大連航路上屋 & 世界遺産
大連航路上屋
私の母も祖父母も、きっとここから満州に旅立った。
私の母も祖父母も、きっとここから満州に旅立った。
そして小さいころ、祖母から戦争のことを沢山聞かされた。
満州から帰った時は、ここではなかった。
関門海峡に沢山の機雷が落とされたから、ここには帰れなかった。
今度は、今は亡き祖母に代わって、戦争のことを伝えることも私の役目ではないかと、
この地を訪れて思いました。
この地を訪れて思いました。
今展開している世界遺産/明治日本の産業革命遺産の啓蒙活動にも、
戦争の歴史は伝えるべき重要な事柄だと思います。
戦争の歴史は伝えるべき重要な事柄だと思います。
世界遺産
なぜ、世界遺産/明治日本の産業革命遺産で戦争を伝えなければならないのか。
なぜ、世界遺産/明治日本の産業革命遺産で戦争を伝えなければならないのか。
この遺産群の世界遺産登録の訳は、遺産群そのものの価値が評価されたのではなくて、
下記の出来事を世界中に人々に伝えることです。
下記の出来事を世界中に人々に伝えることです。
①幕末から明治の初期にドラスティックな産業革命
②世界の誰も成しえなかった現在までの、急速な産業発展
戦争と共に発達してきた産業、戦後復興を原動力につくり上げた世界一の工業立国日本。
その近代化の中心舞台が北九州であり、戦争の経験された皆様のことを含めて、
北九州で展開された「世界遺産物語」を紹介していきます。
北九州で展開された「世界遺産物語」を紹介していきます。