日向の観光情報
宮崎県の北東部に位置する市です。太平洋に縁どられた美しい砂浜が続く日向市。大海原を一望
できる日向岬のスケールの大きさと絶景は圧巻です。また、古くからの廻船問屋で栄えた港町
「美々津」や東九州の海上交通の要衝として栄えた 「細島」には、数多くの歴史的建造物や文化財
が残されています。
柱状岩が波の侵食で東西200メートル、南北220メートル、高さ10メートルにわたって
裂け、十文字に見えることからこう呼ばれています。
十字に割れた岩の外に、小さな岩場があり、合わせると「叶」の字に見えることから、
ここで祈りをささげると「願いが叶う」といわれています。
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日豊海岸国定公園の美しいリアス式海岸の代表格です。太平洋の荒波によって作り出された
高さ70m入り口から200mほどもある「馬ヶ背」の断崖絶壁は、立っていられないほどの迫力
です。谷底からの波と風に足がすくみ「自然の力はすごい!」と、圧巻です。「馬ヶ背」とは、
上から見ると馬の背のように見えることからこの名前が付いています。
2018年(平成30年)には日向岬の柱状節理として国の天然記念物に指定されました。
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宮崎県日向市の南、日向灘に面した港町・美々津は、穏やかな風の流れる小さな港町です。
今は、のんびりとした空気が漂う美しい場所だが、この地はかつて、日向一帯と瀬戸内地方や
上方(大阪)とを結んだ重要な商業港であった場所です。古くは、神武天皇が東征した際に
船出したと伝えられる美々津の町は、室町時代には既に日明貿易港として栄えました。
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日向市南部,国道10号線沿いの日向灘をのぞむ場所にあります。
日向サンパーク温泉やテニスコートなどが併設してあり、多様な楽しみ方ができる
キャンプ場です。夏だけでなく冬でも様々な用途に使用することができます。
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日向の地図
桜島の観光情報
錦江湾にある東西約12km、南北約10 km、周囲約55 kmの火山で、かつては島であったが、
1914年の噴火により、鹿児島市の対岸の大隅半島と陸続きなりました。現在もなお活発な活動
を続けている。海の中にそびえるその山容は特に異彩を放っており、鹿児島のシンボルの一つ
とされ、観光地としても知られています。
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鹿児島港と桜島港を約15分で結ぶ市営のフェリーで、15分~20分間隔で出航、24時間運行して
います。自転車や車を積むことも可能です。
「桜島へ着いたけど、どこへ行こう?」と考えている方は、まず桜島ビジターセンターへ!
ここは噴火の歴史やメカニズムをなどを解説・展示するミニ博物館です。
火山のことから観光案内まで、桜島に関するあらゆる情報がそろいます。
大画面で見る映画(英・中・韓の3カ国語字幕付きあり)には、桜島の魅力がぎっしり。
模型や展示を見れば、桜島の噴火の歴史や植物の移り変わりがよくわかります。
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桜島港から西へ広がる大正溶岩地帯、その海岸の一角から烏島展望所までの約3キロが
遊歩道になっています。ジョギングやサイクリングには格好のロードで、岩場では海苔や
ワカメ、貝捕りなどを楽しむことができます。また、メジナやカサゴをはじめ一年中魚種が
豊富です。絶好のポイントばかりで最高の釣り場にもなっています。
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2004年8月21日、桜島で長渕剛さんのオールナイトコンサートが開催されました。
75,000人もの観客が桜島で夜を明かしたこのイベントは、今でも伝説として語り継がれています。
そのコンサート会場の跡地を整備して作られたのが、ここ赤水展望広場。
錦江湾を挟んで鹿児島市街地を望む、とても景色の良い公園です。
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桜島の北岳4合目、標高373mと最も高い所にあり、桜の花びらをデザインした屋根が
