海峡プラザ
「忘れかけていた心のやすらぎを呼び起こす、ロマンあふれるマーケット」をコンセプトに、
1999年に誕生した複合商業施設「海峡プラザ」です。1階には、ここでしか手に入らない
お土産物、地元の海産物、雑貨、お菓子類などバラエティに富んだ商品が満載のマーケット、
2階には関門ならではの新鮮なシーフード料理が楽しめる眺望抜群のレストラン、
オルゴールショップ、赤煉瓦ガラス館などがあり、見て回るだけでも時間が経つのを
忘れてしまいそです。
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基本情報
・住 所 | 北九州市門司区港町5-1 |
・アクセス |
車:北九州都市高速 春日ICより約5分 JR門司港駅より徒歩約3分 |
・営業時間 | 物販 10:00〜20:00 飲食 11:00〜22:00 [店舗により異なる] |
・定休日 | 年中無休 |
門司港の地図
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“関門”ノスタルジック海峡
関門海峡のストーリー性を持った歴史的価値が評価され、2017年(平成29年)に
“関門”ノスタルジック海峡が日本遺産に登録されました。
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関門地域を空から見下ろすと、本州と九州とが互いに手を伸ばし、今にも陸続きになりそうな
地形が目に入ります。海峡を挟んだ両岸からは、山々が海にせり出すように対峙し、そこからは
大型のタンカーや旅客船が途切れることなく往来する海峡 景観とレトロな近代建築が建ち並ぶ
街並みを望むことができます。
ストーリーの概要
古来より陸上・海上交通の要衝であった関門地域は、幕末の下関戦争を契機とした
下関・門司両港の開港以降、海峡の出入口には双子の洋式灯台が設置され、沿岸部には
重厚な近代建築が続々と建設された。狭隘な海峡を外国船が行き交う景観の中、日本が
近代国家建設へ向け躍動した時代のレトロな建造物群が、時が停止したかのように現在も
残されています。渡船や海底トンネルを使って両岸を巡れば、まるで映画のワンシーンに
紛れ込んだような、ノスタルジックな街並みに出会うことができます。
ストーリー構成の文化遺産(北九州市側:門司&若松)
若松石炭会館 |
旧門司税関 |
旧サッポロビール九州工場 |
上野ビル |
旧大阪商船ビル |
料亭金鍋本館 |
旧古河鉱業若松ビル |
ニッカウヰスキー門司工場 |
門司郵船ビル |
大連航路上屋 |
門司区役所 |
三宜楼 |
門司の地図
門司全体 門司港レトロ地区
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若松南海岸
明治時代の初めまでは、普通の漁村にすぎませんでしたが、日本の工業の発展とともに、
石炭の需要が増えていき、石炭の積み出し港として発展していきました。
1890年 (明治23年) 若松築港会社(現若築建設)が若松港を石炭積出港として築営することを
目的として設立され、1891年 (明治24年) 築豊興業鉄道により、若松駅―直方駅間の鉄道路線が
開業しました。そして1898年(明治31年)には若松港が開港しました。
そのことにより、石炭がどんどんと鉄道を使って若松港に集められ全国に送っていき、
“石炭の町、若松”として日本中に知られていきます。
その当時に立てられた建築物群を中心とした近代港湾都市固有の帯状の都市空間で、石炭景気に
沸いた若松の歴史と発展を伝えるとともに景観的にも美しい地域です。
若戸大橋 1962年開通 若戸渡船 |
若松港 江戸時代あさり貝 も獲れた |
洞海湾 & 皿倉山 洞海湾クルーズも楽しめる |
ノスタルジックな 若松南海岸 |
旧古河鉱業ビル若松ビル 1919年頃建設 |
上野ビル 1913年建設 |
石炭会館(旧若松石炭商 協同組合)1905年建設 |
旧ごうぞう小屋 港湾労働者 の待機・休憩場所 |
弁財天上陸場 港湾労働者の 船への乗船場 |
基本情報
・住 所 | 北九州市若松区本町 |
・アクセス |
車:JR小倉駅より約20分 徒歩:JR若松駅より約5分 |
若松南海岸の地図
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関門人道トンネル
世界でここだけ! 海峡を歩いて渡れます!
