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西日本工業倶楽部(旧松本家住宅)

現存する洋風住宅の中で最も華麗な建築の一つ

戸畑の夜宮公園の南隅の鬱蒼とした松林の中に溶け込むように邸宅の門を構える
アール・ヌーボーの館と称され、国の重要無形文化財に指定されています。
 
旧松本家住宅は、炭鉱主・実業家の松本健次郎が自分と家族の住宅と明治専門学校(父安川敬一郎と
ともに創立した学校で現在の九州工業大学)の迎賓館を兼ねて建てたものです。
洋館と日本館を併せ持つ典型的な明治時代の上流住宅で、設計は東京駅や日本銀行の設計で
名高い辰野金吾によるもので、1912年(明治45年)に完成しました。
 
 

 
洋館は建坪1,100m2の木造二階建・スレート葺、日本館は建坪730m2で木造一部二階建
瓦葺で、洋館とは渡り廊下で繋がっています。
 
洋館の一階には大広間(162m2)が、客室、食堂、書斎など大小7室(延208m2)が
配置され、大広間から階段室を経て二階へ上がります。
二階は階上広間を囲むようの大小7室(208m2)の寝室と和洋座敷3室
(18畳、9畳、8畳)が配置されており附庇及び突起部には内玄関、厨房などがあります。

 


 

歴 史
1908明治41年)洋館および日本館の建設着工

・1912年(明治45年)旧松本家住宅完成 戦後進駐軍に接収されるまで
     松本家の住宅および迎賓館として利用
接収後1952昭和27年)独身将校用の宿舎となる
1952年(昭和27年)西日本工業倶楽部の設立を受け松本氏から同倶楽部に譲渡
・1972年(昭和47年)洋館・日本館が国の重要文化財に指定
・1982年(昭和57年)2棟の蔵が国の重要文化財に指定
・2007年(平成19年)近代化産業遺産に認定

 


 

基本情報

・住 所 北九州市戸畑区一枝 1-4-33
・アクセス 車:JR小倉駅から約15分

 

西日本工業倶楽部周辺地図

 

くろがね線

戸畑と八幡を結八幡製鐵所の専用鉄道

八幡製鐵所は、戸畑で操業していた東洋製鐵と1921年に合併した当時から、戸畑地区で生成する
熔銑を船舶で八幡へと輸送していたが、海上輸送のリスクと不経済性が指摘されていた。

一方八幡地区では、高炉の溶銑をつくるときの副産物である鉱滓(スラグ)の処理が問題化していた。
これらの打開策として建設されたのが、戸畑地区と八幡地区を鉄道で結ぶくろがね線

 

 
くろがね線概要
・八幡地区と戸畑地区を結ぶ、全長6kmの鉄道
・宮田山トンネル:1180m
・レール幅:1067mm(旧国鉄/JR在来線と同じ)
・設計者:河内貯水池建設の総指揮である沼田尚徳
・工期:1927年(昭和2年)起工し、1930年(昭和5年)に完成した。
その工事は全て製鉄所の社員で行っており、中間地点に当たる宮田山トンネルは
出水等に見舞われて難工事だった。
また、宮田山トンネルの洞門は沼田尚徳によって、凝った意匠が施されている。
 

                 戸畑側

                   八幡側

 
・戸畑側入口はローマの古い城壁をかたどったデザイン。

・八幡側入口はギリシャ・ローマの古典を倣ったルネッサンス風

 

 

使用目的
開業当初は戸畑で出来た銑鉄を八幡に輸送し精錬した、一方で八幡で出来た鉱滓を戸畑に

輸送し戸畑地区拡張のための埋立に使われた。
現在では、半製品のスラブ、ホットコイルやレール等の輸送に使われています。

 


 

くろがね線の様子

一枝地区から宮田山トンネルへ

宮田山トンネル戸畑側入口

 

 

宮田山トンネル八幡側入口

トンネルを抜けて八幡へ

 

 

 枝光の県道を渡る架構

 枝光の県道を渡る架構

 今は珍しい、リベット継手


 

琵琶湖疏水の山トンネル東口にも似ている八幡側洞門

 くろがね線 八幡側洞門

 琵琶湖疏水 山トンネル東口

 

