-
-
世界遺産の謎に迫る/製鐵所操業開始までの紆余曲折
2015/10/06
Blog日清戦争前の「野呂景義」が作成した製鐵所建設構想はどうなったか。 紆余曲折の中で邁進した、初代製鐵所長官の「和田維四郎」の功績 軍備増強と産業資材用鉄鋼生産の増大を図るため、1896年(明治29年)に第9回帝国議会で 製鐵所建設の「創立案」の予算が承認された。 その内容は日清戦争前に「野呂景義」が提案した製鐵所建設構想と異なり、 和田維四郎(わだ つなしろう)による、銑鋼一貫の巨大製鉄所構想であった。 &nbs …
-
-
世界遺産の謎に迫る/八幡製鉄所立ち上げ時の苦難
2015/10/06
Blog八幡製鐵所立ち上げ時の苦難と野呂景義の功績 ・ドイツ式大規模生産方式で始まった、日本初の銑鋼一貫製鉄所。 ・操業開始時は惨憺たる状況。 ・製鉄所建設前に失脚した、野呂景義が呼び出される。 ・徹底した原因究明と抜本的な改善で再火入れ。 ・今日の世界に誇るものづくり日本の原点がここで育まれた。 操業開始時は惨憺たる状況 1901年2月、ドイツ技術の粋を集めてつく大規模生産方式の製鉄所が操業開始。 しかし、その滑 …
-
-
世界遺産の謎に迫る / 官営製鐵所がなぜ八幡に立地
全国17ヶ所が候補地 第一候補地は門司の大里だった! 八幡立地の最終決定は、安川敬一郎の政治工作が功を奏す。 軍備増強と産業資材用鉄鋼生産の増大を図るため、1896年(明治29年)に第9回帝国議会で 製鐵所建設の「創立案」の予算が承認された。 総予算額650万円、その中に清国から受け取った賠償金のうち58万円が含まれる。 1996年に政府によって候補地が選ばれた。 青森、釜石、塩釜、千葉、品川、鶴見、静岡、和歌山、尾道、呉、大竹 …
-
-
世界遺産の謎に迫る/日清戦争以前の製鉄所建設構想
日清戦争前に作られた製鉄所建設構想は実現しなかった。 製鉄所建設のきっかけを作った 清国(中国)の漢陽製鉄所。 清国が、軌条(レール)の売込に来た。 九州の石炭に目をつけてきた。 製鉄所建設構想は、日清戦争(1894年)以前の1891年から始まった。 最初から軍部と鉄道の要求に応える製鉄所建設は困難と考えていた。 しかし、既に清国漢陽製鉄所が、自国の鉄鉱石を使い、ベルギー人の指導の基で稼働を始めていた。 そして日本へ軌条の売込に …
-
-
世界遺産の謎に迫る/製鐵所操業開始までの紆余曲折
日清戦争前の「野呂景義」が作成した製鐵所建設構想はどうなったか。 紆余曲折の中で邁進した、初代製鐵所長官の「和田維四郎」の功績 軍備増強と産業資材用鉄鋼生産の増大を図るため、1896年(明治29年)に第9回帝国議会で 製鐵所建設の「創立案」の予算が承認された。 その内容は日清戦争前に「野呂景義」が提案した製鐵所建設構想と異なり、 和田維四郎(わだ つなしろう)による、銑鋼一貫の巨大製鉄所構想であった。 和田維四郎 …
-
-
世界遺産の謎に迫る/八幡製鉄所立ち上げ時の苦難
八幡製鐵所立ち上げ時の苦難と野呂景義の功績 ・ドイツ式大規模生産方式で始まった、日本初の銑鋼一貫製鉄所。 ・操業開始時は惨憺たる状況。 ・製鉄所建設前に失脚した、野呂景義が呼び出される。 ・徹底した原因究明と抜本的な改善で再火入れ。 ・今日の世界に誇るものづくり日本の原点がここで育まれた。 操業開始時は惨憺たる状況 1901年2月、ドイツ技術の粋を集めてつく大規模生産方式の製鉄所が操業開始。 しかし、その滑り出しは惨憺たる状況 …