若松北海岸・遠見ヶ鼻
若松北海岸は、玄海国定公園の始まりの場所です。その中で、最も眺望が美しいところが
遠見ケ鼻です。妙見埼灯台があり、いかにも荒海の岬といった感じです。江戸時代には
遠見番所が設けられ、沖の密貿易船、難破船、外敵等の異変に備えていました。
灯台の立つ断崖から見下ろす海の色、沖の島々、しま模様を描いた岩肌など見応えが
十分です。この景色は環境未来都市・北九州を代表する自然の美の一つです。
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基本情報
・住 所 | 北九州市若松区有毛 |
・アクセス | かんぽの宿北九州より徒歩5分 |
若松北海岸・遠見ヶ鼻周辺地図
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世界遺産 / 遠賀川水源地ポンプ室
世界遺産・明治日本の産業革命遺産の遠賀川水源地ポンプ室。
八幡製鐵所に水を供給するために1910年に稼働を開始し、100年以上経過した今でも、
当時と変わらぬ威厳のある姿のポンプ室から、毎日八幡製鐵所(現日本製鉄 九州製鉄所)で
必要とする水の約70%を休みなく送り続けている製鐵所の心臓部です。
このことはまさに世界遺産に登録された明治日本の産業革命遺産を代表していると
いっても過言ではありません。
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ポンプ室建設の背景
官営八幡製鐵所が1901年(明治34年)に操業を開始した。
操業当初の鉄の年間の生産量は9万で、鉄づくりに必要な水の供給は構内に造られた
高見貯水池から行われていました。その後、1904年に日露戦争が勃発し、兵器や弾薬の生産のため
鉄の需要が26万トンと大幅に高まりました。そのため1906年に第一次拡張計画を策定し、年間の
生産量を18万トンに増やすために設備を拡張することになった。鉄づくりには大量の水を必要とし、
高見貯水池では対応できないため、新たな水源を遠賀川に求めました。そしてポンプ室を八幡製鐵所
から最も近い中間市に設け、配管を使って送水するようにした。
ポンプ室の建設
ポンプ室の建設が1906年から始まりました。
配管の総延長は12km、送水システムの設計は近代水道の父を呼ばれる東京帝国大学教授の
中島悦治氏によるもので、石炭ボイラーと蒸気ポンプはイギリスから輸入しました。
当初は筑豊の石炭を燃焼させて蒸気をつくっていたため、煙突も設けられていたが、
今は解体されてます。また、敷地内には筑豊から輸送してきた石炭の卸場やトロッコ列車の
跡も見つかっています。ポンプ室の建屋は、奈良国立博物館の設計も行った舟橋喜一氏によるもので、
平屋建ての煉瓦造り、幅20mx長さ40m。赤煉瓦と一部コーナーの柱には黒田泰造が開発した
鉱滓煉瓦(鉄づくりの時の副産物である鉱滓を使った煉瓦)が使用されています。
大正期には約50名の従業員が働き、ポンプ室の周りに官舎も建てられていました。
1950年(昭和25年)には、電動モーターを使ったポンプに取り換えられ現在に至っています。
そして操業開始から100年以上経過した今でも、当時と変わらぬ威厳のある姿のポンプ室から、
毎日八幡製鐵所で必要とする水の約70%を休みなく送り続けている製鐵所の心臓部です。
基本情報
・住 所 | 福岡県中間市土手の内1-3-1 |
・アクセス | 車:北九州都市高速黒崎ICから約20分 |
北九州の地図
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堀 川
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このような状況下、筑前藩主黒田長政が、遠賀川の支流をつなぎ、洞海湾にその水を
灌ぐことで洪水や、干ばつの被害を防ぐ目的として堀川を建設することにした。
寿命の唐戸 |
水 巻 |
河守神社 |
車返しの切り通し |
川ひらたでの石炭運搬 |
折 尾 |
折尾が繁栄していく。明治に入り、堀川を通過する川ひらたの通過数も大幅に増え、
日本の産業近代化に大きく貢献してきた。
だんだん少なくなり、1932年(昭和12年)には175年に及ぶ長い期間貢献し続けてきた水運の
歴史が幕を閉じた。
山本作兵衛の絵・遠賀川 |
遠賀川 |
若松 ごんぞう小屋 |
吉田の伏せ越し |
曲 川 |
撤去された曲川の伏せ越し |
宝川と呼べるようにしましょう。
堀川の地図
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響灘風力発電
北九州市は、「世界の環境首都」を目指し、環境にやさしいクリーンエネルギーの積極的な
導入を進めています。
響灘風力発電施設は、響灘に面する日本初の港湾地区にあります。現在10基の風車が稼動
しています。高さ65mの塔に直径75mの大きな羽根が付いており、その景観は圧巻です。
発電規模は、3,500万kwh、約10,000世帯分の年間電力消費分です。
近くには公園や休憩用のベンチもあり、こちらでは青い海と真っ白で巨大な風車群の壮大な
風景が広がります。
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基本情報
・住 所 | 北九州市若松区響町2丁目 |
・アクセス | 車の場合:若戸大橋より約15分 |
響灘風力発電の周辺地図
響灘ビオトープ
響灘を廃棄物処分場として埋め立てた敷地に自然発生した自然の楽園・響灘ビオトープ。