このことは、設計者沼田尚徳が琵琶湖疏水の設計者の田辺朔郎の著書の愛読者で、
学生時代に良く目にした琵琶湖疏水を参考にしたのではないだろうか。

 


 

くろがね線周辺地図

 


 

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若松北海岸・遠見ヶ鼻

若松北海岸は、玄海国定公園の始まりの場所です。その中で、最も眺望が美しいところが

遠見ケ鼻です。妙見埼灯台があり、いかにも荒海の岬といった感じです。江戸時代には

遠見番所が設けられ、沖の密貿易船、難破船、外敵等の異変に備えていました。
灯台の立つ断崖から見下ろす海の色、沖の島々、しま模様を描いた岩肌など見応えが

十分です。この景色は環境未来都市・北九州を代表する自然の美の一つです。

 


 

基本情報 

・住 所 北九州市若松区有毛
・アクセス かんぽの宿北九州より徒歩5分

 

若松北海岸・遠見ヶ鼻周辺地図

 


 

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世界遺産 / 遠賀川水源地ポンプ室

世界遺産・明治日本の産業革命遺産の遠賀川水源地ポンプ室。

八幡製鐵所に水を供給するために1910年に稼働を開始し、100年以上経過した今でも、

当時と変わらぬ威厳のある姿のポンプ室から、毎日八幡製鐵所(現日本製鉄 九州製鉄所)で

必要とする水の約70%を休みなく送り続けている製鐵所の心臓部です。

このことはまさに世界遺産に登録された明治日本の産業革命遺産を代表していると

いっても過言ではありません。

 


 

ポンプ室建設の背景

官営八幡製鐵所が1901年(明治34年)に操業を開始した。

操業当初の鉄の年間の生産量は9万で、鉄づくりに必要な水の供給は構内に造られた

高見貯水池から行われていました。その後、1904年に日露戦争が勃発し、兵器や弾薬の生産のため

鉄の需要が26万トンと大幅に高まりました。そのため1906年に第一次拡張計画を策定し、年間の

生産量を18万トンに増やすために設備を拡張することになった。鉄づくりには大量の水を必要とし、

高見貯水池では対応できないため、新たな水源を遠賀川に求めました。そしてポンプ室を八幡製鐵所

から最も近い中間市に設け、配管を使って送水するようにした。

 


 

ポンプ室の建設

ポンプ室の建設が1906年から始まりました。

配管の総延長は12km、送水システムの設計は近代水道の父を呼ばれる東京帝国大学教授の

中島悦治氏によるもので、石炭ボイラーと蒸気ポンプはイギリスから輸入しました。

当初は筑豊の石炭を燃焼させて蒸気をつくっていたため、煙突も設けられていたが、

今は解体されてます。また、敷地内には筑豊から輸送してきた石炭の卸場やトロッコ列車の

跡も見つかっています。ポンプ室の建屋は、奈良国立博物館の設計も行った舟橋喜一氏によるもので、

平屋建ての煉瓦造り、幅20mx長さ40m。赤煉瓦と一部コーナーの柱には黒田泰造が開発した

鉱滓煉瓦(鉄づくりの時の副産物である鉱滓を使った煉瓦)が使用されています。

大正期には約50名の従業員が働き、ポンプ室の周りに官舎も建てられていました。

 

1950年(昭和25年)には、電動モーターを使ったポンプに取り換えられ現在に至っています。

そして操業開始から100年以上経過した今でも、当時と変わらぬ威厳のある姿のポンプ室から、

毎日八幡製鐵所で必要とする水の約70%を休みなく送り続けている製鐵所の心臓部です。

 


 

基本情報

・住 所 福岡県中間市土手の内1-3-1
・アクセス 車:北九州都市高速黒崎ICから約20分

 

北九州の地図

 


 

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堀 川

遠賀川の洪水対策として建設が始まった堀川、目的は遠賀川の多くの支流を結んで
洞海湾に流すこと。長年の人々の願い、多くの人々の尽力によって180年の歳月をかけて
完成した堀川、別名・宝川と呼ばれています。
完成後は、筑豊で算出した石炭を、川ひらた(石炭運搬船)で洞海湾に運搬する運河として
利用し、日本の産業近代化に大きく貢献しました。
 