1958年(昭和33年)に開通した海峡を歩いて横断できる世界でも珍しい海底トンネルです。
距離は780m、徒歩約15分で本州 山口県下関市に行くことができます。
自転車や原付を押しての通行も可能です。
人道入口にはエレベーターが設けられており、門司区側は地下約60メートル、
下関市側は地下約55メートルまで降ります。
福岡県・門司
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門司から下関へ
780mの長さのトンネルを 門司からスタート |
福岡県・門司と 山口県・下関の境界 |
下関へ |
山口県・下関
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基本情報
・住 所 | 北九州市門司区門司 |
・アクセス |
門司側入口まで 門司港駅から徒歩で20分、西鉄バス「関門トンネル人道口」バス停すぐ |
・料 金 | 歩行者無料 自転車・原付 20円 ※軽車両の場合は押して歩きます |
・営業時間 | 通行可能時間 6:00~22:00 |
・定休日 | 年中無休 |
門司港の地図
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環境ミュージアム
世界の環境首都を目指す北九州市が整備する『市民のための環境学習・交流総合拠点施設』です。
今日、地球温暖化や廃棄物問題をはじめとして、様々な形で環境問題が急速に深刻化しています。
その原因の多くは、人間一人ひとりの日常生活の積み重ねにあります。環境にやさしい持続的な
社会を実現するためには、学校、企業、市民、市民団体、行政それぞれが主体となり、相互に
連携して取り組んで行かなくてはなりません。
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基本情報
・住 所 | 北九州市八幡東区東田2丁目2-6 |
・アクセス |
車:北九州都市高速『大谷I.C.』または『枝光I.C.』より約5分 公共交通機関:鹿児島本線 スペースワールド駅下車、徒歩約5分 |
・料 金 |
無料 |
・営業時間 | 9時~17時(展示部分、入館は16:30まで) |
・定休日 | 毎週月曜日(月曜日が祝日・休日の場合は翌日)、年末年始 |
環境ミュージアム周辺地図
ゼンリンミュージアム
地図を見れば、世界の歴史、日本の歴史や北九州の歴史が見えてきます。地図が色んなことを
語りかけてきます。
「歴史を映し出す地図の紹介」というコンセプトのもと、2020年6月にオープンし、
地図やパネルなど、約120点を展示しています。16世紀から19世紀に作られた西洋製の
日本地図や、伊能図をはじめとする国内製の地図の変遷を歴史とともに紹介。地図には
その時代の人々の営みや世界観が映し出されており、ゼンリンミュージアムでは地図の裏側に
広がる物語を知ることができます。館内には、地図の楽しみ方を紹介する専属のスタッフ
「Zキュレーター」が常駐しており、文章だけでは説明しきれない様々なエピソードを交えて
案内をしてもらえるのも魅力の一つです。
ミュージアム併設の休憩スペース“Ligare(リガーレ)”では、長崎街道の始点(終点)となる
常盤橋など小倉の美しい街並みを眺めながら、ドリンクや北九州に馴染みの深い菓子を
いただけます。また、リバーウォーク北九州1階にある地図グッズの専門店
「マップデザインギャラリー小倉」では、地図をデザインしたステーショナリー・雑貨
アパレル商品など、ここでしか入手できない商品もあり、ゼンリンミュージアム来館の
記念に併せてお立ち寄りください。
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ゼンリンミュージアムからの眺め
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基本情報
・住 所 | 北九州市小倉北区室町1-1-1 リバーウォーク北九州14F |
・アクセス |
車:北九州都市高速 小倉駅北ICより約5分 公共交通:JR・モノレール小倉駅より徒歩10分、JR西小倉駅より徒歩5分 |
・料 金 | 一般:1,000円、団体(8名以上)・障がい者とその同伴の方:800円 保護者同伴の小学生以下:無料 |
・営業時間 | 10:00~17:00 (最終入館16:30) |
・定休日 |
月曜 (ただし祝日の場合は翌平日) |
ゼンリンミュージアム周辺地図
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熊本市の観光情報
熊本市は九州で3番目に人口が多い都市で、熊本県のやや北部に位置する市で、熊本県の
県庁所在地で、政令指定都市です。肥後国府や肥後国分寺が置かれた地であり、
現在の市街は、細川氏熊本藩54万石の城下町を基礎に発展してきました。
慶長12年(1607年)、茶臼山と呼ばれた台地に加藤清正が当時の最先端技術と労力を投じた、
