
霧島屈指のパワースポット!
閑寂な老杉の濃い緑に包まれた参道・境内を抜けると、格調高い朱塗りの社殿の荘厳かつ
豪華絢爛な姿があらわれます。建国神話の主人公である瓊瓊杵尊を祀った霧島神宮は、
創建が6世紀と古い歴史を誇る神社です。最初は高千穂峰と火常峰(御鉢)の間にある
背門丘に建てられたといわれていますが、霧島山の噴火による消失と再建を繰り返し、
500年以上前に現在の場所に移されました。
霧島連山の南西に点在する温泉地の総称が「霧島温泉郷」です。天孫降臨伝説の霧島山の
懐から湧き出る霧島温泉郷は、大小9つの温泉からなり、いずれも標高600mから850mの間に
位置し、さまざまな泉質があってあらゆる症状に効果があります。付近には丸尾滝、布引滝、
千畳敷、霧島最古とうわれる岩風呂などの名所があり、旅館・ホテル等も多く存在し、
霧島観光の拠点となっています。
鹿児島で「あまん」と呼ばれている酢について、特徴や製法を紹介する「くろず情報館」。
雄大な桜島を望む景勝の地・福山町に伝わる天然つぼ酢の製法や特徴について一覧でき、
各種の食酢のいろいろな情報を見聞できる施設です。また、隣接してくろずレストランも
あります。
霧島の地図
黒川温泉 & 小国の観光情報
熊本県の阿蘇のさらに奥地。大分県との県境、九州の北部中央エリアに位置します。
緑ゆたかな山々に囲まれ、三十軒の旅館が集まった「黒川温泉郷」、高速道路からも
駅からも遠い、田舎の温泉街です。黒川温泉郷のコンセプトは、三十軒の宿と里山の
風景すべてを、「一つの旅館」として考え、それを表す言葉が「黒川温泉一旅館」。
季節ごひとつひとつの旅館は「離れ部屋」。そして、旅館をつなぐ小径は「渡り廊下」。
温泉街全体の風景が、まるで一つの旅館のように自然へと溶け込んでいます。
滝の裏側に入ることができる珍しい滝。“シルクのカーテン”越しに眺める新緑や紅葉の美しさ
は必見です。鍋ヶ滝は、昔の阿蘇山の噴火により蓄積した火砕流蓄積物が、長い年月をかけて
川に侵食されて形成されたものです。その滝と周辺の自然を合わせた一帯は、鍋ヶ滝公園と
呼ばれています。落差約10メートル、幅約20メートルと、鍋ヶ滝は小規模な滝ながら、
静かな流れと周辺の自然と調和した様子がとても美しい絶景スポットです。
南小国町の中心部に「そば街道」はあります。 阿蘇山系からの湧水と自然溢れる環境が
蕎麦づくりに最適だったことから、10年前から点々とお店が出来、そば街道が誕生しました。
熊本県阿蘇郡に位置する南小国は、観光地として有名な黒川温泉などがあり、県外客はもとより、
海外からの観光客も増加している魅力的なエリアです。その中でお勧めは 吾亦紅で、手打ちへの
こだわりの店です。囲炉裏配置した店内は、旅の疲れをゆっくり癒していただけるよう、
田舎づくり徹底していて雰囲気も最高です。
黒川温泉 & 小国の地図
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日向の観光情報
宮崎県の北東部に位置する市です。太平洋に縁どられた美しい砂浜が続く日向市。大海原を一望
できる日向岬のスケールの大きさと絶景は圧巻です。また、古くからの廻船問屋で栄えた港町
「美々津」や東九州の海上交通の要衝として栄えた 「細島」には、数多くの歴史的建造物や文化財
が残されています。
柱状岩が波の侵食で東西200メートル、南北220メートル、高さ10メートルにわたって
裂け、十文字に見えることからこう呼ばれています。
十字に割れた岩の外に、小さな岩場があり、合わせると「叶」の字に見えることから、
ここで祈りをささげると「願いが叶う」といわれています。
日豊海岸国定公園の美しいリアス式海岸の代表格です。太平洋の荒波によって作り出された
高さ70m入り口から200mほどもある「馬ヶ背」の断崖絶壁は、立っていられないほどの迫力
です。谷底からの波と風に足がすくみ「自然の力はすごい!」と、圧巻です。「馬ヶ背」とは、
