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産業遺産が多い都市・北九州
2021/05/07
北九州歴史秘話北九州市は世界遺産を含む産業関連遺産の宝庫です。 世界遺産に登録された明治日本の産業革命遺産である旧本事務所や遠賀川水源地ポンプ室、 鉄道駅舎として初めて国の重要文化財に指定され門司港駅、製鉄関連の遺産をはじめとした 多くの産業遺産があります。このことは、北九州市が日本の産業近代化に大きく関わっている ことの証明です。そのサイトでは、それらの遺産を紹介して行きます。 世界遺産 / 旧本事務所 1897年(明治 …
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製鉄所建設物語 / なぜ八幡に決まったのか
2021/05/07
北九州歴史秘話日本の近代製鉄所の建設地が、どのようにして八幡に決まったのかを紹介します。 ●製鉄所建設計画 日清戦争後、軍備増強と産業資材用鉄鋼生産の増大を図るため、1896年(明治29年)に 第9回帝国議会で製鐵所建設の「創立案」の予算が承認された。 その内容は日清戦争前に「野呂景義」が提案した製鐵所建設構想と異なり、 和田維四郎(わだ つなしろう)による、銑鋼一貫の巨大製鉄所構想であった。 初代長官の山内提雲の後任で、2代目の長官となった和田 …
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安川敬一郎物語
2021/05/07
北九州歴史秘話日本の産業近代化産業の歴史をつくった安川敬一郎 石炭産業から始まり、港湾、鉄道、紡績、製鉄、電気、窯業と様々な分野で中心的な役割を 果たし日本の産業近代化に最も貢献した一人です。 福岡藩士・徳永貞七の四男として1849年(寛永2年)に福岡県 西村で生まれる。徳永家には四人の男子がいた。長男以外は同藩士 安川、松本、幾島家の養子となりそれぞれの家督を継ぎました。 四男の敬一郎は15歳で安川岡右衛門の養子となり、16歳から家督 を継 …
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近代鉄鋼技術の父 野呂景義物語
2021/05/07
北九州歴史秘話1854年名古屋橦木町生まれ、東京大学に入学し、ドイツから招かれたCurt NETTO 教授の基で採鉱冶金学科を学び1882年に卒業し、やがて助教授になる。 1885年5月からヨーロッパに留学し、まずロンドン大学で機械工学と電気工学を 学び、1986年4月からドイツに転じ、もっぱらFreibergのLEDEBUR教授について 鉄冶金学を修めた。野呂は世界有数の鉄冶金学者であると同時に、生産現場での 豊富な技術経験を積んだL …