 
堀川は、遠賀川と洞海湾を結んだ人口の河、そのルートは遠賀川から、八幡西区・楠橋、中間市、
水巻町そして八幡西区・折尾を経由して洞海湾洞海湾に繋がる、堀川の全長は12.1Km。
 
江戸時代初め、遠賀川はいく度も洪水を起こし周囲の村々に大きな被害をもたらした。
このような状況下、筑前藩主黒田長政が、遠賀川の支流をつなぎ、洞海湾にその水を
灌ぐことで洪水や、干ばつの被害を防ぐ目的として堀川を建設することにした。
1621年に着工し、建設中には幾多の困難に直面し、途中で工事の中断もあるが、
多くの人々の知恵と汗の結晶で183年もの歳月をかけて1804年に完成した。
そして、人々が安心して生活を営める環境が整い、堀川は宝川と呼ばれるようになった。
 

  寿命の唐戸

     水 巻

     河守神社

当時筑豊炭鉱で産出された石炭は、遠賀川から芦屋又は江川経由で全国に運ばれていた。
堀川が完成後は川ひらたを使い堀川を経由して若松に運び、そこから全国に運搬される
ようになる。
 

  車返しの切り通し

 川ひらたでの石炭運搬

     折 尾

1842年には堀川を通過した川ひらたの数が1万隻になり、経由地の中間、水巻、
折尾が繁栄していく。明治に入り、堀川を通過する川ひらたの通過数も大幅に増え、
日本の産業近代化に大きく貢献してきた。
 
しかし、1891年に直方と若松を結ぶ筑豊興業鉄道が開通してから、堀川経由で運ぶ石炭の量が
だんだん少なくなり、1932年(昭和12年)には175年に及ぶ長い期間貢献し続けてきた水運の
歴史が幕を閉じた。
 

 山本作兵衛の絵・遠賀川

     遠賀川

  若松 ごんぞう小屋


 
水運の役目を終えた後も、水田用に用いられていたが、鉱害により河川の地盤沈下や
微粉炭が堀川に流れ込んだため、水田の用水確保が困難になり、1972年にはパイプに
よって水田に給水するようになった。
 

  吉田の伏せ越し

     曲 川

撤去された曲川の伏せ越し

また、堀川建設時には、堀川と遠賀川支流が交差する部分に伏越(逆サイフォンの
原理を使った川の交差点)を設けたが、洪水対策を目的として、1986年(昭和61年)に
曲川の伏越が撤去され、翌年には堀川が鉄板で塞がれ、遠賀川は途中で寸断された形をなり、
遠賀川の水が洞海湾に流れないようになった。
 
完成から200年以上経過した堀川を、再度綺麗な水が流れる川に甦らせて、

宝川と呼べるようにしましょう。

 


 

堀川の地図

 


 

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響灘風力発電

北九州市は、「世界の環境首都」を目指し、環境にやさしいクリーンエネルギーの積極的な

導入を進めています。

響灘風力発電施設は、響灘に面する日本初の港湾地区にあります。現在10基の風車が稼動

しています。高さ65mの塔に直径75mの大きな羽根が付いており、その景観は圧巻です。

発電規模は、3,500万kwh、約10,000世帯分の年間電力消費分です。

近くには公園や休憩用のベンチもあり、こちらでは青い海と真っ白で巨大な風車群の壮大な

風景が広がります。

 

 

 

基本情報

・住 所 北九州市若松区響町2丁目
・アクセス 車の場合:若戸大橋より約15分

 

響灘風力発電の周辺地図

 


 

響灘ビオトープ

響灘を廃棄物処分場として埋め立てた敷地に自然発生した自然の楽園・響灘ビオトープ。

整地されていない埋立地に雨水が溜まって湿地ができ、鳥などが運んできた植物の種から

が自生し、環境省の絶滅危惧種(鳥類レッドリスト絶滅危惧IB類)に指定されている

チュウヒをはじめとする237種の鳥類や、284種の植物などが確認されている生態系を守る

ため全体(約41ha)のうち約7haが公開されています。

 