上から見ると馬の背のように見えることからこの名前が付いています。
2018年(平成30年)には日向岬の柱状節理として国の天然記念物に指定されました。
宮崎県日向市の南、日向灘に面した港町・美々津は、穏やかな風の流れる小さな港町です。
今は、のんびりとした空気が漂う美しい場所だが、この地はかつて、日向一帯と瀬戸内地方や
上方(大阪)とを結んだ重要な商業港であった場所です。古くは、神武天皇が東征した際に
船出したと伝えられる美々津の町は、室町時代には既に日明貿易港として栄えました。
日向市南部,国道10号線沿いの日向灘をのぞむ場所にあります。
日向サンパーク温泉やテニスコートなどが併設してあり、多様な楽しみ方ができる
キャンプ場です。夏だけでなく冬でも様々な用途に使用することができます。
日向の地図
桜島の観光情報
錦江湾にある東西約12km、南北約10 km、周囲約55 kmの火山で、かつては島であったが、
1914年の噴火により、鹿児島市の対岸の大隅半島と陸続きなりました。現在もなお活発な活動
を続けている。海の中にそびえるその山容は特に異彩を放っており、鹿児島のシンボルの一つ
とされ、観光地としても知られています。
鹿児島港と桜島港を約15分で結ぶ市営のフェリーで、15分~20分間隔で出航、24時間運行して
います。自転車や車を積むことも可能です。
「桜島へ着いたけど、どこへ行こう?」と考えている方は、まず桜島ビジターセンターへ!
ここは噴火の歴史やメカニズムをなどを解説・展示するミニ博物館です。
火山のことから観光案内まで、桜島に関するあらゆる情報がそろいます。
大画面で見る映画(英・中・韓の3カ国語字幕付きあり)には、桜島の魅力がぎっしり。
模型や展示を見れば、桜島の噴火の歴史や植物の移り変わりがよくわかります。
桜島港から西へ広がる大正溶岩地帯、その海岸の一角から烏島展望所までの約3キロが
遊歩道になっています。ジョギングやサイクリングには格好のロードで、岩場では海苔や
ワカメ、貝捕りなどを楽しむことができます。また、メジナやカサゴをはじめ一年中魚種が
豊富です。絶好のポイントばかりで最高の釣り場にもなっています。
2004年8月21日、桜島で長渕剛さんのオールナイトコンサートが開催されました。
75,000人もの観客が桜島で夜を明かしたこのイベントは、今でも伝説として語り継がれています。
そのコンサート会場の跡地を整備して作られたのが、ここ赤水展望広場。
錦江湾を挟んで鹿児島市街地を望む、とても景色の良い公園です。
桜島の北岳4合目、標高373mと最も高い所にあり、桜の花びらをデザインした屋根が
印象的な展望所です。ここから仰ぎ見る南岳の山容や噴煙を上げるさまはまさに圧巻です。
眼下には波静かな錦江湾と鹿児島市街地、南は開聞岳まで一望できる島内一の景勝地です。
360度のパノラマが見る人を飽きさせません。
南岳の麓、有村地区の大正溶岩原に作られた展望所です。一面に広がる溶岩原と、
その上に根を張るクロマツが、非日常の景色を作り出しています。
全長約1kmの遊歩道からは、山のみでなく、錦江湾も一望でき、天気がよければ
開聞岳まで望むことができます。
桜島の地図
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天草の観光情報
天草は、九州西部の熊本県と鹿児島県にまたがる諸島です。かつてキリスト教の布教が広がり、
キリシタン弾圧や島原・天草の乱などのあったことから、キリシタンの島として知られ、現在も
3か所のカトリック教会があります。島原半島とともに雲仙天草国立公園に指定されていて、
海水浴、イルカウォッチング、船旅、温泉などを楽しめます。
九州本土と天草諸島を結ぶ、1961年(昭和41年)に開通した、全12kmの5つの橋です。
三角から大矢野島・永浦島・大池島・前島を経て天草上島までつながっています。
「天草パールライン」の愛称で親しまれています。1号橋(天門橋)、2号橋(大矢野橋)、
