産業遺産が多い都市・北九州
北九州市は世界遺産を含む産業関連遺産の宝庫です。
世界遺産に登録された明治日本の産業革命遺産である旧本事務所や遠賀川水源地ポンプ室、
鉄道駅舎として初めて国の重要文化財に指定され門司港駅、製鉄関連の遺産をはじめとした
多くの産業遺産があります。このことは、北九州市が日本の産業近代化に大きく関わっている
ことの証明です。そのサイトでは、それらの遺産を紹介して行きます。
1897年(明治30年)に八幡の地に近代製鉄所を建設することが決定されてから、わずか4年で
製鉄所を完成させました。その製鉄所の指令を行うところが本事務所。が外側が赤煉瓦の
モダンな建物です。1901年(明治34年)に製鉄所が創業し、富国強兵の基製鉄所が次々と拡張
していきました。そのため、本事務所は手狭になり、その機能は1922年には新しい2代目の本事務所
(枝光)に移りました。その後、初代の本事務所は製鉄製品の研究所や、様々な目的で使用
されました。そして、現在まで日本の産業近代化の歴史を見続けて来た本事務所です。
明治日本の産業革命遺産の遠賀川水源地ポンプ室。八幡製鐵所に水を供給するために1910年に稼働
を開始し、100年以上経過した今でも、当時と変わらぬ威厳のある姿のポンプ室から、毎日八幡製鐵所
(現日本製鉄 九州製鉄所)で必要とする水の約70%を休みなく送り続けている製鐵所の心臓部です。
ものづくりの息吹を感じる日本の産業近代化の聖地。
世界でここだけ 高炉設備一式が完全な形で保存されているところ!
1901年(明治34年)日本の近代製鉄がここで生まれた。多くの人々の手によって日本の産業近代化の
礎がここで築かれた。そして、日本の産業発展の道程、先人たちの功績を後世に伝えるべく
1972年(昭和47年)まで操業を続けた10代目の東田第一高炉が保存されています。
その総指揮者が、土木技師の沼田尚徳、当時は東洋最大級のダムで、「土木は悠久の記念碑」という
戸畑と八幡を結八幡製鐵所の専用鉄道
八幡製鐵所は、戸畑で操業していた東洋製鐵と1921年に合併した当時から、戸畑地区で生成する
熔銑を船舶で八幡へと輸送していたが、海上輸送のリスクと不経済性が指摘されていた。
一方八幡地区では、高炉の溶銑をつくるときの副産物である鉱滓(スラグ)の処理が問題化していた。
これらの打開策として建設されたのが、戸畑地区と八幡地区を鉄道で結ぶくろがね線。
1988年(昭和63年)には鉄道駅舎として初めて国の重要文化財に指定され、現在では東京駅と
2つが国の重要文化財です。1914年(大正3年)に門司駅(当時)として開業、1942年(昭和17年)に
門司港駅と改称されました。建物は、フレンチ・ルネッサンス調との木造二階建て建築で、
ドイツ人技師ヘルマン・ルムシュッテルの監修によるものです。
1921年に三井物産の社交倶楽部として作られた建物です。ハーフティンバー様式と呼ばれる
ヨーロッパ伝統の木造建築工法で作られ、門司港駅と同様に国の重要文化財に指定されています。
1922年にアインシュタイン博士が全国を講演する為に来日した際に、三井倶楽部に宿泊しました。
博士が宿泊した部屋は当時の様子を再現しています。
旧サッポロビール九州工場の赤煉瓦建物などを保存活用した貴重な歴史的建造物です。
門司麦酒煉瓦館は旧工場事務所を改装し、ビールの歴史と門司麦酒工場・九州工場の沿革の
ほか、ビールの製造や原材料・缶・ビンのリサイクルについての解説展示を行っています。
門司麦酒煉瓦館をはじめ、現在残る醸造棟・旧組合棟(赤煉瓦写真館)・倉庫跡(赤煉瓦交流館)
の4つの建物は歴史的価値を認められ国の有形文化財に登録されています。
戸畑の夜宮公園の南隅の鬱蒼とした松林の中に溶け込むように邸宅の門を構える
アール・ヌーボーの館と称され、国の重要無形文化財に指定されています。
旧松本家住宅は、炭鉱主・実業家の松本健次郎が自分と家族の住宅と明治専門学校(父安川敬一郎と
ともに創立した学校で現在の九州工業大学)の迎賓館を兼ねて建てたものです。
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