印象的な展望所です。ここから仰ぎ見る南岳の山容や噴煙を上げるさまはまさに圧巻です。
眼下には波静かな錦江湾と鹿児島市街地、南は開聞岳まで一望できる島内一の景勝地です。
360度のパノラマが見る人を飽きさせません。
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南岳の麓、有村地区の大正溶岩原に作られた展望所です。一面に広がる溶岩原と、
その上に根を張るクロマツが、非日常の景色を作り出しています。
全長約1kmの遊歩道からは、山のみでなく、錦江湾も一望でき、天気がよければ
開聞岳まで望むことができます。
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桜島の地図
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天草の観光情報
天草は、九州西部の熊本県と鹿児島県にまたがる諸島です。かつてキリスト教の布教が広がり、
キリシタン弾圧や島原・天草の乱などのあったことから、キリシタンの島として知られ、現在も
3か所のカトリック教会があります。島原半島とともに雲仙天草国立公園に指定されていて、
海水浴、イルカウォッチング、船旅、温泉などを楽しめます。
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九州本土と天草諸島を結ぶ、1961年(昭和41年)に開通した、全12kmの5つの橋です。
三角から大矢野島・永浦島・大池島・前島を経て天草上島までつながっています。
「天草パールライン」の愛称で親しまれています。1号橋(天門橋)、2号橋(大矢野橋)、
3号橋(中の橋)、4号橋(前島橋)、5号橋(松島橋)からなります。
宇土半島の三角から天草上島までをつなぐ、天草五橋をめぐる遊覧船で、松島橋の南側の船着場
から発着しています。天草には大小さまざまな島が点在しており、大矢野橋、中の橋、前島橋、
松島橋と、それらの島々が織り成す美しい風景を海上から堪能できます。天草五橋は、美しい
夕日を眺めることができるスポットとして「日本の夕陽百選」にも選ばれています。
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島原の乱で天草四郎とともに、信仰の戦いにすべてを捧げた民衆の姿を伝えるテーマ館です。
島原・天草一揆の歴史的背景と、南蛮文化の影響を受けた当時の模様を資料と映像により
わかりやすく紹介します。天草四郎の真の姿と、民衆の熱き思いを今に伝えます。
園内には、愛する人のことを思いながら有明海に向かって鐘をつくと、潮風にのってその
思いが相手に伝わるという「愛の鐘」もあります。
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タコによるまちづくりの一環として、平成17年に国道324号の有明区間を「天草ありあけタコ街道」
と命名されました。天草でタコが多くとれる夏には、8本足を広げたユーモラスな姿の干しダコが
街道沿いの海岸に多く見られ、天草の夏の風物詩となっています。街道中央の道の駅有明
リップルランド前の海岸には、シンボルの巨大タコモニュメントがみなさんをお出迎えしている。
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長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産の一つとして、崎津集落が2018年に世界遺産に
登録されました。禁教期の﨑津集落の潜伏キリシタンは、大黒天や恵比須神をキリスト教の
唯一神であるデウスに、アワビの貝殻の内側の模様を聖母マリアにそれぞれ見立てるなど、
漁村特有の生活や生業に根差した身近なものをキリシタンの信心具として代用するということ
によって信仰を実践してきました。解禁後はカトリックに復帰し、禁教期に祈りをささげた
神社の隣接地に崎津教堂を建てたことにより、彼らの「潜伏」は終わりを迎えました。
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キリスト教解禁後、天草で最も早く造られた教会です。現在の建物は1933年(昭和8年)、
フランス人宣教師・ガルニエ神父が地元信者と力を合わせて建立されました。敷地内には、
パーテルさんとして親しまれたガルニエ神父の像やルルドの聖母マリア像があり、今でも