整地されていない埋立地に雨水が溜まって湿地ができ、鳥などが運んできた植物の種から
木が自生し、環境省の絶滅危惧種(鳥類レッドリスト絶滅危惧IB類)に指定されている
チュウヒをはじめとする237種の鳥類や、284種の植物などが確認されている生態系を守る
ため全体(約41ha)のうち約7haが公開されています。
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基本情報
・住 所 | 北九州市若松区響町一丁目 |
・アクセス | 車の場合:若戸大橋より約15分 |
・料 金 | ネイチャーセンター入館無料、園内有料(一般100円、小・中学生50円) |
・営業時間 | 9:00〜17:00(入園は16:30まで) |
・定休日 | 火曜日※祝日の場合翌日休み、年末年始(12月29日〜1月3日) |
響灘ビオトープ周辺地図
曽根干潟
曽根干潟は、北九州市小倉南区の東側に広がる市内最大の干潟で、面積は517haあります。
背後の曽根新田地区とあわせて市内でも有数の野鳥の宝庫として知られています。
特にここには、世界的にも数が少なくなっている「ズグロカモメ」の日本でも有数の
越冬地となっていて、休日ともなると熱心なバードウォッチング愛好者でにぎわいます。
また、2億年前からその姿をほとんど変えずに生きてきたことから、『生きた化石』
とも呼ばれているカブトガニの生息地ともなっています。環境省のレッドデータブックに指定
されていることから、ラムサール条約に曽根干潟が登録されることを目指す動きがあります。
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カブトガニ自慢館
3億年も前から同じような生態の生きた化石・カブトガニを目の当たりに出来る場所です。
地元の人達によって保護水槽の中で愛情込めて大切に育てられています。干潟の泥の溜まった
海底で生息し、産卵されると数ヶ月で孵化し十数回の脱皮を経て成体となる、その成長の
過程も見ることができる。
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基本情報
・住 所 | 北九州市小倉南区大字曽根~曽根新田 |
・アクセス | 車:JR小倉駅から約20分 |
北九州の地図
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環境未来都市・北九州市
北九州市では、これからの「資源循環型社会」を目指して、リサイクル工場や研究施設などを
集め、環境と調和したまちづくりを行う「北九州エコタウン事業」に取り組んでいます。
北九州市エコタウンセンターは、エコタウンを支える情報センターとしての役割を担い、
エコタウンでの取組みの紹介等を通じて、環境学習や交流活動に積極的に利用して
いただくための施設です。
響灘を廃棄物処分場として埋め立てた敷地に自然発生した自然の楽園・響灘ビオトープ。
整地されていない埋立地に雨水が溜まって湿地ができ、鳥などが運んできた植物の種から
木が自生し、環境省の絶滅危惧種(鳥類レッドリスト絶滅危惧IB類)に指定されている
チュウヒをはじめとする237種の鳥類や、284種の植物などが確認されている生態系を守る
ため全体(約41ha)のうち約7haが公開されています。
北九州市は、「世界の環境首都」を目指し、環境にやさしいクリーンエネルギーの積極的な
導入を進めています。響灘風力発電施設は、響灘に面する日本初の港湾地区にあります。
現在10基の風車が稼動しています。高さ65mの塔に直径75mの大きな羽根が付いており、
その景観は圧巻です。発電規模は、3,500万kwh、約10,000世帯分の年間電力消費分です。
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世界の環境首都を目指す北九州市が整備する『市民のための環境学習・交流総合拠点施設』です。
今日、地球温暖化や廃棄物問題をはじめとして、様々な形で環境問題が急速に深刻化しています。
その原因の多くは、人間一人ひとりの日常生活の積み重ねにあります。環境にやさしい持続的な
社会を実現するためには、学校、企業、市民、市民団体、行政それぞれが主体となり、相互に
連携して取り組んで行かなくてはなりません。
曽根干潟は、北九州市小倉南区の東側に広がる市内最大の干潟で、面積は517haあります。
背後の曽根新田地区とあわせて市内でも有数の野鳥の宝庫として知られています。
特に、世界的にも数が少なくなっている「ズグロカモメ」の日本でも有数の越冬地と
なっています。また、2億年前からその姿をほとんど変えずに生きてきたことから、『生きた化石』
とも呼ばれているカブトガニの生息地ともなっています。環境省のレッドデータブックに指定
されていることから、ラムサール条約に曽根干潟が登録されることを目指す動きがあります。
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若松北海岸は、玄海国定公園の始まりの場所です。その中で、最も眺望が美しいところが
遠見ケ鼻です。妙見埼灯台があり、いかにも荒海の岬といった感じです。江戸時代には
遠見番所が設けられ、沖の密貿易船、難破船、外敵等の異変に備えていました。
灯台の立つ断崖から見下ろす海の色、沖の島々、しま模様を描いた岩肌など見応えが
十分です。この景色は環境未来都市・北九州を代表する自然の美の一つです。
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北九州の地図