3号橋(中の橋)、4号橋(前島橋)、5号橋(松島橋)からなります。
宇土半島の三角から天草上島までをつなぐ、天草五橋をめぐる遊覧船で、松島橋の南側の船着場
から発着しています。天草には大小さまざまな島が点在しており、大矢野橋、中の橋、前島橋、
松島橋と、それらの島々が織り成す美しい風景を海上から堪能できます。天草五橋は、美しい
夕日を眺めることができるスポットとして「日本の夕陽百選」にも選ばれています。
島原の乱で天草四郎とともに、信仰の戦いにすべてを捧げた民衆の姿を伝えるテーマ館です。
島原・天草一揆の歴史的背景と、南蛮文化の影響を受けた当時の模様を資料と映像により
わかりやすく紹介します。天草四郎の真の姿と、民衆の熱き思いを今に伝えます。
園内には、愛する人のことを思いながら有明海に向かって鐘をつくと、潮風にのってその
思いが相手に伝わるという「愛の鐘」もあります。
タコによるまちづくりの一環として、平成17年に国道324号の有明区間を「天草ありあけタコ街道」
と命名されました。天草でタコが多くとれる夏には、8本足を広げたユーモラスな姿の干しダコが
街道沿いの海岸に多く見られ、天草の夏の風物詩となっています。街道中央の道の駅有明
リップルランド前の海岸には、シンボルの巨大タコモニュメントがみなさんをお出迎えしている。
長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産の一つとして、崎津集落が2018年に世界遺産に
登録されました。禁教期の﨑津集落の潜伏キリシタンは、大黒天や恵比須神をキリスト教の
唯一神であるデウスに、アワビの貝殻の内側の模様を聖母マリアにそれぞれ見立てるなど、
漁村特有の生活や生業に根差した身近なものをキリシタンの信心具として代用するということ
によって信仰を実践してきました。解禁後はカトリックに復帰し、禁教期に祈りをささげた
神社の隣接地に崎津教堂を建てたことにより、彼らの「潜伏」は終わりを迎えました。
キリスト教解禁後、天草で最も早く造られた教会です。現在の建物は1933年(昭和8年)、
フランス人宣教師・ガルニエ神父が地元信者と力を合わせて建立されました。敷地内には、
パーテルさんとして親しまれたガルニエ神父の像やルルドの聖母マリア像があり、今でも
天草キリシタンのシンボル的な存在となっています。教会内部では、ステンドグラスや
素朴で温かみのある天井、窓の装飾などを見ることができます。
天草の地図
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指宿 & 薩摩半島の観光情報
指宿は、鹿児島市から南へ約50kmの場所、薩摩半島の南東端に位置し、市の北東部から
東部~南部~南西部にかけて東シナ海と鹿児島湾に面している。市域の中央部に池田湖があり、
その東側には鰻池がある。市の南西部の東シナ海沿いには開聞岳があります。
主に海岸沿いに市街地が形成されているが、開聞岳近辺の地域では開聞岳より内陸に市街地が
あります。
薩摩半島の最南端にある温泉リゾートです。
世界的に珍しい天然の砂蒸し温泉として、海外からも訪問客が訪れる指宿の観光名所
「砂むし会館 砂楽(さらく)」。指宿市街地の海沿いにあるため、市内のホテルからも近く、
時間を気にせず気軽に砂蒸しを楽しむことができます。
大昔の火山活動によって形成された周囲15キロ、最大水深233メートルの九州最大のカルデラ湖。
指宿市の天然記念物に指定されている体長1.8メートル・胸回り60センチ・体重20キログラムもの
大うなぎが数多く生息し、また謎の生物「イッシー」が棲むといわれる神秘的な湖です。
湖畔には四季折々の花々が植栽され、特に1月は菜の花が満開となります。
指宿枕崎線 西大山駅はJRで日本最南端の駅です。
畑の中にたたずむこの駅は、正面に臨む、別名「薩摩富士」とも言われる開聞岳が目の前に迫る景観