天草キリシタンのシンボル的な存在となっています。教会内部では、ステンドグラスや
素朴で温かみのある天井、窓の装飾などを見ることができます。
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天草の地図
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指宿 & 薩摩半島の観光情報
指宿は、鹿児島市から南へ約50kmの場所、薩摩半島の南東端に位置し、市の北東部から
東部~南部~南西部にかけて東シナ海と鹿児島湾に面している。市域の中央部に池田湖があり、
その東側には鰻池がある。市の南西部の東シナ海沿いには開聞岳があります。
主に海岸沿いに市街地が形成されているが、開聞岳近辺の地域では開聞岳より内陸に市街地が
あります。
薩摩半島の最南端にある温泉リゾートです。
世界的に珍しい天然の砂蒸し温泉として、海外からも訪問客が訪れる指宿の観光名所
「砂むし会館 砂楽(さらく)」。指宿市街地の海沿いにあるため、市内のホテルからも近く、
時間を気にせず気軽に砂蒸しを楽しむことができます。
大昔の火山活動によって形成された周囲15キロ、最大水深233メートルの九州最大のカルデラ湖。
指宿市の天然記念物に指定されている体長1.8メートル・胸回り60センチ・体重20キログラムもの
大うなぎが数多く生息し、また謎の生物「イッシー」が棲むといわれる神秘的な湖です。
湖畔には四季折々の花々が植栽され、特に1月は菜の花が満開となります。
指宿枕崎線 西大山駅はJRで日本最南端の駅です。
畑の中にたたずむこの駅は、正面に臨む、別名「薩摩富士」とも言われる開聞岳が目の前に迫る景観
も自慢です。駅前にある幸せを届ける黄色いポストや、幸せの鐘なども、旅に彩りを添える人気の
スポットです。日本最南端を走る指宿枕崎線で、ぜひ西大山駅へお越しください。
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薩摩半島最南端、長崎鼻に位置する神社です。
豊玉姫(乙姫)を御祭神としています。竜宮城を思わせる社殿も印象的です。長崎鼻には
「竜宮鼻」という別名があり、浦島太郎や山幸彦の伝説も伝わっています。縁結びの
パワースポットとしても人気です。
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薩摩半島の最南端に突き出た岬です。岬の西方には弓なりの砂浜が続き,その端に開聞岳がそびえ
立っています。天気のいい日には,南の洋上に屋久島・竹島・硫黄島を望むことができます。
浦島太郎が竜宮へ旅立った岬と言い伝えられ「竜宮鼻」の別名を持ちます。
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明治の頃より続く焼酎蔵です。代々受け継がれた伝統の手造りやカメ壺造りを得意とし、
江戸中期や明治時代の焼酎をはじめ、奥深い「さつま芋焼酎」の復元に成功しています。
さらに,仕込みの作業などを直接現場に入って見学でき、また焼酎の試飲も楽しめます。
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薩摩半島の地図
豊後高田 & 国東半島の観光情報
国東半島は、大分県の北東部に位置する半島です。標高721mの両子山をはじめとする両子火山群
の峰々がそびえており、半島全体が円に近い火山地形である。丘陵地と谷が海岸に向かって放射状
に伸びています。奈良時代から平安時代にかけて、仏教に宇佐八幡の八幡信仰を取り入れた
「六郷満山」と呼ばれる仏教文化が形成され、山岳地域の険しい山道を歩く「峰入り」と呼ばれる
難行が行われるようになりました。
豊後高田市の中心商店街は、江戸時代から明治、大正、昭和30年代にかけて、国東半島でもっとも
栄えた町でした。江戸時代から海上運輸で栄え、昭和初期にも京阪神に行き来した運搬船が多数
停泊していました。
そして、商店街が元気だった最後の時代、あの昭和30年代の活気が今でも残るまちです。
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春は約2,200万本の菜の花、夏は約160万本のひまわりが咲き誇る、キャンプ場“花とアートの
岬長崎鼻”です。長崎鼻は周防灘に面した岬の先端に位置したリアス式海岸で、海水の力で
浸食された“海蝕洞窟”が島全体で約20程あります。海水浴ができるビーチもすぐそばにあります。