 


 

基本情報

・住 所 北九州市若松区響町一丁目
・アクセス 車の場合:若戸大橋より約15分
・料 金 ネイチャーセンター入館無料、園内有料(一般100円、小・中学生50円)
・営業時間 9:00〜17:00(入園は16:30まで)
・定休日 火曜日※祝日の場合翌日休み年末年始(12月29日〜1月3日)

 

響灘ビオトープ周辺地図

 


 

曽根干潟

曽根干潟は、北九州市小倉南区の東側に広がる市内最大の干潟で、面積は517haあります。
背後の曽根新田地区とあわせて市内でも有数の野鳥の宝庫として知られています。

特にここには、世界的にも数が少なくなっている「ズグロカモメ」の日本でも有数の

越冬地となっていて、休日ともなると熱心なバードウォッチング愛好者でにぎわいます。

 

また、2億年前からその姿をほとんど変えずに生きてきたことから、『生きた化石』

とも呼ばれているカブトガニの生息地ともなっています。環境省のレッドデータブックに指定

されていることから、ラムサール条約に曽根干潟が登録されることを目指す動きがあります。

 


 

カブトガニ自慢館

3億年も前から同じような生態の生きた化石・カブトガニを目の当たりに出来る場所です。

地元の人達によって保護水槽の中で愛情込めて大切に育てられています。干潟の泥の溜まった

海底で生息し、産卵されると数ヶ月で孵化し十数回の脱皮を経て成体となる、その成長の

過程も見ることができる。


 

基本情報

・住 所 北九州市小倉南区大字曽根~曽根新田
・アクセス 車:JR小倉駅から約20分

 

北九州の地図

 


 

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環境未来都市・北九州市

日本の産業が始まったまち、その後常に産業の先頭を走りながら、日本の産業近代化に
大きく貢献したまちで、現在は環境モデル都市・北九州市です。
今我々は、地球温暖化をはじめとして大きな環境問題に直面しています。
その問題にみんなで取組むために、北九州での取組等を紹介します。

 


 

北九州市エコタウンセンター

北九州市では、これからの「資源循環型社会」を目指して、リサイクル工場や研究施設などを
集め、環境と調和したまちづくりを行う「北九州エコタウン事業」に取り組んでいます。
北九州市エコタウンセンターは、エコタウンを支える情報センターとしての役割を担い、
エコタウンでの取組みの紹介等を通じて、環境学習や交流活動に積極的に利用して
いただくための施設です。

 


 

響灘ビオトープ

響灘を廃棄物処分場として埋め立てた敷地に自然発生した自然の楽園・響灘ビオトープ。

整地されていない埋立地に雨水が溜まって湿地ができ、鳥などが運んできた植物の種から

木が自生し、環境省の絶滅危惧種(鳥類レッドリスト絶滅危惧IB類)に指定されている

チュウヒをはじめとする237種の鳥類や、284種の植物などが確認されている生態系を守る

ため全体(約41ha)のうち約7haが公開されています。

 

 


 

響灘風力発電

北九州市は、「世界の環境首都」を目指し、環境にやさしいクリーンエネルギーの積極的な

導入を進めています。響灘風力発電施設は、響灘に面する日本初の港湾地区にあります。

現在10基の風車が稼動しています。高さ65mの塔に直径75mの大きな羽根が付いており、

その景観は圧巻です。発電規模は、3,500万kwh、約10,000世帯分の年間電力消費分です。

 

 

 

環境ミュージアム

世界の環境首都を目指す北九州市が整備する『市民のための環境学習・交流総合拠点施設』です。

今日、地球温暖化や廃棄物問題をはじめとして、様々な形で環境問題が急速に深刻化しています。

その原因の多くは、人間一人ひとりの日常生活の積み重ねにあります。環境にやさしい持続的な

社会を実現するためには、学校、企業、市民、市民団体、行政それぞれが主体となり、相互に

連携して取り組んで行かなくてはなりません。

 


 

曽根干潟

曽根干潟は、北九州市小倉南区の東側に広がる市内最大の干潟で、面積は517haあります。
背後の曽根新田地区とあわせて市内でも有数の野鳥の宝庫として知られています。

