世界遺産/官営八幡製鐵所立上げ時の苦難
世界遺産候補・旧本事務所の眺望デッキOpen
このデッキ上から見える製鐵所の景色の裏側に秘められた立ち上げ時の苦難
当時世界のトップクラスの技術を持つドイツのGHH社に全計画を委託。
旧本事務所(世界遺産候補)を始め、下記に示す鉄づくりに必要な最低限の設備をつくった。
①高炉 2基 ②コークス炉 200窯 ③転炉 2基 ④ガス発生炉 12基
⑤混銑炉 2基 ⑥レール工場 ⑦分塊工場 ⑧圧延工場(大型、中型、小型)
⑨加熱炉・均熱炉 22基 ⑩鍛冶工場(世界遺産候補) ⑪修繕工場(世界遺産候補)
⑫工作工場 ⑬貯水池
そして1901年2月1日に東田第一高炉に火が入った。
しかし、最初からつまずき、トラブルの連続、順調に立ち上げるのに
3年もの歳月を要した。
その大きな要因が、筑豊の石炭からつくったコークス。
GHHの設備と操業法は質の良い石炭を使用したもので、建設した
コークス炉や高炉が筑豊の石炭に適合していなかった。
最初はGHHの指導を仰いだが、上手くいかずかなかった。
それから、野呂景義の下、自社で根本的な原因調査から設備の改造や
操業方法の改良を行いながら、1904年7月に再立上げに成功した。
それから、日本の鉄鋼業の発展が始まった。