鬼が一晩で積んだという、険しい石段を登った先にあるのが熊野磨崖仏です。日本最大級の磨崖仏は、
国指定の重要文化財で、平安時代の末期の作といわれています。絶壁の右手に引き締まった表情の
「大日如来(約6.7m)」、左手に微笑んでいるかのような「不動明王(約8m)」がそれぞれ刻まれて
いるのですが、その姿は余りに自然で、まるで以前からそこにあったかのように周囲の風景に溶け
込んでいます。
国東半島の中心にある六郷満山寺院で、開基は718年(養老2年)仁聞菩薩によるものです。
特に江戸時代より総持院として満山寺院を統括してきました。山門に安置されている仁王像は
国東最大のもので、その彫りの美しさから、国東半島を代表する仁王像であるといわれています。
護摩堂の本尊は鎌倉時代の不動明王で毎月28日の縁日には、護摩焚きがあり、特に厄除けなど
諸祈願を行っています。また、奥の院本殿に祀られている十一面千手観音、両所大権現は古来
より子授けの信仰があります。また境内一帯は春の新緑、秋の紅葉と名所になっています。
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平安時代に宇佐神宮大宮司の氏寺として開かれた由緒ある寺院で、中でも富貴寺大堂は、
宇治平等院鳳凰堂、平泉中尊寺金色堂と並ぶ日本三阿弥陀堂のひとつに数えられ、
現存する九州最古の木造建築物であり、国宝指定されています。
美しい緑の山々に囲まれた国東半島の中心部にある温泉宿泊施設です。露天風呂は、
四季の移ろいを堪能できる絶景が広がっています。宿泊施設として、カナディアンログ製の
コテージ4棟、和室と洋室がそれぞれ4室あります。都会の喧騒から離れ、山里で自然を
満喫できます。コテージ4棟と和・洋室それぞれ4室あります。
国東の海の幸山の幸を使った料理も評判です。
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国東半島の地図
知覧の観光情報
鹿児島市から南南西へ約36km、薩摩半島の南端部に位置します。
知覧麓には武家屋敷が残っており「薩摩の小京都」と呼ばれる。第二次世界大戦中には
大日本帝国陸軍特別攻撃隊の飛行場が置かれ、飛行場跡地には特別攻撃隊に関する資料を展示
した知覧特攻平和会館があります。
領主島津久峯が、藩主の参勤交代に伴って江戸から戻る道中で接した京の文化を持ち帰ったと
されます。国の重要伝統的建造物群保存地区に選定され、また同時に国の「名勝」に指定された
7つの庭園は、母ヶ岳を借景に、築山泉水式1つ、枯山水式6つの庭園。約270年前の当時
(江戸時代)の感性を今に伝えています。
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知覧は、太平洋戦争末期、旧陸軍の特攻基地が置かれた町です。この特攻平和会館は、その当時、
人類史上類のない爆装した飛行機もろとも肉弾となり敵艦に体当たりした陸軍特別攻撃隊員の遺影、
遺品、記録等貴重な資料を収集・保存・展示してあります。当時の真情を後世に正しく伝え、
世界恒久の平和に寄与するものです。二度と悲劇が繰り返されぬよう、戦争の悲惨さ、平和・命の
尊さを教えてくれます。
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薩摩半島の地図
奥豊後の観光情報
奥豊後は、大分県(旧豊後国)南西部の大野川の上中流にあたる地域で、竹田市や豊後大野市を
中心とした地域です。 竹田市は、瀧廉太郎が「荒城の月」の構想を練った岡城で知られる
城下町です。 豊後大野は9万年前の阿蘇山大噴火の名残で、多様な地形・地質がみられる場所で、
原尻の滝や沈堕の滝を始めとする多く珍しい自然があります。
標高325mの高さにそびえ立つ堅城です。1594年(文禄3年)に豊臣秀吉の命でこの地にはいった
岡藩初代藩主中川秀成が石垣づくりのお城にしました。駐車場から、大手門か近戸門の険しい
城道を登り、城内の役所・家老屋敷跡を横目に本丸・二の丸・三の丸まで往復30分、本丸から
くじゅう連山を近戸門からは阿蘇山と城下町を一望できるスポットです。二の丸には高等小学校
時代に親しんだ「荒城の月」の作曲者瀧廉太郎像があります。城内にはたくさんの桜の木があり、
その美しさから『日本さくら名所100選』にも選定されています。
世界屈指の炭酸泉が人気を集める奥豊後の温泉地です。その泉質は素晴らしく、
歌人の与謝野鉄幹や種田山頭火らも長湯温泉に関する詩を残したほどです。
温泉街の中心を流れる芹川の川原にある混浴露天風呂「ガニ湯」や、ドイツ風の建築が