赤煉瓦プレイス
旧サッポロビール九州工場の赤煉瓦建物などを保存活用した貴重な歴史的建造物です。
門司麦酒煉瓦館は旧工場事務所を改装し、ビールの歴史と門司麦酒工場・九州工場の沿革の
ほか、ビールの製造や原材料・缶・ビンのリサイクルについての解説展示を行っています。
門司麦酒煉瓦館をはじめ、現在残る醸造棟・旧組合棟(赤煉瓦写真館)・倉庫跡(赤煉瓦交流館)
の4つの建物は歴史的価値を認められ国の有形文化財に登録されています。
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旧サッポロビール九州工場の歴史
1912年(明治45年)門司市の合資会社九州興業仲介所代表社員山田弥八郎らが、
当時隆盛を誇った神戸市の鈴木商店の援助を受け、大里町に工場用地を取得し、
帝国麦酒㈱を設立しました。
1913年(大正2年)に帝国麦酒㈱工場が竣工し醸造を開始しまし、「サクラビール」を
発表して、ビール業界への参入を果たしました。
以来、「桜麦酒」『大日本麦酒』「日本麦酒」「サッポロビール」と社名変更、合併、
分割と会社形態の変遷をたどりながらも北九州門司の産業を支え続けてきました。
2000年(平成12年)大分県日田市に新九州工場が竣工され、九州工場は閉鎖となり、
この地における87年間のビール製造の歴史に幕を閉じました。
その後、土地区画整理事業として基盤整備を行い、建物の保存し活用されています。
保存された建物群は2007年(平成19年)に国の登録有形文化財に登録されました。
また、2009年(平成21年)に、近代化産業遺産続33(33九州窯業 – 北九州市の
鉱滓煉瓦製造関連遺産)に、門司麦酒煉瓦館・旧サッポロビール醸造棟・赤煉瓦交流館が
認定されました。
日本の産業近代化に貢献した鈴木商店
門司港は1889年(明治22年)に国の特別貿易港に指定されると、明治後半から
大正時代にかけ、人や貨物を載せ日本と海外を行き来する船が寄港する国際貿易港
として繁栄していきます。事業や販路拡大を願う実業家や貿易商がこぞってこの地を
目指し、三井や三菱などの財閥もこの地に進出を図ります。
門司港が繁栄していく中、わずか数キロ先の門司・大里地区に神戸の貿易商「鈴木商店」
が目を付けて進出してきました。
そして、帝国麦酒(サッポロビール)をはじめ、多くの企業を立上げ、日本の産業近代化に
大きく貢献してきました。
詳細は下記をご覧ください。
↓ ↓
基本情報
・住 所 | 北九州市門司区大里本町 3-11-1 |
・アクセス |
車:JR小倉駅から約15分 公共交通:JR門司駅から徒歩3分 |
・料 金 | 【門司麦酒煉瓦館】 大人100円、中学生以下50円 |
・営業時間 | 【門司麦酒煉瓦館】9:00~17:00 |
赤煉瓦プレイス周辺地図
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軍艦防波堤
太平洋戦争終結後、旧日本海軍艦艇の多くは戦時賠償として連合国に引き渡されるか
解体されるかしたが、何隻かの艦艇は解体された船体が防波堤として利用された。
若松港(現在の北九州港)の場合、長さ770mの防波堤のうち約400mを、駆逐艦「涼月」
「冬月」「柳」の3隻の船体を沈設して作られました。 設置当初は船体そのものが防波堤の
役割を果たしていたが、のちに「涼月」「冬月」はコンクリートで完全に埋設されましたが、
「柳」は船体上部の船体の形を約80mにわたり留めています。
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軍艦防波堤からの対岸の様子です。
日本製鉄 九州製鉄所や若戸大橋、そして皿倉山まで望めます。
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基本情報
・住 所 | 北九州市若松区響町1丁目 |
・アクセス | 車:JR若松駅から約10分 |
軍艦防波堤周辺地図
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部埼灯台
部埼灯台は北九州市門司区企救半島の北東端、瀬戸内海周防灘に面した小高い丘にあり、
1872年(明治5年)に竣工した複合低塔型灯台です。
日本で12番目に点灯した洋式の灯台で、「日本の灯台の父」と呼ばれるリチャード・ヘンリー
・ブラントンの指導で建設しました。この灯台の設置場所は、かつて僧清虚が13年間、
焚火を焚き続けて灯台の役目を果たした、遭難が多かった関門海峡東口で、今も航行の安全を
見守り続けています。
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僧清虚
1838年(天保9年)諸国巡礼の途中、この付近で難破が多いことを知り、浜にとどまり、
火焚場の火を焚き続けました。一食坊主と蔑まれながらも托鉢をして焚火の資金を集め、
74歳で世を去るまでの13年間、雨の日も風の日も読経とともに火を焚き続け、灯台の役目を
果たしました。清虚の死後は地域の人に引き継がれ、清虚が焚火を炊いた近くの高台に
西洋式灯台が建てられました。
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基本情報
・住 所 | 北九州市門司区大字白野江 |
・アクセス | 車:JR門司港駅から約15分 |
部埼灯台周辺地図
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