も自慢です。駅前にある幸せを届ける黄色いポストや、幸せの鐘なども、旅に彩りを添える人気の
スポットです。日本最南端を走る指宿枕崎線で、ぜひ西大山駅へお越しください。
薩摩半島最南端、長崎鼻に位置する神社です。
豊玉姫(乙姫)を御祭神としています。竜宮城を思わせる社殿も印象的です。長崎鼻には
「竜宮鼻」という別名があり、浦島太郎や山幸彦の伝説も伝わっています。縁結びの
パワースポットとしても人気です。
薩摩半島の最南端に突き出た岬です。岬の西方には弓なりの砂浜が続き,その端に開聞岳がそびえ
立っています。天気のいい日には,南の洋上に屋久島・竹島・硫黄島を望むことができます。
浦島太郎が竜宮へ旅立った岬と言い伝えられ「竜宮鼻」の別名を持ちます。
明治の頃より続く焼酎蔵です。代々受け継がれた伝統の手造りやカメ壺造りを得意とし、
江戸中期や明治時代の焼酎をはじめ、奥深い「さつま芋焼酎」の復元に成功しています。
さらに,仕込みの作業などを直接現場に入って見学でき、また焼酎の試飲も楽しめます。
薩摩半島の地図
豊後高田 & 国東半島の観光情報
国東半島は、大分県の北東部に位置する半島です。標高721mの両子山をはじめとする両子火山群
の峰々がそびえており、半島全体が円に近い火山地形である。丘陵地と谷が海岸に向かって放射状
に伸びています。奈良時代から平安時代にかけて、仏教に宇佐八幡の八幡信仰を取り入れた
「六郷満山」と呼ばれる仏教文化が形成され、山岳地域の険しい山道を歩く「峰入り」と呼ばれる
難行が行われるようになりました。
豊後高田市の中心商店街は、江戸時代から明治、大正、昭和30年代にかけて、国東半島でもっとも
栄えた町でした。江戸時代から海上運輸で栄え、昭和初期にも京阪神に行き来した運搬船が多数
停泊していました。
そして、商店街が元気だった最後の時代、あの昭和30年代の活気が今でも残るまちです。
春は約2,200万本の菜の花、夏は約160万本のひまわりが咲き誇る、キャンプ場“花とアートの
岬長崎鼻”です。長崎鼻は周防灘に面した岬の先端に位置したリアス式海岸で、海水の力で
浸食された“海蝕洞窟”が島全体で約20程あります。海水浴ができるビーチもすぐそばにあります。
鬼が一晩で積んだという、険しい石段を登った先にあるのが熊野磨崖仏です。日本最大級の磨崖仏は、
国指定の重要文化財で、平安時代の末期の作といわれています。絶壁の右手に引き締まった表情の
「大日如来(約6.7m)」、左手に微笑んでいるかのような「不動明王(約8m)」がそれぞれ刻まれて
いるのですが、その姿は余りに自然で、まるで以前からそこにあったかのように周囲の風景に溶け
込んでいます。
国東半島の中心にある六郷満山寺院で、開基は718年(養老2年)仁聞菩薩によるものです。
特に江戸時代より総持院として満山寺院を統括してきました。山門に安置されている仁王像は
国東最大のもので、その彫りの美しさから、国東半島を代表する仁王像であるといわれています。
護摩堂の本尊は鎌倉時代の不動明王で毎月28日の縁日には、護摩焚きがあり、特に厄除けなど
諸祈願を行っています。また、奥の院本殿に祀られている十一面千手観音、両所大権現は古来
より子授けの信仰があります。また境内一帯は春の新緑、秋の紅葉と名所になっています。
平安時代に宇佐神宮大宮司の氏寺として開かれた由緒ある寺院で、中でも富貴寺大堂は、
宇治平等院鳳凰堂、平泉中尊寺金色堂と並ぶ日本三阿弥陀堂のひとつに数えられ、
現存する九州最古の木造建築物であり、国宝指定されています。
美しい緑の山々に囲まれた国東半島の中心部にある温泉宿泊施設です。露天風呂は、
四季の移ろいを堪能できる絶景が広がっています。宿泊施設として、カナディアンログ製の
コテージ4棟、和室と洋室がそれぞれ4室あります。都会の喧騒から離れ、山里で自然を
満喫できます。コテージ4棟と和・洋室それぞれ4室あります。
国東の海の幸山の幸を使った料理も評判です。
国東半島の地図