特徴的な「御前湯」、そして炭酸の気泡がはっきり見える湯で有名な「ラムネ温泉」など、
長湯には実にバラエティ豊かな風呂がそろっています。
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豊後大野市にある「原尻の滝」は大分県百景のひとつにあげられている名瀑です。
幅120メートル、高さ20メートルを誇り、9万年前に起きた阿蘇山の大噴火の大火砕流に
よってもたらされたこの滝は、のどかな田園地帯に突如滝が出現するというその珍しい
環境も見どころです。滝の前には吊り橋がかかっており、その吊り橋からは滝を正面から
見ることができます。滝上から滝つぼを見下ろせる散歩道もおすすめ。滝の上を歩きながら
さまざまな角度から鑑賞でき、崖のふちまで近付けるスポットもあります。
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奥豊後の地図
宮崎 & 日南の観光情報
宮崎は、宮崎県の南東部にある市で、県の県庁所在地です。フェニックス・シーガイア・リゾート
青島、プロ野球・プロサッカーキャンプといった数多くの観光資源を持つ観光都市です。
日南は宮崎県南部に位置する都市で、九州の小京都と称される飫肥や風光明媚な日南海岸国定公園
などを擁する、歴史と自然あふれる観光地です。
太平洋に突き出した鵜戸崎岬の突端にある洞窟の中に、朱塗りの色鮮やかな御本殿が
ご鎮座する珍しいものです。岬のまわりには奇岩、怪礁が連なり太平洋の荒波が打ち寄せて、
美しい景勝地となっています。第十代天皇、崇神天皇の時代の創建と伝えられ、第五十代
桓武天皇時代に、天台宗の僧「光喜坊快久」が勅命により再建した神社で、明治維新後に
鵜戸神社と改称されました。
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日南海岸を代表する景勝地です。峠は標高60mほど、道脇に設けられた展望所に立てば、
眼前には雄大な太平洋の眺めが広がります。沖には島影も無く、ただただ海原が
広がっています。
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日南海岸の最南端で太平洋に大きく突き出た岬で、高さ10mから50mの断崖に囲まれて
います。丘陵地帯では、御崎馬[みさきうま]とよばれる野生馬が生息しています。
この馬は江戸時代の高鍋藩が放牧したのが始まりで、国の天然記念物に指定されています。
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飫肥は、1588年(天正16年)から明治初期までの280年間、飫肥藩・伊東氏5万1千石の城下町
として栄えたところです。武家屋敷を象徴する門構え、風情ある石垣が残る町並みは、1977年
(昭和52年)に重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。
1978年(昭和53年)に復元された大手門を中心に、松尾の丸や藩校振徳堂、伊東家の歴史を綴る
貴重な資料が展示されている飫肥城歴史資料館があります。
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日南海岸の小高い丘の上に世界七不思議のひとつに上げられているモアイ像があります。
高さ5.5mにも及ぶ世界で唯一完全復刻されたイースター島のモアイ像7体が立つ景観は、
見事に青い海と調和しています。園内には、世界の珍しい昆虫展やユネスコ本部より
直接許可のパネル、蝶の地上絵・売店レストラン・ファーストフードなどがあります。
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初代天皇の神武天皇を御祭神として祀る神社で、創建は2000年以上前に遡ります。
境内には1907年(明治40年)に植えられた、樹齢300年以上のオオシラフジがあり、
現在は国の天然記念物に指定されています。春の神事である流鏑馬では、鎌倉時代の
武士装束に身を包んだ射手が桜の木の下で矢を放ち、見物客で大いに賑わいます。
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宮崎 & 日南の地図
人吉の観光情報
熊本県の最南部にある都市で、九州山地に囲まれた人吉盆地に位置し、球磨川沿いの温泉と
川下りで有名です。人吉・球磨地方の中心地で、人吉藩相良氏の城下町として栄えました。
