鉄鋼の産業発展物語 第10話 / 官営製鐵所建設の背景 その2
ペリー来航後の時代の変化
1853年のペリーが来航を機に、幕府は海防の必要性を認識し、大型船製造禁止令を
廃止した。
その後各地で西洋式の海軍が設置され、時代が大きく変わり始める。
軍事ために始まった船造り
海軍士官養成のため、1855年に長崎海軍伝習所が設立され、幕臣や雄藩藩士から選抜して、
オランダ軍人を教師に、蘭学(蘭方医学)や航海術などの諸科学を学ばせた。
オランダ軍人を教師に、蘭学(蘭方医学)や航海術などの諸科学を学ばせた。
その後各地で造船所が建設される。
1856年に萩藩で恵美須ヶ鼻造船所を建設し、日本初の洋艦を完成させた。
1857年には長崎製鐵所(造船所)が建設を開始し、1861年に創業した。
1858年には佐賀藩も三重津造船所が建設した。
江戸幕府は1865年に横須賀製鉄所(造船所)の建設を開始し、1871年に第一号ドックを完成させ、
1879年には日本初の軍艦「清輝」が竣工した。
1879年には日本初の軍艦「清輝」が竣工した。
神戸では民間で初めて、1878年に小野浜造船所を設立し、1885年には初代「大和」が進水し
日清戦争と日露戦争で使用された。
日清戦争と日露戦争で使用された。
そして横須賀、呉、佐世保に鎮守所(海軍の基地)が設置され、その後海軍工廠へと移って行く。
ペリー来航以降、海防が軍事に向かって進んだような歴史をなっている。
造船用の鉄はどこで調達したのか
江戸時代の日本では、農機具、鉄器や刀などの鉄づくりは、古来の「たたら製鉄」で行っていた。
そしてペリー来航を機に、西欧の技術書を元に各地で反射炉が建設されるが、造船用の鉄を
製造することはできなかった。
そしてペリー来航を機に、西欧の技術書を元に各地で反射炉が建設されるが、造船用の鉄を
製造することはできなかった。
そして、1880年には官営釜石製鉄所が操業を開始するが、造船用の鉄(鋼)が製造できる
製鉄所ではなかった。
そのため、造船用の鋼材は全て外国からの輸入に頼らなければならなかった。
製鉄所ではなかった。
そのため、造船用の鋼材は全て外国からの輸入に頼らなければならなかった。
1896年に日清戦争で勝利したものの、その後の富国強兵のためには、独自の鉄(鋼)づくりが
必要で、新たな製鉄所建設が急務となった。