名城熊本城が完成します。以後、熊本城は400年に亘る日本の様々な歴史の重要な舞台となって
いきます。 平成28年(2016年)熊本地震では、最上階の瓦や鯱瓦の落下、地下室石垣の崩落などの
甚大な被害がありました。現在は地震に備えた最新技術と伝統技法を融合させ、震災復興のシンボル
としての復旧作業を進めています。
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熊本藩細川氏の初代藩主・細川忠利が1636年頃から築いた「水前寺御茶屋」が始まりとする
大名庭園で、面積約7万3000平方メートルあります。
豊富な阿蘇伏流水が湧出して作った池を中心にした桃山式回遊庭園で、築山や浮石、芝生、
松などの植木で東海道五十三次の景勝を模したといわれる。
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熊本県内最大のショッピングアーケード。デパートやブティックが立ち並び、ファッション
やアミューズメントの中心地であると同時に、カフェや郷土料理店などの飲食店が軒を並べる
グルメ街としても有名です。長さ511m、幅15mの通りは、ストリートミュージシャンによる
演奏や、各種団体の展示の場としても利用されています。
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災害に強い街づくりを目指して造られた防災に関する体験型学習空間です。
現在の水防対策が一目でわかる防災パノラマ、台風(風速20mまで)・地震(震度7まで)
・火災体験もでき避難方法も学べます。中央ドームでは、落雷実験や大雨・土石流などに
ついても学べて、危機管理の勉強には最適です。様々な防災に関するDVDの放映もして
いるので、お子様もわかりやすく学べて、実際どうすればいいのかわかりにくい「防災グッズ」
の展示もしています。
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熊本市の地図
宇佐 & 安心院の観光情報
宇佐は、大分県の北部、国東半島の付け根に位置する市です。全国4万社余りの八幡宮の総本宮
宇佐神宮があり、正月には全国からの参拝客でにぎわいます。また宇佐は安心院と合併したため、
市内には宇佐宮以外にも観光名所が多く、県内有数の観光都市です
宇佐神宮は全国に4万社あまりある八幡様の総本宮です。
八幡大神(応神天皇)・比売大神・神功皇后をご祭神にお祀りし、神亀2年に創建されました。
皇室も伊勢の神宮につぐ第二の宗廟(そうびょう)として御崇敬になり、一般の人々にも鎮守の
神として古来より広く親しまれてきました。
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1939年(昭和14)、前人未到の69連勝を達成し、全勝優勝8回・通算優勝12回という成績を
残した宇佐市出身の名横綱・双葉山定次。歴史ミュージアムシティUSAの西の玄関口に位置
する観光拠点のこちらでは彼の生家が復元され、幼い頃よく遊んだという浜辺には記念碑や
相撲場があります。館内には、化粧まわしなどが展示された資料展示室、特産品販売所などの
施設があります。休憩所では連勝当時の対戦映像が放映されており、湯茶の接待でお迎えします。
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宇佐海軍航空隊は1939年(昭和14年)、練習航空隊として開隊しました。しかし、米軍の空襲を
うけるようになった1945年(昭和20年)の太平洋戦争末期には特別攻撃隊の基地となり、多くの
若者が南の空に飛び立っていきました。掩体壕とは軍用機を敵の空襲から守るための施設です。
柳ヶ浦地区を中心とした基地の規模は東西1.2km、南北1.3kmで、184haありました。戦後、
飛行場などのあとは、水田や道路にかえされており、その面影を残すのは11基のコンクリート製
掩体壕などわずかな遺構だけです。
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2400坪の藤棚に250本のフジが広がり、美しい花姿を見に遠方から訪れる人も多い、
宇佐市の春の人気スポットです。白、ピンク、紫など見事なフジの花と甘い香り、
新緑の茶園と新茶を煎じる香ばしい香りは初夏への移ろいを楽しませてくれます。
また、5月中旬からはバラ園も開園しています。見ごろを迎えると、色鮮やかに咲き誇る
約2,500本のバラが、天然の香水となって5,000平方メートルの広大な敷地を包み込みます。
藤 園 |
バラ園 |
ここ大分安心院は霧深い盆地。安心院葡萄酒工房は芳醇なワインを醸すワイナリーです。
緑あふれる園内には醸造場、貯蔵庫、ブドウ畑、試飲ショップなどがあり、醸造工程や
栽培中のブドウの見学はもちろん、ワインの試飲もお試しいただけます。杜のワイナリーで
ゆっくりとしたひとときをすごすことができます。
宇佐&安心院の地図
中津 & 耶馬渓の観光情報
中津は、大分県の北西端に位置する市で、大分県内では大分市、別府市に次いで人口が3番目に