特に、世界的にも数が少なくなっている「ズグロカモメ」の日本でも有数の越冬地と

なっています。また、2億年前からその姿をほとんど変えずに生きてきたことから、『生きた化石』

とも呼ばれているカブトガニの生息地ともなっています。環境省のレッドデータブックに指定

されていることから、ラムサール条約に曽根干潟が登録されることを目指す動きがあります。

 

 

 

若松北海岸・遠見ヶ鼻

若松北海岸は、玄海国定公園の始まりの場所です。その中で、最も眺望が美しいところが

遠見ケ鼻です。妙見埼灯台があり、いかにも荒海の岬といった感じです。江戸時代には

遠見番所が設けられ、沖の密貿易船、難破船、外敵等の異変に備えていました。
灯台の立つ断崖から見下ろす海の色、沖の島々、しま模様を描いた岩肌など見応えが

十分です。この景色は環境未来都市・北九州を代表する自然の美の一つです。

 


 

北九州の地図

 


 

赤煉瓦プレイス

旧サッポロビール九州工場の赤煉瓦建物などを保存活用した貴重な歴史的建造物です。

門司麦酒煉瓦館は旧工場事務所を改装し、ビールの歴史と門司麦酒工場・九州工場の沿革の

ほか、ビールの製造や原材料・缶・ビンのリサイクルについての解説展示を行っています。

門司麦酒煉瓦館をはじめ、現在残る醸造棟・旧組合棟(赤煉瓦写真館)・倉庫跡(赤煉瓦交流館)

4つの建物は歴史的価値を認められ国の有形文化財に登録されています。

 


 

旧サッポロビール九州工場の歴史

1912年(明治45年)門司市の合資会社九州興業仲介所代表社員山田弥八郎らが、

当時隆盛を誇った神戸市の鈴木商店の援助を受け、大里町に工場用地を取得し、

帝国麦酒㈱を設立しました。

1913年(大正2年)に帝国麦酒㈱工場が竣工し醸造を開始しまし、「サクラビール」を

発表して、ビール業界への参入を果たしました。

以来、「桜麦酒」『大日本麦酒』「日本麦酒」「サッポロビール」と社名変更、合併、

分割と会社形態の変遷をたどりながらも北九州門司の産業を支え続けてきました。

2000年(平成12年)大分県日田市に新九州工場が竣工され、九州工場は閉鎖となり、

この地における87年間のビール製造の歴史に幕を閉じました。

 

その後、土地区画整理事業として基盤整備を行い、建物の保存し活用されています。

保存された建物群は2007年(平成19年)に国の登録有形文化財に登録されました。

また、2009年(平成21年)に、近代化産業遺産続33(33九州窯業 – 北九州市の

鉱滓煉瓦製造関連遺産)に、門司麦酒煉瓦館・旧サッポロビール醸造棟・赤煉瓦交流館が

認定されました。

 


 

日本の産業近代化に貢献した鈴木商店

門司港は1889年(明治22年)に国の特別貿易港に指定されると、明治後半から

大正時代にかけ、人や貨物を載せ日本と海外を行き来する船が寄港する国際貿易港

として繁栄していきます。事業や販路拡大を願う実業家や貿易商がこぞってこの地を

目指し、三井や三菱などの財閥もこの地に進出を図ります。

門司港が繁栄していく中、わずか数キロ先の門司・大里地区に神戸の貿易商「鈴木商店」

が目を付けて進出してきました。

そして、帝国麦酒(サッポロビール)をはじめ、多くの企業を立上げ、日本の産業近代化に

大きく貢献してきました。

詳細は下記をご覧ください。

 ↓ ↓

鈴木商店

 


 

基本情報 

・住 所 北九州市門司区大里本町 3-11-1
・アクセス

車:JR小倉駅から約15分

公共交通:JR門司駅から徒歩3分

・料 金 【門司麦酒煉瓦館】 大人100円、中学生以下50円
・営業時間 【門司麦酒煉瓦館】9:00~17:00

 

赤煉瓦プレイス周辺地図

 


 

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