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日本で一番基幹産業に適した場所・北九州

1901年(明治34年)に日本の近代製鉄が八幡で産声をあげ、北九州が日本の産業近代化に

大きく貢献したことは言うまでもありません。

 

ではなぜ北九州が、その舞台として選ばれたのか?

先ずは、製鉄所が八幡に決まった経緯を見れば、場所的に優位なことが分かります。

 
製鉄所建設地の検討  

1)全国から17の地域が候補地となる
1896年に政府によって17の地域が候補地として選ばれた。その中の3地域が北九州。
青森 釜石 塩釜 千葉 品川 鶴見 静岡 和歌山 梅田 尾道
呉 大竹 大牟田 長崎 大里(門司) ⑯板櫃(小倉) 八幡(八幡)
各候補地とも郷土に近代的な製鉄所をと意気込み誘致活動を展開し、
お互いに一歩もゆずらなかった。
 
2)現地調査の実施
大島道太郎が候補地決定の責任者となり、調査団を率いて候補地を調査した。
その立地の条件は、①広大な建設用地が安価で得られる ②海上・陸上の交通の便がよい
② 原料と燃料が得やすいことが考慮された。
調査の結果、4ヶ所に絞られる。

(広島県)②大里(門司)③板櫃(小倉)④八幡(八幡)

 

原料と燃料入手の点で呉は落ちて、北九州の三村が残る。

 

3)大里が第一候補

その中で、大島は、石炭に入手には洞海湾(八幡)だが、若松港の水深が浅く到底大型船を
出入りさせることができないと、一旦は「大里第一」とした。
大里は、筑豊炭田を背後に持ち、アシが生い茂る湿地帯が多い土地、海陸の交通条件に優れ、
八幡が足元に及ばない人口を抱えていた。
更に、江戸時代に村の一角から鉄鉱石と銅鉱石が採掘されていたことも影響している。
 
4)八幡の立地に向けての取組
これに対して、若松築港会社会長の安川敬一郎は、水深を深くすれば大里に勝ると確信し、
起死回生の政治工作を行う。
旧黒田藩主・金子堅太郎、岩崎弥太郎、渋沢栄一の同意を得、渋沢栄一と後の長官和田維四郎
を通じて、大島と長官山内堤雲の説得を依頼した。

こうした安川敬一郎の運動が紅を奏し用地買収担当の製鉄所事務次官に八幡出張の
辞令が出された

 

  
  安川敬一郎      芳賀種義

 
当時の八幡村は、人口2,000人足らずの農業と漁業を営む寒村であった。
製鉄所建設用地確保のため、八幡村の芳賀種義村長「八幡村に製鉄所を、日本の
鉄づくりは八幡から」
と熱心に村民を説得し、100万m2もの広大な土地を地価の

半値で売り払うことに協力してもらった。
 
5)官営製鐵所が八幡に決定
こうした後、1897年2月6日「官営製鉄所は福岡県 下筑前国遠賀郡 八幡村に置く」
と公布された

             製鉄所建設前の八幡村

 

そして、1901年の創業に向けての建設工事が開始される。

 


 

製鉄以外の産業が創業
近代製鉄所が八幡で操業を開始し、それ以外の地位でも色んな産業が生まれ
日本の産業近代化がここから始まった。

  

   八幡 & 戸畑 

    小倉 & 大里

     小倉 & 門司

・1905年 若松石炭協同組合事務所開設(石炭会館)
・1906年 東京製鋼 小倉工場創業
・1908年 安田工業八幡工場創業、明治紡績&明治鉱業創業
・1910年 筑豊石炭協同組合直方事務所開設
・1911年 田村汽船漁業部(ニッスイの前身)創業
     出光商会(出光興産の前身)創業、戸畑鋳物(日立金属&日産の前身)創業
・1913年 鈴木商店関連創業(帝国麦酒、大里硝子製造所、大里酒精製造所)
・1917年 東洋陶器(TOTOの前身)創業、神戸製鋼所門司工場(神鋼メタルプロダクツの前身)
・1918年 小倉製鋼所(住友金属工業、新日鐵住金の前身)創業、
     黒崎窯業(クロサキハリマの前身)
     山九運輸(山九の前身)創業、鈴木商店日本冶金(東邦金属の前身)創業
     明治紡績創業
 

 


 

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