多い都市です。 城下町で、青の洞門、羅漢寺、福澤諭吉旧居、中津城などの文化財や歴史的建造物、
市域南部には景勝地の耶馬渓がある観光都市です。
黒田官兵衛(孝高)によって築かれた城で、完成させたのは細川忠興といわれます。
今治城や高松城と並ぶ日本三大水城のひとつに数えられています。本丸上段にある石垣には
黒田氏時代のものを細川氏が拡張した継ぎ目が見られます。黒田氏時代に築かれた石垣は、
現存する石垣としては九州最古のものです。江戸時代中期に奥平昌成が中津藩主となり、
明治維新まで奥平家の居城となりました。
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福澤諭吉は大阪で誕生(1835)し、1歳で母の実家中津に帰郷しました。
蘭学を学ぶために長崎へ行く19歳までを過ごした家です。母屋や勉強部屋の土蔵などが残り、
隣接する記念館には『学問のすゝめ』の版本や遺品、新旧2枚の一万円札の1号券を展示
してあります。
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1587年(天正15)、黒田官兵衛孝高によって建立されました。深紅に塗られた壁は城下町
中津の中でもひときわ強烈な印象を与え、別名・赤壁寺とよばれています。豊臣秀吉の時代、
豊前の実力者だった宇都宮鎮房(しげふさ)が騙し討ちに遇い、この寺を宿舎にしていた
家臣たちも全員討ち死。その時の血潮を浴びた門前の白壁は何度塗り替えても血痕が浮き
出るため、ついに赤壁に塗り替えたといわれています。当時の激戦の様子は現在も境内の
大黒柱に刀の痕が点々と残されています。
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耶馬渓を代表する名勝で、山国川下流側から一の峰・二の峰・三の峰・恵比須岩・大黒岩(帯岩)
・妙見岩・殿岩・釣鐘岩・陣の岩・八王子岩などの巨峰や奇岩群が約1キロに渡り連なっていて、
その裾野には青の門が穿たれています。競秀峰の名は1763年(宝暦13年)に訪れた江戸にある
浅草寺の金龍和尚に命名されましたが、1818年(文政元年)に訪れた頼山陽が描いた水墨画の
代表作「耶馬渓図巻」によって天下に紹介されました。
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耶馬渓の荒々しい岩山・羅漢山の中腹に位置する羅漢寺。今から1300年以上前、645年
(大化元年)にインドの僧侶・法道仙人がこの地で修行したことが羅漢寺の始まりと
されています。リフトもしくは少し急勾配な参道を10分ほど歩くと、羅漢山の岩腹に張り付いた
ように建てられた厳かな本堂にたどり着きます。羅漢(らかん)とは、釈迦の悟りを得た弟子達
のことです。その姿を彫った日本最古である五百羅漢は、笑っていたり泣いていたりとさまざまな
表情を見せています。
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中津&耶馬渓の地図
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鹿児島の観光情報
鹿児島県の中部に位置する市。鹿児島県の県庁所在地です。古くから薩摩藩、90万石の城下町
として栄えてきました。19世紀の中頃にはヨーロッパの機械文明を取り入れた研究が進み、
第28代当主島津斉彬のもと尚古集成館事業として反射炉が造られ、日本における近代工業化の
発祥の地となり、近代日本の黎明期、明治維新において政治家、官僚、軍人等数多くの人物を
輩出し、近代日本建設の礎となりました。
1658年(万治元年)に島津家19代光久によって築かれた島津家の別邸です。
雄大な桜島を築山、錦江湾を池に見立てたスケールの大きな庭園で、28代斉彬もこよなく愛し、
篤姫など多くの人を魅了しました。およそ1万5千坪の広大な庭園には、四季折々の花々が咲き誇り、
大名家ならではの催しも魅力です。ガス灯の実験に使用された鶴灯籠や、全国でも珍しい猫を
祭った猫神、江戸時代の正門である錫門(すずもん)など、見どころが満載です。
仙巌園が位置する磯エリア一帯は、2015年(平成27年)に「明治日本の産業革命遺産」として
世界文化遺産に登録されました。
1865年(慶応元年)に建てられ、金属加工や蒸気機関の修理などを行っていた、現存する
最古の洋式工場建築物です。 2015年(平成27年)には「明治日本の産業革命遺産」の
構成資産として、世界文化遺産に登録されました。現在は、島津家の歴史や集成館事業を
紹介する博物館として、江戸時代につくられた 薩摩切子や、工場として稼働していた当時の
機械 など、島津家伝来の資料を中心に収蔵・展示しています。
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鹿児島市の地図
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