市内中心部に熊本県唯一の国宝である青井阿蘇神社があります。
人吉城跡
日本百名城のひとつ人吉城跡。鎌倉時代から幕末までのおよそ700年間、相良家の中心だった
中世城趾で、球磨川と胸川を天然の外堀とした中世の山城の形態や、槹出工法
(はねだしこうほう)を応用した独特の石垣「武者返し」など、城跡全域が国の史跡に
なっています。また、春は相良護国神社境内と球磨川沿いの石垣に沿って咲く桜が見事です。
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SL人吉
JR肥薩線が開業100周年を迎えた2009年に復活した「SL人吉」。日本で最も古い現役の
蒸気機関車がけん引する列車は、クラシカルな内装の車内に展望ラウンジやSL文庫、
ミニSLミュージアムなどをしつらえた人気列車です。熊本~人吉は約2時間半、特に八代からは
球磨川沿いの美しい景色に汽笛や力強い動輪の音、風になびく煙が重なり、心に響きます。
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806年(大同元年)創建と言われる神社です。現在の社殿は相良長毎(さがらながつね)により
1610年〜1613年(慶長15年から18年)にかけ造営されたものです。
2008年(平成20年)、文部科学省が人吉市の青井阿蘇神社の社殿郡5棟(本殿、廊、幣殿、拝殿、
楼門)が国宝に指定されました。国内で最南端の国宝建築物です。
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球泉洞
全長約4800メートル。九州最大の鍾乳洞で、西日本では2番目(全国では3番目)の長さを
誇ります。3億年という想像もつかない年月を経てできた美しい石柱や石筍は、今も成長を
続けています。コースは、500メートルの観光コースと、40メートルの縦穴などを階段で下る
探検コースの2つ。国道219号線沿いにあり、球磨川下り終点場所となっています。
令和2年7月豪雨の影響で、当面の間休館中
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人吉の地図
ホーム サービス 北九州発バスツアー 環境・エコツアー 個人旅行 九州の観光情報 外国人旅行
玖珠 & 九重の観光情報
玖珠は、大分県の中西部に位置する、玖珠郡に属するまちです。町域は九州山地に含まれており、
多数のメサが盆地を取り囲む特徴的な景観を呈します。町域の多くは耶馬日田英彦山国定公園に
指定されています。 九重は、玖珠町に隣接する、玖珠郡に属するまちです。全域が山地である。
町域の多くは阿蘇くじゅう国立公園に指定されています。
長さ390m、高さ173m、幅1.5mのこの橋は、歩道専用として『日本一の高さ』を誇る吊橋です。
すぐ目前に、「日本の滝百選」にも選ばれた、「震動の滝・雄滝」や「雌滝」を望み、足下に
筑後川の源流域を流れる鳴子川渓谷の原生林が広がり、 四季折々に織りなす大自然の変化は
訪れる人々を魅了します。
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パワースポットとしても人気を集いる、幸運をもたらすという「白いのしし」の家族が
住んでいます。境内や参道では約1万株の紫陽花に迎えられ、6月中旬から7月下旬には
色とりどりの紫陽花が咲き誇ります。見頃を迎える7月にはあじさい祭りも催され沢山の
人で賑わいます。また、秋には紅葉も楽しめます。
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桶蓋山の山麓標高1000mの山峡に湧くに点在する魅力的で個性溢れる宿が30件近く点在し、
1000年以上の長い歴史を誇る温泉郷です。開湯は958年にまで遡り、温泉地として開かれたのは
1658年になります。「筋湯」という名の由来は、白壁造りでどっしりと建てられた共同浴場
「うたせ大浴場」の湯にあります。2mの高さから湯が落ちる「日本一のうたせ湯」の異名を
遂げ“筋肉をほぐす湯”として、肩こりなどの筋の凝りなど「筋の病に効く」ということから
「筋湯」と呼ばれるようになりました。
また、四季折々の表情を見せる飯田高原も近く、夏は避暑地として賑わう観光地としても知られ、
観光客を日頃の疲れを癒す温泉郷として、今も広く人々に愛され続けています。
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玖珠 & 九重周辺地図